西野大地の災難
西野大地はとてつもなく死にたい気持ちに襲われている。
現在彼は、幼児体型になって陽子の膝の上で授業を受けている。
当の彼女は珍しくとても活き活きとしていた。
「北村さん。 五分経ちましたよ?」
「へ? もう五分経ったのですか? 仕方がないですね。 それじゃ大地くん。 また後でね?」
こうして陽子から別の女の子の膝の上に移動されると言う屈辱を何度も受けている。
そしてそれを恨めしそうに殺意の籠った瞳で大地を睨みつける男子生徒たち。
空はその様子をさながら名前を書いたらその人物が死ぬノートを拾った犯罪者の様に凄く楽しそうに見ていた。
この様な状況になってしまったのは今日の昼休みの終わり頃、
空がどこかへと消えて行ったので陽子と月華、両手に華と言う状態で他愛ない会話をしていた。
昼休みが終わる十分前、悪夢はやってきた。
「オッス! お疲れ! 皆揃ってるな?」
空は突然目の前に現れたかと思えば三人にそれぞれ一本のペットボトルの飲み物を渡してきた。
「何だこれは?」と大地が聴くと、「よく、俺を構ってくれているからな。 それはほんのお礼だ」と空は柄にもなく言った。
怪しい。
大地は少し警戒した。
中学の頃、そう言った理由で彼から飲み物をおごってもらった事など一度たりともも無かった。
寧ろ一緒にいるのが当たり前すぎてそんな事は気にしていなかった。
何故、今になってそう言った行為をしてきたのか?
彼が『普通』の人間であるならさほど不思議な事ではない。 親しき仲にも礼儀あり。 改まってお礼の一つや二つくらいして絆を深めるのも解らなくもない。
だがしかし、今まで空と送って来た記憶を辿る。
自分の記憶に誤りが無ければ彼は間違いなく『異常』な人間だ。
『面白い』ことに人一倍敏感で、思いついたらすぐに行動を起こす。
今まで何度も彼の『面白い』発想に恥辱と屈辱を味わっている。
大地は空に視線を送る。
その視線の意味を理解しているのか、それとも本当に理解していないのか、演技とも言えない感じで首を傾げるものだから尚更困る。
そうこうしている内に空から貰った飲み物を美味しそうに口にしている月華と陽子。
特段変わった様子は無かった。
自分の思い過ごしか? だとしたら凄く酷い人間だ。 仮にも親友として中学校生活を共にしてきたのだ。
高校にも入り、新しい友達も出来てこう言った行為はする人はいるだろう。
紛いなりにも彼も『人の子』だった、そう言う事だ。
嗚呼、こんな良い親友を俺は疑っていたのか。 そう思うと恥ずかしくなり自分を殴りたくなる。
空、これからも宜しくな。
そう心で感謝し、大地は彼から貰った飲み物のキャップを捻り、口の中へと流し込んだ。
その瞬間、ボンッ! と煙が音を立てて大地を包み込んだ。
「な、何だ?」と周りがざわつき始める。
煙が収まるとそこにいたのは、
「な、何が起こったんだ!?」
と若干咽ながら煙を払う幼児体型になった大地であった。
空気が静まり返った瞬間であった。
皆の視線を感じた大地は何だと思い自分の身体を見た。
それと同時に目が飛び出るのではないかと言うくらいに大きく開いて驚愕した。
「なっ、なんじゃこりゃあっ!?」
叫ぶ大地に空は爆笑しながら床に転げ回る。
「おい空! お前、俺に何をした!?」
対して空は悪人顔負けの笑みを浮かべながら胸ポケットから栄養ドリンクの様な形をした空の瓶を取り出し見せつけて横に広げている口を開いた。
「何って、ちょっとクスリを混ぜただけさ」
「クスリ……、だとっ……!? いったい何の為に……」
その時、大地はハッと口を開きその先に彼が言うセリフを察した。
「愚問だな……。 『面白い』為に決まっているだろ……!」
大地は膝から崩れ落ち、両手を床に付けて頭をダランと垂れた。
先程まで空を信じた愚かな自分を殴ってやりたい。
そうだよな……。 ああ、そうだよ。 コイツはそういうヤツなんだよ!
