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神と呼ばれた人間の噺

作者: 日乃 創


 人はやはり「人」である。


 全ての生き物に祝福され、豊かな大地から一人の人間が誕生した。

 温かな陽の光を浴びながら目覚めた人間は、無知な人間だった。けれども、生き物たちに助けられ、人間は様々なことを学んでいく。微風に優しく揺られる木々たちの名前、小鳥が囁く歌の意味、獣が語る星の生き様。皆が皆、知っている限りのことを、一つ一つ丁寧に人間に教えていったのだった。

 こうして人間は、全ての生き物たちに守られながら、何一つ不自由の無い生活を約束され、この壮大な大地に暮らし始めた。

 そこは、人間に与えられた楽園。

 その世界は、たった一人の人間のものだった。

 


この人間は、後の世で「神」と呼ばれることとなる。(ここからは、人間を「神」と呼ぼう)



 神が大地に誕生してから、幾多の年月を重ねたが、神以外の人間が、大地に誕生することは一度としてなかった。鳥は卵を産み、獣は身篭り、星は散り再生をする。その光景を、神は何度も何度も目にし、その度に自分という存在に一抹の不安を覚える。

 神の淡い期待は幾度となく打ち消され、時が経つにつれ、何とも遣り切れない想いが重なったある日のこと。

 そんな神の姿を哀れに思った一羽の白い烏が、神に一つ、提案をした。

「人間様。人間様。森の奥に大きな白樺の木々がありましょう。その横には人間様と同じ程の身の丈の生命の木という木がございます。その木は、何とも神秘な木でして、他の命を誕生させることの出来る木でございます。その木を使って、人間様を彫ってみてはいかがでしょうか?」

 初めて知る烏の言葉に光を見出した神は、嬉々として研ぎ石を握り締め、生命の木まで飛んでいった。

 大木の白樺の木に囲まれながらも、陽の光に照らされている、神と差ほど身の丈が変わらない生命の木は、ありありとした存在感でそこに生えていたのだった。

 その存在感に、一瞬気圧されながらも、逸る気持ちが先に出たのか、神は迷わず生命の木に触れた。

 

白い烏の話によれば、生命の木は、千回太陽が昇るまでに成長し、千回太陽が沈むと枯れ、再び千回太陽が昇るまでに成長するという循環を持つ木だという。生命の木には三本の能力の枝があり、右から、才の枝、情の枝、知の枝、というようになっている。その枝から生える葉の数が能力の値を示し、生える葉の数は三本平等となっている。他の命を作る際には、幹にその生物の顔を彫り、彫った口にその生物の血を塗ると十日でその生物が誕生するという仕組みで、なんとも不可思議な木だそうだ。


「この幹に、顔を彫ればいいのか」


少し戸惑いを抱きつつ、一刻も早く人間を誕生させたい神は、白い烏から教えられたとおりに、湖で見た自分の顔を思い出しながら、生命の木の幹に研ぎ石で刃を入れていった。

どのくらい時が過ぎたのかは解らなかった。ただ神は、黙々と彫ることにだけに全神経を集中させていた。ついに、神は彫り終えるまで、その手を休めることはなかった。

彫り終えた顔を、神はそっと一撫でする。

満足げにその出来栄えに微笑み、神は最後の仕上げに、自分の左手の薬指の腹を研ぎ石で切り、流れたその血で彫った口に色を付けた。

後は人になるのを待つばかり。

込み上げてくる細い笑いを、神は止めることが出来なかった。


それから神は、生命の木の傍らで、じっとその変化を見ていた。瞬きすらも、惜しいというように。

生命の木は、徐々に変化し始め、能力の枝は縮み膨れ、脳となり頭となった。幹は新に枝を生やし、手と足を形成させる。彫られた顔は徐々に輪郭を造り、人間としての準備を着々と進めていった。

そうして、待ちに待った瞬間は訪れたのだった。

神が創り出した、後に神童と呼ばれる神の子が誕生した。

それは、神と瓜二つの姿をした人間。背格好はもちろん、顔も、髪の毛の色も、声音も、頭脳も、全てが同じ。

ただ、違うことは、創ったものと創られたもの、ということ。

神と神童は互いに向かい、神は嬉々として神童を抱き締めた。

「なんて素晴らしい日なんだ。 今日という日をどんなに待ち望んでいたことか。ああ。 君の誕生を心から祝福するよ」

「ありがとうございます。偉大なる人。生まれたこの瞬間に心から感謝します」

そうして、神は楽園のものたちに誕生した神童を紹介した。楽園のものたちは、神童の誕生を心から祝福し、神は神童と二人で豊かな暮らしを始めたのだった。

 そうして始まった神と神童の生活は、円満に過ごされているように思えた。いや、確かに神は神童との生活に満足していたのだ。けれども、その満足感は日を重ねるごとに、飢えに変わっていく。

