喜べる筈が無い。
久々の本編です。
『美しい鳥籠の森。』の続きです。
今日も今日とて、掃除、洗濯、炊事。森で食べ物を採取して、調理して、お父様へ提供して・・・
そんな、同じような日常が繰り返される。と、思っていたけれど・・・それが少し、変化した。
変わらなかった日常へ、新しいルーティンが加わることになってしまった。
なんというか、あまり歓迎できない…いや、私的には全く以て歓迎したくないルーティンが。
今、私の目の前にどーん! と鎮座しているのは、光沢のある純白の布地と同色の糸だ。
糸紡ぎの得意な妖精が蚕から紡いだ絹糸と、それを機織りが得意な妖精が織って出来た手間暇の掛かった手触りの良い綺麗な布、なのだそうだ。
これを、私の好きに使っていいと言われた。
「はぁぁぁ・・・」
そんな綺麗な布地を前にして、出て来るのは重苦しい溜息ばかり。
普段だったら・・・こんな綺麗な布地を貰って好きに使っていいと言われれば、どんな洋服を作ろうかとワクワクして喜んだことだろう。
けれど、「そろそろ婚礼の準備が必要でしょう? 貴女の為に最上級の布を用意したのです。仕上がるのを楽しみにしていますよ。アマンダ」と、然も喜びなさいと言わんばかりの笑顔でシリウス兄様から贈られたのが、この純白の布地だ。
つまり、『婚礼衣装を作れ』とのお達し。
そして、婚礼衣装を縫い終えたら・・・
私は、シリウス兄様へ嫁がなくてはならない。
私の気持ちを置き去りにして、どんどん外堀が埋められて行く感覚。
まぁ、それも随分と今更なことだけど。
昔から…物心付いてから今までの間、お父様やシリウス兄様が、私の気持ちを尊重してくれた覚えなんて無いし。
数年後には・・・という曖昧だったタイムリミットに、『婚礼衣装が縫い上がったら婚姻』だという、明確で目に見える期限が設けられてしまった。しかも、その期限を自分で縮めて行かなくてはならないのだから・・・
喜べる筈が無い。
憂鬱過ぎる。
まあ、衣装が縫い上がるのに時間を要するので、数年後……なのは、変わらないのだけれど。
花嫁は、婚礼までに自分の婚礼衣装を縫い上げる。それが、結婚式までの準備期間。
実際は、衣装が縫い上がってから式を挙げるというのが実情なのだけど。
本来なら、婚礼衣装は親族や近所の女性達が家に集り、協力して縫い上げるものだ。
けれど、私にはお母様がいない。そして近所には、私と同年代や年上の女性達がいない。
私が小さかった頃、近所のお姉さんの婚礼衣装作製に、お母様と他に数名の女性が集まって作業をしていた記憶があって、ちょろちょろと手伝いにならない手伝いをした覚えがあるけど・・・
今は……近所に住んでいたそのお姉さんも、おば様方も、いつの間にか全く外出しなくなって・・・小さい頃以来、見かけてもいない。
誰かが亡くなったという知らせも、お葬式も無かった筈だから、ご存命だとは思うんだけど・・・
おそらく、近所の女性達の助力は望めないと思う。だから、私は一人で婚礼衣装を縫わなくてはいけず、かなりの時間が掛かるだろう。
更に言えば、やる気も無い。
婚礼衣装を縫うのは、花嫁が心の準備をする為の期間だとも言えるけれど・・・
昔。近所のお姉さんは、「これを縫上げたら、あのヒトのところへ嫁ぐのよ」そう言ってはにかみながら、幸せそうに微笑んで婚礼衣装を縫っていた。
だけど私は、あんな風に『シリウス兄様に嫁ぐことになって幸せ』だなんて、笑顔で言えないだろう。そういう気持ちを、全く覚えない。
我ながら、『シリウス兄様の花嫁』予定として、この感情は少しどうかと思わないでもないし、失礼なのは百も承知だけれど・・・私はやはり、シリウス兄様が苦手だ。怖い、と言っても過言ではないかもしれない。
そんなワケで、純白の美しい布地と絹糸を前にして、憂鬱で重苦しい溜息ばかり吐いている。
手が進むワケがない。
楽しくない。面白くない。
けれど私は、それを嫌だなんて言えない。自分で『婚礼衣装』を作らなくてはならない。
あの、シリウス兄様へと嫁ぐ為に・・・
これは、ずっと前から決められていたこと。
私がユニコーンの長の娘で、ユニコーンの年若い男性達の中で殊更優秀だったのが、シリウス兄様だったから。
これは、一族の繁栄の為の婚姻。だからそこに、私なんかの意志が介在する余地は無い。
そういう風に、お父様が決めた。
とは言え、私にだって個人としての人格や意志はちゃんと在る。
まぁ、それが考慮されることなんか、無いんだけど・・・苦手なモノは苦手だし、怖いモノは怖い。嫌だなんて、言っても聞いてもらえない・・・というか、私の我儘だと見做されることが判り切っているから、言わないだけだ。
「はぁぁぁぁ・・・」
とりあえず、婚礼衣装用の型紙を探すことから始めなきゃいけない。どこに仕舞ってあるのかしら?
