蒼い薔薇
お題
○○で会いましょう
ブルーローズ
初恋の思い出
最強設定じゃなかった
噛んじゃダメ
制限時間1時間を15分ほどオーバー
三歳になった息子がリビングに飾られた色とりどりの車の模型を指差してひとりでお喋りをしている。
「ブーブー、ブーブー」
「ブーブーだね? それはね、くるまっていうんだよ」
「ちいろ、ちいろ。ぼくこのいろだーいちゅき」
「違うよ、これはあか。ポストの色と同じだねー」
息子はまだ幼いというのに私の性分に似たのか車自体よりもその色に興味を示していた。ただひとつ、必ず黄色だけは赤と間違える癖があった。医者に何度も確かめたが病気ではないらしく、単なる記憶違いであるらしい。いつも間違いを訂正するやりとりが繰り返されるのだ。
しかし彼の目に写るのが同じ赤であるとしても、それぞれ本当に同じ色彩を感じ取っているのだろうか? というイノセントな疑問もきまって湧きおこるのが不思議だった。この世界にひとつの色、として存在しているのは決まった事であるとしても、それを、息子の言うように、本当に赤を、私が思う黄色に感受しているとするならば、それは本当に赤なのだろうか、それとも、私のほうこそ間違っていてそれは息子の言う通りに黄色なのであろうか? そんなとりとめのない考えを抱くが、しかしそんなことはあるわけがないといつも自分自身で否定するのがオチだった。
ある意味微笑ましい日常でもあったが、私はそれより決まっていつも初恋の思い出を想起するのであった。
中学時代、私は将来花屋で働くことが密かな夢だった。野球少年で部活の友人もいたし悪さもするくらいの普通の少年に過ぎなかった私。万引きやタバコみたいな不良らしいことに走ったわけではなくて、町をうろついて平気でゴミを捨てたり塀に落書きをしてみたりというガキっぽい悪さだった。川や崖のある山などに探索に行くことも多かった。
しかし心中では、色彩に関する興味が強くて、特に、この世界に花という美しいものが存在しているということが奇跡のように思えてしかたなかった。
休日のその日は独りだった。部活も終了した三年の夏休み前。暇になってこれから自由をたっぷり得られたというのに、皆と私のテンションはちぐはぐしてしまって残念だ。それまで同じようなガキであったはずの連中が、皆こぞって塾になど通い始めてしまったのだ。
近所に美しい家があった。大きさは普通だったが、白塗りの壁や装飾が綺麗に施されていて、いかにも金持ちの家といった感じだ。庭には美しい色とりどりの花々が植えられていた。中でも目を惹いたのは薔薇の花々で、それを見たら他が目に入らなくなるほど堂々とした威風を放っていた。
私は時々ここを通ることがあった、前々からその薔薇が欲しかったのだ。皆悪さを働きはするが、さすがに金持ちの家に植えられた高級な花を盗むようなことは皆の前でははばかれた。しかしその日は誰もいなかった。私の心に潜んだ衝動がしだいに抑えられなくなっていく。引き寄せられるように庭へと侵入してしまった。無心のことであったように思う。
近づいてみる、とても美しい。しかし花弁から下に目線をおろすと茎には棘が。
鮮やかな花弁と鋭い棘。女性の形容に使われているこの二つのそぐわないような組み合わせが、なぜだかとても耽美的な印象で私の心に刺さった。
綺麗だった。真紅の薔薇の花弁は初夏の濃い青空から注がれた太陽に照らされ透けていた。
「どんな味がするんだろう?」
ふいに、手を伸ばしていき、その花弁を千切った。
「何をしてるの!」
少女だった。齢のころは同じくらいだろうか。しかしこの姿は記憶になかった。
「ごめん、あまりに綺麗だったから」
「どろぼう。ねえ、どうして花びらを千切っているのよ」
背丈は成長真っ盛りだった私と変わらないくらいだったが、声がか細くかん高く、幼く感じられてそぐわなくかんじた。
「ねえ、あまり見ない顔だけどうちの中学?」
「なに言ってんのよ、わたしは六年生よ」
「えっ」
「でもあまり学校行けてないんだ、病気がちなの」
「そんなに大きいのに」
しかしよく見ると蒼く透けたような肌は白くて病弱だった、でも美しい、もしもこの世に青い薔薇があったらこんな感じだろう。
「あまりに綺麗な赤だったからつい」
「そう。わたしには青く見えるわ」
「え?」
「病気。あまり光に当たっちゃいけなくて、でも今日は朝から体調がよかったからお庭にでたのよ。体調がよくてよかったわ、おかげで泥棒を捕まえられたもの」
「ちょっと」
それから彼女と私はよく会うようになった。夜なら彼女も出ることができ、こっそり庭で待ち合わせたり下手をすると外出することすらあった。彼女の両親は仕事が遅く、いないことも多かったのだ。私にとっての初恋の相手こそ彼女だった。