欲しい。これではない、何かが、欲しい。

 神の飢えは治まることを知らず、日に日に募るばかり。そんな自分自身の変化に、神は、ただただ混乱していた。

 なぜ。どうして。

 私と同じ人間がいるじゃないか。

 私と同じ人間と、平和に、豊かに、暮らしているのに。同じ、人間と。

 その思考の中で、神は一つの答えを導き出す。

 神は知ってしまったのだ。同じということの、落とし穴を。

 もう後には戻れない所まで、神の思考は進んでしまっていた。

 その晩、楽園が寝静まったのを見計らい、神はこっそりと生命の木へと赴いた。

そこにあったのは、神の半身程の身の丈の生命の木だった。まだ、若葉が生え始めたばかりの初々しい姿をしていた。

能力の値を示すその葉は、まだまだ未熟だ。

神は、しめた、とばかりに、嬉々として生命の木の幹に、研ぎ石で顔を彫り始めた。


これで、もう同じではない。


神は、その考えで一杯だった。

そうして、誕生した二番目の神童は、神の半身程しかない小さな神童だった。

二番は、確かに未熟であった。神と一番よりも身の丈が小さい二番は、力もなく、知識も少なく、出来ることも限られ、神は二番に教えるということを知った。教える行為を知った神は、それを面白いものと感じ、一番と共に、二番を育てていった。


そうして、再び幾多の年月が流れていった。

そんな過ぎて行く月日が、神に唖然とする現実を突きつけたのだった。

神と一番目に大切に育てられた小さな二番目は、今や立派に成長を遂げ、なんと、神と瓜二つの姿となっていた。

「なんということだ。 違う人間を創ったつもりが、全て同じになってしまった。 私と違う人間が、ここにはもう存在しない」

 それからというもの、神は異なるものを貪欲に欲した。しかし、どんなに時間を費やしても、その答えを導き出すことが出来ない。

 気晴らしに森へ散策に行き、森の中心にある湖の畔に、神は腰を下ろした。

 すると、そこに赤い眼をした蛇が、神の側までやってきて、こう言った。

「人間様。人間様。何をお悩みでございますか。よろしければ、私にお話くださいませ」

神は、しばし蛇の赤い眼を見つめた後、ゆっくりと話し始めた。

「私は、私とは違う人間を創りだしたいのだ。それなのに、それなのに私はその答えが解らないのだよ」

蛇は、神の言葉を聞き、ある提案をした。

「人間様。人間様。それならば、どうぞ、私どもに似せた人間様を創ってくださいませ。ここには、たくさんの生き物がおります。その生き物の一部と人間様の血を混ぜ、人間様を創ってみてくださいませ。そうすれば、きっと人間様と違う人間様が出来ましょう」

神は、目から鱗が落ちたようだった。

「そうか。そういうことだったのか」

 蛇の言葉に、神の頭の中で散らばっていた点と点が一本の線で繋がり、神を生命の木へと駆り立てた。

 そうして神は、異なる人間を求め、人間創りに没頭していったのだった。

 三番目に創った神童に混ぜたのは野うさぎの毛を混ぜてみた。すると、三番は赤い瞳をした兎と身体能力の似た神童に成長した。四番目に創った神童は、魚の鱗を混ぜてみた。すると、四番は、魚の様に透き通る肌と水を好む神童に成長したのだった。

 これ以上楽しいことはないというように、神は次々に神童を創っていった。

 様々な神童を創っていく上で、神は多くの工夫を生み出していった。



 四十四番目の神童を創りだそうとした、その時。

 神の中で、ふと、悪戯心が芽生えた。

 この能力の枝を手折ったならば、一体どんな人間誕生するのか。

 神は、能力の値を示すその葉を毟ると、生まれてきた神童の能力を低迷させるということを既に立証していた。そうして、姿形が瓜二つだとしても、能力の葉を調節することで、神童に個性を与えることに成功していた。