ん? クスリ?
「お前、解毒剤はあるんだろうな?」
「勿の論、ここにちゃんとあるぜ?」
空は胸ポケットから解毒剤なる瓶を取り出して見せた。
大地はまるで獲物を狩る虎の様に素早く空から解毒剤を奪い取って飲み干した。
しかし、
「戻らない……、だとっ……!?」
身体は元には戻らなかった。
それにより再び汚い笑い声を上げて床を転げ回る空。
「馬鹿だねぇ! 俺がミスミス本物を渡す訳ないじゃん!」
その言葉に再び床に跪く大地。
「あ、あのっ……! 大地くん……!」
声を掛けられたので顔を上げるとそこには陽子が頬を赤く染めながら抱き上げてきた。
その瞳はまるで捨てられた愛らしい子犬を見つけたモノと同じに見えた。
心なしか、息が荒い。
「よ、陽子……さん……?」
一滴の嫌な汗が頬を伝ったその時、大地を抱きかかえている陽子は今まで見た事がないくらいの良い笑顔を浮かべて口を開いた。
「陽子”お姉ちゃん”って呼んでみて?」
あきらかに『お姉ちゃん』と言うフレーズを強調しながらお願いした。
対して大地はこれでもかと顔を引き攣らせながら「嫌です」と答えた。
少し間を空けて「ん? ゴメン。 聞こえなかった」と清々しい笑みを浮かべて大地の拒否を聴いていないフリをした。
俺に拒否権は無いのか!? と大地は心の中で叫ぶ。
「なあ、陽子」
「陽子お姉ちゃん」
「陽――」
「陽子"お姉ちゃん"」
どうやら彼女はどうしても自分にお姉ちゃんと呼んで欲しいそうだ。
もし、ここで大地が陽子のことをお姉ちゃんと呼べば彼はきっと恥ずかしさに耐えられずに立ち直れなくなるだろう。
だがしかし、このまま彼女に抱き上げられたままと言うのも恥ずかしくて爆発しそうだ。
現に周りからの(特に男子からの)視線が痛い。
解放か、抱き上げられたままか。
その二択は大地にとって余りにも惨い選択であった。
どちらも自分にメリットが無い。
悩みに悩んだ末、大地が出した答えは、
「よ……、陽子……、お姉ちゃん……!」
解放であった。
大地の恥じらいながらも自分の事を『お姉ちゃん』と呼んでくれた事に絶大な悦びを感じた陽子はそのまま強く彼を抱きしめた。
正直苦しいし、今すぐにでも消えてなくなりたい気持ちでいっぱいな大地。
「陽子」
嬉しさで我を忘れている陽子に月華が止めに、
「その小動物を私にも抱かせてくれ」
入ってくれなかった。
陽子は「いいよ」とそのまま幼児大地を月華にバトンパスした。
それが引き金となってしまったのか、次から次へと女子が「私にも抱っこさせて」と言い寄ってくる。
それにより大地は女子たちにたらい回しにされるのだった。
それから昼休みが終わり、授業中に一人五分大地を膝の上に乗せる事が出来ると言う不本意なルールを作り、今に至る。
しかし、今は六限目。 学校最後の授業。
時計の針が五五秒を過ぎ、三、二、一。
学校のチャイムと同時にボンッ! と煙が大地を包んだ。
煙が晴れるとそこには少し咳き込みながら煙を払ういつもの大地の姿があった。
「戻った……? 戻った! 戻ったぞ!」
無事に元に戻れたことで大地は瞳から心の汗を流す。
その様子に女子生徒たちはどこか残念そうな表情を浮かべた。
大地を幼児化させた元凶である空はどこか詰まらなさそうな表情を浮かべた。
「おい、空。 覚悟は出来ているだろうな?」と今にも襲い掛からん瞳で空を睨みつけて言った。
それに対して空は「何のこと? 解らないなぁ」と反省の色を見せずに惚けた。
「ふざけるな! 表出ろ!」
「あぁん?」と空は大地と共に教室から出て行った。
その様子に不安に感じた月華と陽子、そしてクラスメイトたちは彼ら二人の跡をついて行ったのだった。