よく花屋にも行った。近くの繁華街には夜に営業する小さな花屋があったのだ。
「綺麗だね」
私はうっとりと花を見渡す、そして彼女の顔。花よりも美しい、そんな感じだった。
「ねえ、あの薔薇の花言葉って知ってる?」
彼女が指差したのは真紅の薔薇だった。私は知っていたが恥ずかしくて言えなかった。
『あなたを愛しています』
私が思う人に対してとても言えるようなフレーズではなかった。
「これはね、青いバラなの、ブルーローズ」
その当時ブルーローズなんて開発されていなかった。私が大人になってからの出来事だったから。不思議な気持ちだったが、彼女の病気を思い少し悲しくもあった。しかしやはり少年の自己主張がでてしまい、彼女を否定してしまった。
「青い薔薇なんてないんだよ、それにね、君には青に見えてるかもしれないけど、これは赤い薔薇だから」
「そう……」
それから彼女はしばらく押し黙ってしまった。悪いことをしたかな、病気もあるし。しかし青い薔薇などないのだからしかたない、そんな気分が入りまじる。
「もしね、わたしたちが大人になって、青いバラが開発されたとしたら、また、今みたいに庭や街で会いましょう」
「なに言ってるんだよ、そんな花なんて出来るわけないし、それにそんな先の話なんて考えられないよ。だってさ、また毎日こうして会えばいいだけだよ」
「うん。ごめんね。でもね、わたし病気がひどくなったらってとても心配で」
「大丈夫だよ。毎日笑顔もみせてるくらいだし、心配ないったら」
「ううん、違うの。わたし、そんなに強くないわ。神様はね、こんな体にわたしを作ってしまった、きっと、最強設定じゃなかったわ、最強なんておおげさね、それどころか、ちっとも強い要素なんてわたしにはない」
「そんなことないって」
私は大声でどなってしまった。
大人になった。彼女の言う通りだった。あの夜を境に私と彼女は会えなくなってしまった。そして一年も経たずに病気により彼女は……
私は息子を見ていた。妻は晩御飯を奥のキッチンで作っている。色とりどりの車の模型。夢はかなわずカーディーラーになった私。色鮮やかな塗装で我慢するしかないんだな、そんな感じで。
ある夜夢を見た。彼女だった。大人になった彼女。
「ねえ、ブルーローズ、綺麗よね」
彼女が手にしていたのは、本当に開発された本物の青い薔薇だった。
「久しぶりね」
「ああ、君、大人になったんだね」
「あなたこそ。妻子まで出来て羨ましいわ」
「ごめん」
「どうして謝るのよ。でも、こうしてまた、逢うことができた、嬉しいわ」
「そうだね。僕も嬉しいよ。ねえ、君にはこの薔薇、紅く見えてはいないの?」
「どうしてよ、青いじゃない」
「そうだね、ごめん。じゃあ、もしかして病気が治った?」
「ええ。こっちの世界ではね」
「こっちの世界? どういう意味さ」
「ううん、別に。ねえ、この花言葉わかる?」
「ええっと、調べてないな。ごめん、花には興味が減ってしまってさ。赤い薔薇の花言葉だったらわかるんだけど」
「じゃあそれでいい、教えてよ」
「あなたを愛してます」
「ふふっ、あなたも大人になったわね」
「えっ」
「うぶじゃなくなったもの」
「そ、そうだね」
「じゃあお礼に教えてあげる。夢かなう、奇跡、神の祝福、そして……」
彼女は青い花弁を一枚一枚千切りながら私へと花弁を花言葉をのせながら手渡していった。不思議な感じだった、夢であるのに、とても現実のようだったから。美しい花弁だった、大人になるにつれ花屋に就職するのは見にそぐわないような気持ちになり、今の境遇からすればやはり、今の収入は必要だ、皆、そうやって夢をあきらめながら大人になっていく。こうして、たとえ夢であっても、青い薔薇の花弁を実際手にすることは初めてであった。そう思っていた瞬間に、ふいに、この、ブルーローズの花弁の味は、どういう味がするのだろう、と気になった。
一枚ずつ手渡して花言葉を囁いてくれている彼女には悪かったが、その想念から頭が離れなくなってしまう。そして……ついに……
「ダメ! 噛んじゃダメ!」
彼女の声が鼓膜にこだましていた、私は夢から覚めていた。とても実感のある夢、彼女は本当に私に逢いに来てくれたというのだろうか。
スマートフォンを手にする。彼女が最後まで言えなかったブルーローズの花言葉を探すために……
『夢かなう』『奇跡』『神の祝福』……まるで夢の叶わなかった私や、生きることのできなかった彼女を嘲笑うかのような言葉の数々だった。夢の中で、あの花弁を噛もうとした私に、大声で叫び警告した彼女。あの夢を破ったのがその青い花弁だったとするなら、あのまま私たちがあの夢に留まっていたのであるなら……
そして最後にこの目に飛びこんだ、彼女の言えなかったブルーローズの花言葉。『不可能』。