 しかし、まだ能力の枝自体を、手折ったことは一度としてない。

 抑えがたい興味に駆られ、神はその三本の枝に手を伸ばした。

神の足半分にも満たない身の丈の生命の木の枝は、いとも容易く手折ることが出来た。

しかし、最後の枝を折る際に、幹の皮までも神は剥ぎ取ってしまう。その皮は、丁度彫った顔の右目部分をも巻き込んではがれてしまった。

「ああ。折角、白鳥に似せて彫った顔なのに」

少し気落ちしたように言いながらも、神は特に処置もせず、その場を後にした。

十日経ったその日。

神は、森を散策し、次はどんな人間を作り出そうかと思案していた。すると突然、森の鳥たちが、我先にとばかりに一斉に飛び立ち、獣たちは、まるで合図をしたかのように、息を揃えて走りだした。動物たちの騒ぎに目を見張る神の元に人間創りのきっかけを作った白い烏がやってきた。

「世にも恐ろしい不のものでございます。世にも恐ろしい不のものでございます。この楽園を汚すものが居ります。この楽園を汚すものが居ります」

 白い烏は相当慌てふためいているのか、同じことを二回繰り返し、そのまま空へと飛び去って行った。

「どうしたというんだ」

その様子に全くついていけず、神も思わず唖然とする。しかし恐怖よりも好奇心の方が勝ったのか、その原因を突き止めたく、獣たちが走っていく方向とは逆の方向へ走っていった。

そして。

辿り着いた先は、あの生命の木の場所だった。

「何が、起こっている」

恐る恐る前へと踏み出し、周囲を慎重に見渡す。すると、神の目に、後姿の小さな、小さな、神童が映った。それは、神が十日前に創った四十四番目の神童に違いない。立てないほど未熟なのか、四十四番は座ったまま、ずっと上を向き、周囲をしきりに見回している。

「そうか。今日だったか」

すっかり人間創りに没頭してしまった神は、時々神童の誕生の期日を忘れてしまうことがあった。時として獣たちが、誕生した神童を、神の所へ届けていた。


もしかしたら、近づいてきた獣を驚かせでもてしまったのだろうか……


その時、神は、楽観的にその状況を受け取っていた。そして微笑みながら、四十四番へと近づいた。

「君が、四十四番かい」

神の声に、四十四番はぎこちなく振り向き、そして、満面の笑顔を神に見せた。


 顔の右側面の皮膚が捲れ、死んだ眼球が剥き出しの、その顔を。


「あー。ぅうー」

言葉も紡げない程、未熟な四十四番だが、自分を創ったものは解るらしい。嬉しそうに、しかしぎこちなく、四つん這いで神に向かってきた。

後僅かで、小さな手が神に触れようとした瞬間。

「くっ、来るな。来るな。来るなーーー!」

その手を足で払いのけ、神は初めて拒絶の言葉を吐き捨てた。そして、四十四番をそのままに、神は背を向けて全力で走り出す。


「ぁーーーぁーーー」


遠くから聞こえてくるその声に、神は泣きたくなる衝動を覚えた。

 神の初めての失態である。

 それからというもの、神は一切、人間創りを 止めてしまった。そのことを考えるだけで、あの世にもおぞましい顔が思い出され、神を恐怖へと陥れた。

 あの日の出来事は瞬く間に森だけではなく、楽園全体に知れ渡った。誕生した四十四番を楽園を汚す異端なもの象徴として、生命の木の周囲にはいつしか何者も近づかなくなった。



 しばし恐怖を纏っていた楽園も以前の様子をすっかり取り戻し、皆が皆、何事もなかったかのように暮らし始めて幾日か経った頃。森からある噂が、白い烏によって神の耳にもたらされた。


「赤い瞳は穢れた瞳

汚れた聖地へ赴いて

真のまなこを捨ててきた

地を這う跡には穢れた血」


神の傍らで烏は歌う。神はその歌に血の気を奪われた錯覚に陥った。忘れようとしていた現実が、再び神をそこへと引き戻す。


何と、あの賢い、赤い眼をした蛇が生命の木に赴いているというのだ。


 神は、じっとその場に立ち尽くし、しばらくして、意を決したように歩み出した。

 以前は、ことあるごとに訪れていた場所への通り道は、何者も通らなくなったために荒れ果て、淀んだ空気に満ちていた。植物たちが荒れた成長をしていたそこは、日の光もほとんど浴びることが出来なくなっていた。終始薄暗い。木々たちまでも、まるで死んでしまったかのような、薄気味悪さを孕んでいた。