※※※※※※※※※※※※※※※
そんな風に、やる気の無いまま自分の『婚礼衣装』の作製を始めた私は――――日課の掃除、洗濯、炊事、そして食料採取にわざとゆっくり時間を掛けるようにした。
針仕事は日のある明るい内にすべき仕事で、暗くなってからは縫い物なんてできない。ランプがあっても、夜は暗い。私は最近、鳥目になってしまったのだ。今のところ、治る予定はない。
そして、「私一人では家事で手一杯で、残念ながら婚礼衣装にまで手が回らないわ♪」ということにして、午後の空いた時間に仕方無く、やる気も無く、「難しい」と唸りながらチマチマと針を進めている。お父様が、家事のことがわからないということを利用して。
まぁ、こんなことをしても、所詮は単なる時間稼ぎに過ぎないけど・・・
それでも私は、少しでもシリウス兄様との婚姻を遅らせたい。嫌だ、なんて言えない分。
ということで、今から食料採取だ。
調えられた森を歩き、美味しそうなキノコや山菜、木の実を摘み、食材を集める。
「あ、そろそろ薪も無かったわね」
なにを作ろうか考えていると、そろそろ薪が尽きそうなことを思い出した。
乾燥した小枝や落ちた枝を拾い集めるのは、案外面倒だし時間を食う。
時間稼ぎは歓迎するけど、労力は掛けたくないし、生木を折ることも、なるべくしたくない。
やはり私は、我儘なようだと自分に苦笑する。
食材を探しがてら、森を見渡して枯れている木、または枯れそうな、けれど脂の少ない木を探す。
脂が多い木はよく燃えるけど、煤も多く出る。家の中で燃やすには向かない。
そして無論、妖精が住んでいない木に限る、という条件は絶対に忘れてはならない。
この森に住んでいる妖精達は知能が低いけど、怒らせるとなかなか厄介だ。
小さい子供のような彼らに嫌われると、長期間に渡って酷い嫌がらせをされる。この森に住む彼らは、執念深い性格をしていて面倒だ。
そして、
「ああ、これなんかよさそうね」
脂の少ない種類の、適度に細くてそろそろ枯れそうな木を発見した。勿論、妖精の気配もしない。
「ごめんなさいね」
どうせ、この枯れかけている木は後で誰かに倒されてしまうことだろう。この森は、お父様達に拠って管理されているのだから。
なので、今ここで私が倒して薪にしても遅いか早いかの違いだ。というワケで・・・
両手で包める程の太さの木にそっと触れ、枯れかけている木から更に水分を飛ばす。
ミシミシッ! パキパキッ! っと内側から音を起て、急速に乾燥して行く木。
完全に乾涸び枯れ果てた木の、手が届く高さの枝を掴み、ぐっと力を入れる。と、バキン! と、枝が折れた。そして、届く範囲の枝を折って次々と地面に落として行く。
「こんなものかしら? さて、と・・・」
キョロキョロと辺りを見渡し、誰もいないことを確認する。気配も……動物のものしかない。
「よし♪・・・ていっ!」
掛け声を出し、枯らした木の根本へと強めの回し蹴りを叩き込む。と、バキバキッ!! っと音を起てて、ドン! と木が倒れて行った。
「薪確保♪」
更に、ガシガシと蹴ったり、力を籠めて踏み付けながら木をバッキバキに折り、運び易い大きさにする。
「うふふっ♪……あぁ……楽しい♪」
なんというか、こう・・・日頃の憂さ晴らしになるのよね♪スカートだから、ちょっと蹴り難いし・・・少~しはしたないかな? とは思うけど。
「ふぅ・・・そろそろ帰りますか」
久々にいい気分でいたら、
「・・・大きな音がしたからなにがあったかと思えば、全く」
溜息と共に、呆れを隠さない低い声がした。
