二章
シルフ領―――エインツェル―――
領地の中にあるホームタウンである《シーメルン》の門をくぐる。
この街はシンボルでもある大きな木を中心に周りを街が囲んでいる。
中央の木は《生命の樹》という名称で呼ばれていて、水を生み出す役割を担っているのでシルフ族に非常に重宝されている。
「おー!シルじゃねーか!今日はボロボロじゃねーんだな!」
「あらシルちゃん。今日はポーション買っていかないの?」
街のマーケット通りを歩いているといつものように冷やかしを浴びる。私はその声に苦笑いを返ししながら早足に歩いた。
なぜだかこればかりは納得いかない。どうして飛行限界高度の上に行きたいという誰もが抱いたことがあるような夢を抱き続けているだけでこんな扱いを受けなければならないのだ。全く腑に落ちない。
「シル―!」
聞き覚えがある声に名前を呼ばれ振り向く。
ミイナ・ワーマリン。
同じシルフ族で昔から仲がいい少女。この街で唯一私を変人扱いしない。だから採集やモンスター狩りにも一緒に行くことも多い。
「こんにちは、ミイナ。」
「やあ、今日もシルは可愛いねえ。」
「もう、からかわないで。」
「別にお世辞なんかじゃないさ。これはあたしの本心だよ! ……あれ?もしかしてこれから飛びに行くの?」
毎日街外れの山から飛行限界高度突破のために飛んでいることはすでにミイナには話している。
「いや?もう今日は行ってきたよ。まあ、結果はダメだたんだけど……」
「えー!でもその割にはボロボロじゃないじゃん!」
ヒールや回復用ポーションで回復できるのはあくまで体力のみで傷跡や服の綻びは治らない。だから街の人には私が街の外に出かけたらボロボロになって帰ってくるという認識をされているようだ。
「今日は地面に落ちる前にあのストーカーに助けられたのよ。悲しいことに。」
「あー……確かあのこの前採集に行ったときについてきてたウンディーネの子だっけ?あの子もめげないねえ。」
「こっちはいい迷惑よ。」
ほんとあのストーカー、今度会ったら容赦せずたたき斬ってやろうか……
「じゃあ、もう今日は家に帰るの?」
「ええ、もうどのみち今日は飛べないしね…。ご飯作る余裕もないしどこかで食べてから帰るよ。」
「じゃあ、あたしも一緒にいっていい?」
「いいけど、ここにいるってことは何か用事があったんじゃないの?」
この場所はミイナの住んでいる街からは少し離れている。
ミイナの住む街にも小さなマーケットはあるのだがこの街には多くの店が集まり品ぞろいも良いので週に一回くらいの頻度で利用しているようだ。
そのミイナは腰に手を当てニコッと笑った。
「ううん、もう用事は終わったからいいのよ。それより早く行こうよ!」
「わ!ちょっと、自分で歩けるから押さないで!」
「いいから、いいから!今日も疲れてるんでしょ!早くご飯食べて、街の大浴場に行こうよ!」
「なっ……!? 私大浴場に行くなんて一言も聞いてないんですけど―――!!」
背中を押されながら抗議したがミイナのとんがり耳には届いていないようだった。
マーケット通りの奥には食べ歩きが出来るようなちょっとした食べ物を売る店や様々なレストランが立ち並ぶ。
その中で特にお気に入りの店に入り、料理が来るまでの間の時間をミイナと世間話をしながら潰す。
「それにしてもシルは何でそこまで飛行限界高度の上に固執してるの? 昔も何人か挑戦し続けたけど結局ダメだったらしいじゃん。」
「あんなのただの噂でしょ。」
「そうだけどさ、もういい加減現実見ようよ? もっと楽しいこといっぱいあるよ。」
私は頬杖をついてミイナの声を聞き流す。
そんなのできるわけない。私はあの空の先に行くって決めたんだから。この世界の甘い幻想を打ち壊すために。
「……っと、ちょっと、シル。ちゃんと聞いてる?」
ミイナの声にハッと顔を上げる。
いつの間にか店内は静かになっていた。
「……なにかあったの?すごく静かだけど。」
「やっぱり聞いてなかった!だからあれ見てって!」
ひそひそと話しながらミイナが小さく指さした方を向く。
そこには一人の少年が立っていた。