 神は一度息を呑みこみ、先の行く手を妨げる草や蔓を避けながら、前へ前へと慎重に進んでいった。

そして、最後の蔓の束を退け、漸く目的地に着いた神が目にしたものは。


あの赤い眼の蛇が、四十四番の顔を丁寧に舐めあげている光景であった。


「きゃっきゃっ」

四十四番はそれを喜んで受け入れていた。お返しとばかりに赤い眼の蛇をつたない仕草で舐める。

 以前よりも少し成長していた四十四番は、おぼつかないながらも、なんとか立つことが出来るようになったらしく、蛇のしっぽと追いかけっこをし始めた。髪の毛もずいぶん長く伸びたためか、以前よりも、あの削げ落ちている片面の印象が幾分柔らかく見える。そして何より幸せそうに微笑む光景。

 そこで神は、ふと以前の自分の行為を振り返った。足蹴にして置いていった我が血を受け継ぐ者。

 不思議なことに、そこには後悔という念しか思い浮かばなかった。


 私はあの子の何を私は恐れていたのか。


 もう一歩、足を踏み出すその時に、草が絡まり音を鳴らす。

「っ」

さすがに、蛇と四十四番も神の存在に気がつき、神と視線が、交わった。

 神は一瞬怯み、一歩後退る。

 すると、四十四番は以前の出来事などまるで忘れてしまったかのように、あの時と変わらずに神に向かい微笑んだ。

「あーーー」

まだ言葉は紡げないらしい四十四番は、神の呼び方が解らないのか言葉にならない声を上げ、神の方へとぎこちなく駆け寄った。

 膝にようやく届くまで成長した四十四番に足に抱きつかれた神は、一瞬身を硬直させるものの、その純粋な行動に今度ばかりは振り払うことが出来なかった。神は意を決し、神が屈んでも、まだ神よりはるかに小さいその身体を、そっと抱き締めた。

「人間様。お迎えでございますか」

蛇は静かに神の傍らまで寄ってきた。

「お前に、心から感謝をするよ。ありがとう。ずっとお前だけが、この子を見守ってくれていたんだね」

 神の言葉を聞くと、蛇はふと、柔らかな表情をした。

「気付いてくださり、喜ばしい限りでございます」

 そう言いながら、蛇は神に頭を垂れる。

「ああ。ここは、何一つ変わったりはしていなかったんだ」

 神がもう一度見渡したその場所は、以前と何ら変わりはなかった。生命の木が一身に陽の光を浴びながら、確かにそこに存在していた。溢れそうになる感情を、神は四十四番を抱きしめることでなんとか耐える。

 その日のうちに、神は四十四番を神童たちと暮らしている場所へと連れて帰った。

 


 当然のごとく、四十四番を歓迎するものは誰一人として居なく、神の側が四十四番の拠り所になるのは必然だった。

 神にとって、四十四番は、どの神童よりも劣り、どの神童よりも幼く、どの神童よりも愛おしい者となっていった。何をするにも神が一から教えなくてはならない。時には神の手をも煩わせる。

 神を煩わせるなど、今までの神童たちには考えられないことだった。他の神童たちが、それを目撃する度に、神に気付かれぬよう眉を顰め、その場から去っていく場面を神は何度も視界の端に捉えていた。

 しかし、神にとって、この行為は全く苦ではなかった。

 それよりも、次はどんな方法で諭したら良いのかと思案することが、今の神には何よりも楽しいことだった。

 さすがに困り果てた際は、赤い眼の蛇の力を借りるなどしながらも、神は育てることにのめり込んでいった。

 奇形で生まれた代償は、思いもよらない形で神に変化をもたらした。


 神なしでは生きていけない神童。


 神は、その事実が嬉しくて堪らなかった。

 四十四番は、ふらりと一人ででかけることがある。周りに疎外されているのがなんとなくわかっているのか、四十四番は神と蛇以外の生き物には近づこうとはしなかった。しかし、好きな場所はあるらしく、それは蛇の住処であったり、長らくいた生命の木であったり。神は暗くなる前に迎えに行く。今日はそこか、と目星をつけて行くと、四十四番は読み通りそこにいた。帰ろうと言うと手を差し出すと四十四番は嬉しそうに神の手を取るのだ。そのことがたまらなく神の胸を締め付けた。