「アマンダ。わたしは以前にも貴女に言いましたよね? 長の娘、そして年頃の娘としての自覚を持ち、いい加減に子供のような真似はやめて落ち着いた振る舞いを覚えなさい。普通の女性達のように振る舞いなさい、と」
諭すように、声音だけは優しく言い募る言葉。
「女性は多少愚かな方が愛らしいと言われていますが、貴女はわたしの妻になる女性ですよ? このままでは困ります。貴女は、いつまでその名の通りに愚かでいるつもりですか? 愚かな娘」
いい気分だったのが、どんどん萎んで行く。
「・・・普通の女性達のような振る舞いって、なんですか?」
低い声が出た。普通の女性のような振る舞いだなんて、そんなの、私は知らない。
私のお母様はもういないし、年上のお姉さんやおば様方は、長いことその姿を見ていない。
そして、同年代に女の子はいない。みんな男の子ばかりだ。周囲に女性がいない。そんな環境で、普通の女性のような振る舞いをしなさいと言われても・・・
知らない振る舞いを、私はどうやって覚えればいいの? そんなことを教えてくれるヒトも、お手本となるようなヒトも全くいないというのに?
シリウス兄様のお母様だって、私に会ってくれない。長いこと、その姿を見ていない。
「妻となる女性は当然、貞淑で従順であるべきでしょう。そして、常に夫を立てるものです。妻は夫の所有物なのですから。アマンダ。貴女は余計なことなど考えず、大人しくわたしの言うことに従っていれば、それでいい」
「・・・余計なことって、なんですか?」
「やはり、わかりませんか。その質問自体が、余計なことなのですよ?」
私が考えることが、知りたいと思うことが、余計なことだと言うの・・・?
「愚かな娘。貴女は一体、わたしのどこに不満を持っているのですか? こんなにもわたしは、貴女へ優しくしているというのに」
呼ぶ声に、諭すような声に含まれる感情は・・・
「っ!?」
シリウス兄様の顔を見たくなくて、走り出す。
「待ちなさい、アマンダ」
呆れ混じりの呼び止める声を無視して、そのまま足を動かす。
いつも、そうだ。湧き上がる悔しさ。
お父様やシリウス兄様は、いつも私のことを愚かだと言う。アマンダ…アーモンドの花言葉の通りに、私の言動が『無分別』で『軽率』、考え無しで『愚か』な娘なのだと。
お父様やシリウス兄様はいつも『正しく』て、私の方が間違っているのだと言う。
けれど、彼らが「アマンダ」と名を呼ぶとき、いつだってその目の奥に宿るのは私への軽侮と、見下すように嗤う感情が含まれている。
私が、そんなことに気付かない程に愚かなのだと、彼らは思っている。私を侮っている。
確かに私は、分別が無くて、軽率で、考え無しの愚かモノなのかもしれない。
それでも、私にだって意志や感情は在る。馬鹿にされれば、悔しく思うのも当然だと思う。
なのに、あのヒト達はそれさえ、間違っていると言う。『正しいこと』が判らない、名前通りの『愚かな娘』だと、私を見下しながら・・・
それらを振り払うように走って、走って・・・
「ハァっ、ハァ・・・ここ、は・・・?」
気付いたら私は、外の森との境界近くにいた。日の光を遮る深い緑の、鬱蒼とした暗い外の森。
遠いと思っていた外との境界は・・・やっぱり、駆けてしまえばそんなに遠くなかった。
この境界を越えれば、この丹念に調えられた箱庭のような森から出られる。
私、は・・・
読んでくださり、ありがとうございました。
リュース、結構お転婆ですね。足癖が…まあ、アルの母親ですからね。
そして、シリウス。考え方が普通にモラハラ夫的な感じですね。フェンネルとの違いを感じて頂けたでしょうか?




