Case 53-4
2021年2月19日 完成
唐砂により遂に鳴下本家からの脱出に成功する。
一方その頃、柚月と棟梁による死闘が繰り広げられていた……
【同日同時刻付近 鳴下地区・鳴下山地西麓】
「ひぃっ!!
助け……!?」
棟梁に付き従い、現場に留まった男が単なる60kgの肉塊に成り果てる。
その周辺に風車の如く回転する影が地面に映っていた。
「○○ーッ!」
「駄目だ近づくな!!
あの『影』に触れてはいけない!!」
「ですが……ッ!」
若者と思わしき鳴下の若造が弓矢片手に吶喊する。
単なる叫びではなく、魔を祓う『声』として撒き散らし、相手の異能力を無効化しようとする。
だが、相手は一瞥もくれず、棟梁との戦いに集中している。
(この……!
市民の分際で……ッ!)
次の一歩で足と龍脈を繋ぐ。
その力を減衰なく矢の先へと遠し、単なる突きが文字通り破魔の一撃と化す。
だが、それは直前でバラバラに砕かれた。
(な……そん……)
遅れることほんの一秒。
自分すらも微塵に切り裂かれていた事を認識した男が、今更のように絶命に至る。
(愚か者め
相手を一体何だと思ってるんだい)
棟梁が今しがた犬死した男を叱責する。
漏れ出て来た『油断』と『怒り』が致命的に場にそぐわなかったのである。
だが今は何としてでも『柚月』から離れる必要があった。
『恐み恐みも白す
我等の祖たる蛟野大明神よ!』
それは鳴下家が祀る祖神の名であり、あらゆる神楽の基本である。
即ち、柏手から放たれた音波が壁となって柚月に殺到する。
『方違・騰蛇相纏』
龍水の一撃を、殺生の金気が切り裂く。
その互いの勢いが解かれ、双子の竜が食らい合う様子から『騰蛇』と名付けられた。
だが、それによって起こされた霧が完全に柚月の感覚を奪う。
「貴様も変わらんな……『金鼬』よ」
「な……今何とおっしゃいましたか棟梁様!?」
「『金鼬』と言うたぞ
あの柚月は確かにわしの唯一無二の親友ぞ」
その一言に全員の士気が一気に凍り付いた。
「き……『金鼬』ってあの『三貌の尾』……?」
「嘘だろ……『金鼬銀狐』の片割れだと……!?」
「待て、本物なら棟梁と同じく100以上の高齢の筈……」
「馬鹿を言うでない
このわしの目が、本物だと告げておる」
その言葉がトドメとなって、次々と弓を落とす音が響く。
そして肉塊となった同釜の友を見捨てて一目散に逃げ始めた。
「まだ堕落しおったのか」
「堕落じゃない……あれが普通なんだよ」
霧晴れると同時に、霧が投げかけた影が伊賀栗のように無数の針を伸ばす。
一歩、左に逸れた先の大木が影に冒され、真っ二つに引き裂かれる。
「どういう理屈で蘇ったかは知らぬが
この世界に死したお主の居場所は無い」
棟梁が北方向に、山の深まる方向へと逃げ続ける。
天ヶ井柚月、あの頃は単に『柚月』と呼ばれた者の武器は2つ。
『影しか残らぬ斬撃』と『特殊な方術による完全相殺』である。
前者は余りにも速過ぎる薙刀の一振りにより
犠牲者は死して伏したのちに斬撃の影を見たという逸話が残っている。
それと彼女の異能力である『斬撃操作』が合わさった今
彼女より『尾』のように伸びた影に触れただけで斬殺されるのである。
(これについては距離を置けばよい
じゃが、もう一つの『方術』は何処まで逃げても……)
その言葉はほどなくして真実となる。
目の前に突如現れた突風に反応して棟梁が全力でブレーキを掛ける。
その目の前でまたも万物両断の暴風が清音とともに響き渡った。
これこそが『方違』のもう一つの顔。
九宮の星をすり替えて方角そのものを呪い、行く先々で『災い』を自然発動させる。
しかもその『災い』は的確に相手の防御を切り裂く構成を為している。
(『影尾の祟』に彼我は無し……
実に厄介じゃが、距離を取れば発動できる)
ある程度距離を取った所で棟梁が足を止め、柏手を打つ。
『恐み恐みも白す
我等を生みし双子の辰神よ!』
掛けたる願いは2つ。
全てを圧し、恵みの露すら天へと返す灼熱の空を。
『妖魔天象・旱天』
棟梁を中心に夜闇が退かれる。
全てを渇かせる旱の晴天が、偽りの太陽と共に顕出する。
それまで彼女に纏わりついた方位の呪いも枯渇の果てに消え失せた。
その代わりに、追いついた柚月の姿が現れる。
「知っておろう
お主も魔力とやらが無ければ何も出来ぬ」
「そのままもう一度眠りにつくがよい」
悠々と弓を番え、心臓に狙いを定める。
そして心の中で八幡大明神にそうするように、もう一度氏神に願掛けを行う。
『すなはち たかまのはら みなくらく
あしはらのなかつくにに ことごとに くらし』
すると、偽りの太陽が急速に欠け始める。
世界から急速に明るさが失われ、薄明へと移行する。
「な……何故!?」
「忘れたの?
私達は月と太陽、二つで一つだって」
それは棟梁が妖魔天象を求めた最大の理由。
隣を歩く柚月に、何一つとして負けるわけにはいかないという向上心。
『これによりて とこよゆく
ここによろづかみの おとなひは さばへなす みなわき』
『よろづのわざはひ ことごとに おこりき』
ここに、太陽は欠け王冠の如き針光を顕す。
即ち『妖魔天象・蝕』による恐るべき侵略の姿であった。
たとえ他の天象があっても『蝕』が丸く食らい
針光の揺れが、悉く万物から影を抜き、祝詞の通りに『踊り狂い始める』。
「……ッ!!」
即座に離れた棟梁の顔に真一文字の斬撃が入る。
そこに影の追従は無く、即ち己の影から一太刀を受けたのである。
しとどに血を垂らしながら棟梁が告げる。
「知っておるわ
故に、お主のそれを待っていた」
「それはどういう……」
「わしは双子の神に祈ったぞ?」
それは本来柚月には伝わらない言葉であった。
だが、八朝との会話で伝え聞いたせいで思い至ってしまう。
旱は見かけぬ、旱天とは仰々しい。
今に残らぬのは『片割れ』故の傲慢か。
『妖魔天象・女魃』
その瞬間に太陽は消え失せ、地に魍魎が沸き立つ。
魍魎は魔力を無秩序に食らう事で『旱天』と同じ結果を引き起こす。
魔を祓うべき鳴下の裔が、魔を率いる顛倒。
それが『覆』の真意である。
だが、柚月はその結論に至る前に卒倒した。
「……わしが、お主らを『雷神』から掬うという言は事実だのにな」
棟梁の言葉が、虚しく山林に溶けて消えた。
次でCase53が終了します