 特に神は木に登る四十四番の迎えを気に入っていた。

 四十四番は、他の神童より細く身がつかない。まだ背丈もどの神童より小さい。

「四十四番降りといで」

神がそう呼べば四十四番は嬉しそうに笑い、神の胸に飛び込んでくる。それを受け止め抱きしめる。すると神はなんとも言えない気持ちになるのだ。

 しかし、神はこの感情の行方を知る由もなかった。

 

 そんな神の様子に、未だ四十四番を受け入れられずにいる他の神童たちは黙っていることが出来ず、神に一つの願いを言った。

「偉大なる人。我らを生みし、偉大なる人。どうか、どうか、我らに仲間をお与えください。我らに仲間をお与えください」

 他の神童を代表して、一番が、四十四番を自分の膝に乗せて座っている神に向かい、頭を垂れる。

「そうか。そうか。久しく何もしなかった。その願い、確かに聞き入れよう」

 他の神童の願いを別の意味で受け入れた神は、大きく頷いた。


 そうだ。四十四番を受け入れることの出来る神童を創り出してやろう。


 大人しく神の膝に座っている四十四番の、右顔を隠している長い長い髪を、神は優しく梳いた。

 こうして、神は再び、人間を創りだしたのだった。

 

 全ては、四十四番を想うがために。

 

 しかし、生まれる神童、生まれる神童、誰一人として四十四番を受け入れることが出来るものはいなかった。

 あの、皮膚が爛れた奇形な顔立ち。心に触れるより先に、皆、その姿に怯え、遠巻きにしてしまう。そして、自ら一線を越えようとする神童は現れなかった。

 とうとう神は煮詰り、足を運んだ先は、赤い眼の蛇のところ。訪れた神に、蛇は何も言わず、神の傍らへ近寄った。

「赤い眼の蛇よ。私は悲しい。皆が私の血を受け継ぐ子であるのに」

 打ちひしがれる神に、蛇は力なく告げる。

「人間様。人間様。それでしたら、どうか、私を使って人間様を創ってくださいませ。私は、この楽園に生き長らえてきましたが、今日の太陽が沈みます時、終にこの心の蔵の音が止まります。どうか、どうか、私の血を使い、人間様を創ってくださいませ」

 蛇の言葉に、神は静かに頷いた。

「そうか。長きに渡り、ご苦労であった」

 神は、陽が沈むその時まで、蛇の体に手を添えていた。

 

 こうして創り出されたのが、八十八番目の神童だった。

 八十八番は、赤い眼の蛇との約束通り、その血を、心の蔵の血を織り交ぜ、生み出された神童で、身の丈は、神の胸元辺りまであり、鋭く光る赤い眼が印象的である。

 鋭い目元のせいか、妙に冷めたように感じられる部分が垣間見えた。

 驚いたことに、八十八番は、他のどの神童よりも、知の能力に長けていた。神が、能力の葉を弄ってないにもかかわらず、八十八番は生まれながらにして、秀才であった。まるで、赤い眼の蛇の魂が、そのまま心の蔵に宿っているかのように。

 神が、唯一特別にしたことと言えば、白い烏から譲り受けた未知の実を、八十八番の体内に埋め込んだことだった。

 この未知の実は、その生き物が、まだ手にしたことのないものを覚醒させることの出来る実だという。

 神は、聡明で賢かった蛇への恩義も含め、その実を八十八番へ埋め込んだのだった。

 

 そうして、神は八十八番を一番初めに四十四番に紹介をした。

 赤い眼の蛇を慕っていた四十四番は、蛇の死を聞き、それはそれは、動揺を露にし、お気に入りの林檎の木の枝からしばらく下りて来ようとはしなかった。

 そんな四十四番に神は呼びかける。

「四十四番。下りといで」

 四十四番は、神のその声を耳にすると、渋々といった表情で、ゆっくり、ゆっくり、いつも以上に時間をかけて、そこから下りて来た。その姿に苦笑しながら木を降りた四十四番の頭を優しく撫でる。顔を見ると、泣きはらした目をしている。神はその目頭を丁寧にぬぐってやった。