だが、シルフではない。
真黒な髪、あの髪色はスプリガンの証だ。だがそうとはいい難い。なぜなら長い前髪から覗く彼の瞳は髪と同じ黒ではなく淡い緑色だったから。
普通は髪色と瞳の色は大体同じ色になる。
この世界における結婚は同じ種族で行われるのでその遺伝子を受け継ぐ子供も両親と同じ種族の血を色濃く受け継ぐからだ。
この世界にいる種族は多い。シルフ、ウンディーネ、サラマンダー、ノーム、エルフ、ピクシー、ホビット、スプリガン、シルキー、レプラコーン、クーシー、ケットシー。
その数は全部で十二種。
それぞれの種族が自分の種族に誇りを持っておりこの世界で自分の種族こそが一番だと考える人も多い。私を含め他の種族と交流する妖精もいるがその数は圧倒的に少ないのだ。
それに加え、他の種族と関わっていることが同じ種族に知られれば決していい顔はされない。
そしてごくまれに度の種族にも属さない者もいる。
それは《ケイオス》と呼ばれる者たちだ。
《ケイオス》というのは種族の違う愛し合う二人が裏切り者の汚名を背負ってまで結婚したのちに生まれた子供、つまり二つの種族の血を受け継いだ者だ。
《ケイオス》は度の種族にも受け入れられないのでそのほとんどが何処かの街でひっそりと生きるか路頭に迷うことが多いと言われている。いわゆる鼻つまみ者、出来れば一生のうちに関わりたくない者と世間でも悪い噂しか聞かない。
「……なんで《ケイオス》がこんなとこに?」
「……しかもスプリガンとエルフのハーフじゃねーか。そんな奴がなんでシルフ領に?」
周りの明らかに動揺したささやきが伝わってくる。
そんな中、当の《ケイオス》の少年はというと平然とした顔でカウンターの端の席に座った。
「野兎のスープと麦パン一つ。それと木苺のタルト。」
「は、はい!かしこまりました!」
少年は周りの動揺は完全に無視し、無表情のまま注文をする。するとカウンターの目の前にいたウエイトレスは慌てたように注文を取り厨房に引っ込んだ。
そこでミイナが再び小声で話す。
「あれって《ケイオス》よね。しかも見たところスプリガンとエルフのハーフなのにシルフ領に堂々と入ってくるなんてとんだ勇者だね。」
「まあ、そうね。」
「あ、でもなんかちょっと顔はかっこいいかも!」
「私は別に気にしないけどその発言はあまりしない方がいいよ。シルフが聞いたらミイナが裏切り者にされる。」
「やだなー、そんなおっかないこと言わないでよぉ。冗談だって!」
そんな話をしているうちに頼んだ料理が運ばれてくる。
「わー!おいしそー!!」
ミイナがはしゃいだ声を上げる。いつの間にか店内も賑わいを取り戻していた。
料理を口に運びながらちらりと少年の方を見ると少年は運ばれた料理をもぐもぐと咀嚼していた。周りのことなんて全く目に入っていないように。
よくよく見ると少年はどこか幼さを残した線の細い顔立ちをしている。髪は目がギリギリ隠れるくらいまで伸ばされていてその表情は窺えないが。
なぜだか親近感を覚える。何も間違ったことはしていないのに理不尽に周りに変わり者扱いされる。それでも否定も反論も出来ず、ただその言葉を受けるだけ、私と同じだ。
きっと彼はここだけでなく他の種族の街でも同じような扱いを受けているのだろう。それが彼にとってどれだけ苦しいことなのか、それは私にはとても想像が出来ない。
私が運ばれてきた料理を食べ終わるとちょうど《ケイオス》の少年も食べ終わったところの様で勘定をしそのまま店を出て行った。
店の中はそれからすぐにその少年の話題で持ち切りになる。
スプーンを置き、水を飲み干すとミイナが口を尖らせた。
「シル、食べ終わるの早いー。あたしまだデザート残ってるのにー。……あ、じゃあ食べ終わるまで待っててよ。」
「……悪いけど先に帰る。」
自分の分のお金を置きその場から去る。
このまま待っていたら大浴場に連れていかれるのが目に見えているのでここにとどまっているわけにはいかない。
「わー!ちょ、ちょっとー!シル!待ってぇー!」
背後からミイナが慌てたように声を上げたが聞き流した。