三章
素早く家に帰り、軽装に身を包んで近くにある高い塔に登る。
その最上階は広場のようになっていて私は毎日のようにここで剣を振っているのだ。
羽はもう少しも動かせないので塔の中にあるエレベーターを使って当の最上階まで上がる。
塔の最上階にたどり着き外に出ると空は曇って暗かった。
どうやら天気予報通り雨が降るようだ。
「……なんでこんなに近いのに届かないんだろう。」
暗い空に手を伸ばしながら呟く。
この空の向こうには星空が広がっているというのに…
どうしたらあの先に行けるのか……そんなのを知っているのはこの世界を作った神だと言われている《クラリス》だけだ。
この世界における飛行限界高度はこの世界の神である《クラリス》が定めたものだという言い伝えがある。
なんとも飛行限界高度の上には神々が住む国があるというのだ。
神の世界。
そんなのあるわけがない。異世界なんて存在しない。それこそ人々が勝手に思い描いた幻想だ。
私はそんな幻想を打ち砕く。
飛行限界の向こうに行き、そんな国なんてないことを証明し、私が正しいことを示す。
「セイッ!!」
剣を精一杯前方に撃ち出す。
金色の弧を描きながら剣はヒュンッと音を立てた。
「……セアッ!!」
今度は連続切り。様々な方向から斜めに切り出す。
そうしていると前回洞窟でゴブリンの群れに遭遇した時のことをふいに思い出した。
あのときはソロだったので魔法を使う暇もなくて結構苦戦したのだ。
魔法は発動までに時間がかかる上に体力消費が早い。
だからそこまで練習してない魔法を使うよりも剣を使った方が私には都合がいいのだ。
しかし魔法に比べ剣はヒット率は高いがその分敵にかなり近づかなければ当たらないのが難点だ。
だが私には不確実な魔法よりも剣の方が信用できる。
「…はあ…はあ…」
結構な時間が経った。
汗を拭い剣を背中の鞘に納める。
そして塔のエレベーターの横の壁に背中を預けずるずると座り込んだ。
長時間剣を振っていたせいか腕の筋肉が張っている。
「はあ……」
深く深呼吸をし肺に酸素を送り込む。もう一度空に手を掲げため息をついた。
「……いつかあの空の向こうに行けるのかなぁ。」
「それはあんた次第だな。それがただの夢物語でも、努力すれば叶わないことなんてない。」
「ふぇっ!?」
突然響いた声に慌てて顔を上げる。
その声の持ち主は空の上でエメラルドに輝く羽を羽ばたかせていた。
「あ…あなた…!?」
目の前には今日の夕食のときに店内にざわめきと動揺を与えたあの《ケイオス》の少年が見下ろしていた。
「なんだ? ここはあんたの場所だったのか?」
「え? …いや、そういうわけじゃないけど……ってそうじゃなくて! あなた《ケイオス》の……!!」
「……その呼び方やめてもらえないか? そう呼ばれるのは…その……嫌いなんだ。」
少年はそのままゆっくり降下して羽をたたんだ。
「じゃあなんて呼べばいいのよ? あなた名前は?」
「……カナト。」
「苗字は?」
そう聞くとカナトは顔を伏せた。
「…そんなの別にいいだろ。呼ぶだけなら名前だけで十分だ。」
「そ、まあ言いたくないならいいけど。……じゃあカナト。なんでこんな時間にこんなところにいるの?」
「いきなり呼び捨てかよ…」
「まあまあ、別にいいじゃない。…で、なんで?」
そう聞くとカナトは顔を背けた。
「……がないから。」
「え…? なんだって?」
声が小さすぎて聞き取れなかった。
「だ、だから……宿がないから。どの宿にも門前払いされたから寝るとこ…ないし。山とか洞窟ははモンスターがいるから安心して寝れないんだよ…」
少し顔を赤らめながらカナタは小さく言った。
この手の話はよく聞く。
《ケイオス》を受け入れる宿なんてほとんどないのだ。
「そうなんだ。じゃあ、ここで寝る気なの?」
「そうじゃなきゃこんなところ来ない。」
「でも風邪ひかない? これから雨降るみたいだよ。」
「え…、マジか…。まあ、濡れた後に乾かせばいっか…」
「わー、すっごい無計画。」
「仕方ないだろ。それしかないんだから。」
そう言いながらカナトは私から距離を取って座った。
空を見上げるその顔はどこか憂鬱そうだ。
なんか、すごく帰りづらい。見捨てたみたいで。
そこで頭の中にある考えが浮かんだ。
「ねえ、カナト。行く当てがないなら私の家に来る?」
「……別に気を遣わなくていいよ。こういうの慣れてるし。」
「キミこそ気を遣わなくていいって。私一人暮らしだし。あー、私が女の子だから気を遣ってるの?いいよいいよ、私は別に気にしない。」
「いや、そうじゃなくて。……俺みたいなやつと関わってるとあんたまで裏切り者扱いされるよ。」
「私はそんなの気にしないよ。」
「……え?」
「気にしない。キミが何者でも。周りにどんな風に見られていても。」
「なんでそこまで…」
カナトが何かを言おうとしたがそのまま口を紡ぐ。
「さあ、行こう!」
座ったまま顔を伏せていたカナトの手を握り引っ張り起こす。
「私シルフィアーナ・エイントベルン。みんなはシルって呼んでる。まあ、ひとまずよろしくね。カナト。」
手を掴んだまま笑うと、カナトは小さく頷いた。