「この子は、八十八番だ。お前の新しい仲間だよ。この周辺を案内してあげなさい」

 この頃から四十四番は、物事をよく理解し出してきた。神が紹介をした八十八番の顔を見て、何か感じ取ったのだろう。四十四番は泣きそうな笑顔で返事をした。

「はい。人間様」 

 四十四番は、神のことを赤い眼の蛇と同じように人間様と呼ぶ。神は、それを蛇への恩義からくるものとして認識していた。

 四十四番が手を八十八番に向かい差し出すと、それを何の躊躇もなく八十八番は握った。

 それは、神が人間創りを再会してから、初めて起きた出来事だった。

 大抵、新に生まれて来た神童たちに四十四番を紹介すると、長い髪で覆い隠しても垣間見える、腐れた眼球、削げた皮膚を視界に入れた途端に、一目散に逃げてしまう。それを、八十八番は微塵も感じさせず、四十四番の手を握ったまま、二人で道の散策へと行ったのだった。

 神はそれを複雑な心境で見送った。

 

 これを遠巻きに見ていた他の神童たちは、安堵の息を吐いた。


 これで、偉大なる人の自由が保障される。

 

 他の神童たちの狙いはそこだったのだ。神を拘束する、あの汚らわしい異端者をどうしても傍らから引き離したかったのだ。

 格段、四十四番の何が悪いわけではない。

 けれども、四十四番は、何が起ころうと汚れた異端者であることに変わりはなく、自分たちの作り上げてきた輪を壊さんとする脅威の存在であった。

 それを守るためには、贄が必要だったのだ。

 そこで、他の神童たちは森に精通している白い烏に相談を持ちかけた。すると烏は一つの実を見せた。

「これは、未知の実と言い、その生き物の中に眠っている情を覚醒させる力を持っている。そして私は、人間様の中で、まだ目覚めていない情を知っている。これを新に生み出される人間様に埋め込ませれば、その人間様は絶対にあの汚らわしい異端者を気に入るだろう。だたし、埋め込む間合いが大切だ。下手に渡して使われてしまったらお仕舞いだ。もうじき、盲目と化した赤い眼の寿命が尽きる。きっと、やつは汚れた自分の血で人間様を創ってくれと頼むに違いない。その瞬間を狙えば、全ては上手くいく筈だ」

白い烏の言葉は正しかった。上手い間合いで烏が渡した未知の実を、神は何の疑いもなく赤い目の蛇から創り出した八十八番へ埋め込んだのだ。

そうして、案の定、八十八番は四十四番の手を取り、神から四十四番を引き離してくれた。


 全ては計画通り。何一つとして、しくじっていなかったのだ。そう、何一つとして。

 

 その頃から、神は焦りの消えない日々を送っていた。

 常に神と共に居た四十四番が、居ないのである。

 良かれためを思い、創り出した神童は、あろうことに、神にとって一番の存在を丸ごと奪い去った。


 なぜ、あの子が居ない。


 神と共に居た筈の温もりが、今はとうに冷め切って、そこに風を吹かせていた。

 堪えきれず、神はついに行動に出る。

 目的地は、唯一のお気に入りの場所。

 神の想像どおり、四十四番と八十八番は林檎の木の枝に登っていた。嬉しそうに微笑む四十四番は神だけに対して向けていた表情。それが今や八十八番にも向けられていた。八十八番はするどい目つきが嘘のように優しいものになっていた。ふと二人の顔が近づく。八十八番が四十四番の顔を舐めた。四十四番もお返しとその顔を舐める。その表情には嫌悪もなにもなかった。ただただ幸せそうな二人が見えた。

 

 足元から黒いなにかが押し寄せてくるような感情。

 

 その姿を捉え、神は咄嗟に呼んだ。

「四十四番。下りといで」

すると、四十四番は、その声に反応し、神の姿を視界に入れた。

「人間様。 どうかなさったのですか」

 無邪気な笑みを神に向け、四十四番は問い返した。

 神はその言葉に絶句を覚える。

「いいから、こちらへ、下りといで」

 神は、つい、激しい声を上げ、四十四番を呼んでしまった。

 四十四番は左目を丸くし、一瞬竦んだが、おずおずと神の元まで下りて行った。

「に、人間様。どうかしたのでしょうか」

 いつもと雰囲気の違う神の様子に、怯えを隠しきれない四十四番は、恐る恐る尋ねた。

「ああ。大きな声を出すつもりなどなかったんだ。すまない。この間、見たがっていた花が咲いたと鳥が教えてくれたんだ。おいで。道を案内してあげよう」

 そう言い、神はその手を差し出した。

「はい。人間様」

 四十四番は、素直に返事をし、神のその手を握ってきた。


 ああ。なんだ。何も変わっていなかったのか。


 神は、安堵と共に歩き出そうとしたその時。

「八十八番。行きましょう。先ほど話したお花が見られるそうですよ」

 四十四番は、当たり前のように、まだ木の上に居る八十八番を呼んだ。

 神は、その現実に愕然としてしまう。


 違う。そうではない。私はお前の笑顔だけが見たいのだ。


 神のその想いは今の四十四番には届かない。


 その日の夜のことだった。神が眠れず、星々の輝きを眺めている傍らへ、八十八番が訪れてきた。

「偉大なる人。偉大なる人。どうか、私の話を聞いてくださいませ」

「何だ。何を望んで私に訪ねる?」

 神は目線を合わせまいと、星を眺めたまま言葉を返した。

「偉大なる人。偉大なる人。私の心は欲しています。四十四番の全てを欲しています。私は抱いているのです。張り裂けんばかりの想いを。どうか、どうか、私に、四十四番を与えてくださいませ」

 八十八番のその言葉に、神は妙な喉の渇きを訴えた。

 四十四番を八十八番に与える。

 どういうことだ。それは、一体、どういう意味だ。

 私の手から四十四番を奪うというのか?

 奪われたくない。失いたくない。あの子は! あの子は!

 

 神は、息継ぎの方法を忘れてしまったかのように、上手く声が紡げなかった。やっとのことで次いだ言葉は、何とも哀れな発言だった。


「あのこは、汚れた異端なる者だ」


自分の発した言葉に動揺を隠し切れず、神はついに八十八番と視線を合わせた。

「いいえ。あの子は麗しい人です。誰よりも澄んだ心を持っておりましょう。あなたが、唯一それを解っているものだと思っておりました」

 静かな声とは反対に、八十八番のその赤い眼に確かな熱を神は見た気がした。


そして、気がつく。これは、神への宣戦布告だということを。


 明くる日。神は、やり場のない想いを抱え、森へ赴いた。全ては、あの八十八番が在るがため。

 これほどまでの激情を、神は今まで体感したことがなかった。このままではいけないと思いながらも、それを消すことが出来ない。胸を掻き毟りたくなる思いだ。のた打ち回りたい。叫びたい。何かを傷つけたい。今までにない感情が神を徐々に浸食し始める。

 すると、そんな神の前に白い烏がやって来た。

「人間様。人間様。ご機嫌麗しゅう。如何でございましたか。未知の実の効力は。素晴らしい人間様が出来ましたでしょう。他の者たちは人間様をご心配しておりました。人間様は、常に自由であるべきだと。よろしゅうございます。よろしゅうございます。人間様に束縛はお似合いになりません。人間様はお優しゅうございます。それはそれはお優しゅうございます。あの汚れた赤い眼の蛇の望みを叶えてやりました。汚れた赤い眼の蛇は大層異端者を気に入っておりました。それはそれは丸のみしたいと思うほどに。今、人間様と似た姿を手に入れてさぞ喜んでおりますでしょう。異端者はすでに汚れたあの赤い眼の蛇のものでございます」

 烏は、さも得意げに、神の心情など微塵も察せず、語りだす。


 そうだ。これだ。これが全ていけなかったのだ!


神がある答えを導きだしたことなど、烏は露知らず、その嘴が止まることはなかった。

神は激情に任せて口を継ぐ。


「なぁ、烏よ。そなたに白は似合わない。きっと、その体内は漆黒の闇より黒かろう。だったらいっそ、全てを黒に染め上げるがいい!」


 轟と一瞬の発光。

 それは錯覚と思いちがえてしまうくらいの出来事だった。

 止まらぬ烏に神は割って入り、神が言葉を告げた瞬間。

 頭上の雲が灰に染まったと思った瞬間、烏目掛け、稲光が落下した。

 烏は断末魔の叫びを上げ、その場で横たえた。

焼け焦げたその姿は、端から端まで余すことなく黒くなっていた。

神は自分の溜飲が下りたのが分かった。その現状に、今までにない高揚感を得る。

自分の言葉が初めて現実となった。

今まで、幾度となく絶えず望みを口にしてきたが、叶ったことなどは一度たりとありはしなかった。けれども、今のは何であろうか。

烏相手に浴びせた一言が、意図も簡単に目の前で起こったのだ。

再び試しに、一厘の花に「枯れてみろ」と告げてみる。すると、花は見る見る色を失くし、土と同じ色をしたものが横たわったのだった。


自分には命令ができるのだ。

祝福された大地たちを従わせることができるのだ。


それが例えどんなことであっても。


これは何て幸いな。

神は細く笑った。

これで、一つの節目を着けよう。

全てを邪魔するものたちに。

 

 神は、早速、全ての神童たちを呼び集めた。

 今では、百人にまで膨れ上がり、神の周囲に腰を下ろしたその集団を見て、神は人知れず微かな息を吐いた。


 なんて愚かな光景だ。


 四十四番は八十八番の隣に腰かけた。しかしそれを神は良しとはせずに、お前の場所はここだというように、膝の上に四十四番を座らせた。

神は全ての準備が整ったように、話し始めた。

「皆に集まってもらったのは、他でもない。今日は、皆にとって重大なことを告げるために呼んだのだ」

 神の言葉で、一瞬にして神童たちが騒ぎ出す。

 神は、それらを咳払いで黙らせ、更に言葉を続けた。

「ここに居るものよ。私の声で立ちなさい」

神の言葉に、神童たちは何の疑いもなく、下ろしていた腰を上げる。それは八十八番も同じこと。そして、例外なく立ち上がろうとした四十四番の腰を神は力強く押さえ込み、その行動を阻止し、次に神は言い放った。


「私の言葉で立ちし者たちよ。決別の時だ。下界へと降りるがいい。さようなら」


 神童たちは、唖然とした。


 神の真意が理解できず、呆然と皆が皆、神を凝視した。その瞬間。

 地の底からの地響き。

 徐々に徐々に地面に亀裂が入り、神童たちの足場が一気に崩れる。

 悲鳴が上がる。

 割れた地面の隙間から、一人、また一人と楽園よりも更なる下層へと落下してゆく。

 

 それはまさに地獄絵図。


 楽園にいることを信じて疑わなかった神童たちの罪だと責めるかのように。

 神ですら、獣に教えられ、その存在を知識としてしか認識していない下界へと、微塵の躊躇もなく、神の血を受け継ぐ神童たちを次々と落としていった。

 堕ちた先のことなど、神は知りもしない。無感情にその光景を見つめ続ける。


「人間様っ。人間様っ。これは! これは、どうして!皆が、落ちてしまいます! お止め下さい! お願いでございます! お止め下さい! お願いでございます!」

四十四番が傍らで神を必死に呼び、どんなに制止を懇願しようとも、神はそれを撤回することはなかった。非常に扱われた神童たちに対して震え涙を流す四十四番を神はいつもしていたように宥め、髪を梳き、額に口づける。

「いいのだ。これで。お前が悲しむことはなにもない。私がいる。私しかいない。安心しなさい」

 どのくらいの時が過ぎたか。神がいる場所より下方は大地がひっくり返り無残な有様となっている。徐々に聞こえなくなっていく悲鳴。四十四番以外の全ての神童たちの姿が視界から消えていった。


 全てが終わった。


 私から四十四番を奪う全ての者が地へと落ちた。

 少なからず、神はそう思い、震え怯える四十四番を押さえつけていたその手を少し弛めた。


 しかし。


「四十四番」


あの忌々しい八十八番の声が確かに四十四番を呼んだ。

すると。

神の手をすり抜けた四十四番が声の元へと駆け出して行った。

「戻れ! 戻るんだ! 四十四番!」

神はそれを慌てて追いかける。

神の手をすり抜け、崩れる不安定な地面を移動しながら四十四番は必死に八十八番を探した。

「ここだよ。ここにいる」

ようやく見つけた八十八番は、崩れかけた地に必死に摑まり、今にも落ちそうな姿だった。

神が追いつき、あと少しで四十四番へ触れるその瞬間。

 八十八番は掴んでいた地から手を離し落下を始めた。

 すると四十四番は、何の躊躇いもなく八十八番のもとへと飛び込む。八十八番は落下しつつも、しっかりと四十四番を受け止めた。

 二人は、決して離さんとばかりに、強くお互いを抱き締め合いながら、灰色の靄が広がる地へと落下していった。

 慌てて下層を覗いた神と視線が合った八十八番の赤い眼は、綺麗に弧を描き、それは、見えなくなるまで、決して逸らされることはなかった。


 こうして神は人間と分離を果たした。

 何よりも欲した者をも失いながら。

 そして、下界へ落とされ、苦痛と労働を強いられるようになった神童たちは、楽園を恋しく想いながら、やがて自分たちを落とした偉大なる力の者を「神」と呼び、崇め、奉るようになっていったのだった。



これは昔々の人間のお話。


 


つたない文章をここまでお読みいただきありがとうございました。


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