1.年上のアナタとの、衝撃的な出会い
アナタとの出会いは、俺にとってあまりにも・・・衝撃的なものでした。
俺の名前は、追川祐士。
22歳で教員免許を取得し、今年の四月に関西のマンモス校、高倉高校にやって来た新米教師だ。入学式の数日前に、緊張しながら向かった学校の先で伝えられたのは、俺に一年生の一クラスを持たせるとの話だった。あまりにも突飛な話に初めは驚きもしたが、9ヶ月たった今ではすっかり様になり、先輩の先生方にもお褒めの言葉をいただける程となった。
そんなある日、教室にいた俺は校内放送で教頭の佐藤先生に呼ばれ、何かしでかしたかと思いを巡らせながら先生の元を訪れた。
「あの・・・佐藤先生・・・何かありましたか?」
若干どもりながらやって来た俺を、自分の席に座っていた佐藤先生は見上げ、おかしそうににこりと笑った。
「いや、そんなに硬くならないでいいよ。私用で放送を使ったんだが・・・驚かせてしまったみたいだね。すまないね。まぁ、座って」
俺を見上げ楽しそうに笑う先生は誰にでもフレンドリーで、俺は少し肩の力を抜き、勧められるままに椅子に腰掛けた。
俺が腰を落ち着けるのを見届けると同時に、先生はもう一度にこりと笑い、俺を呼び出した訳を話し始めた。
「いきなり呼び出して悪かったね。今夜空いているかと思ってね」
「・・・は?」
にこにこと微笑みながら言われた言葉に、俺はあまりにも間抜けな声を出した。きっと顔をさぞ間抜けだったんだろう。先生はくつくつと喉で笑いながら、ひらひらと顔の横で手を振って見せた。
「そんな深い意味はないんだよ?毎年必ず新任の先生と一対一で話をするんだよ。何か困った事はないかってね」
「・・・っあ、なるほど」
「本当は夏休み前にするんだけど、今年は色々と忙しかったからね。急な話ですまないんだけど・・・」
そう言いながら顔を申し訳なさそうに歪めた先生に、俺は笑顔で首を振った。
「いえ、大丈夫です。お気になさらないで下さい」
「そうかい?すまないね。それじゃ終わり次第、落ち合うって形でいいかな?」
「あ、はい。構いません」
「今日は私のお勧めのお店を紹介するよ。和食は大丈夫だよね?」
「もちろんですよ」
「ならよかった。私の教え子の店でね、本当においしいんだよ!」
嬉々として話すその表情は、50を過ぎた男のものとは思えないほど子供っぽく、俺もこんな風に生徒を自慢する日が来るんだろうかと、心の隅でぼんやりと考えていた。
その間にも先生は話を進めていて、いつの間にか俺一人になっていた。
(・・・先生、嬉しそうだったな・・・。俺もあんな風になれたらいいな)
よっこらしょと、じじくさく言いながら重い腰を上げた俺は、次の授業を行うクラスへと足を進めた。
「・・・よしッ!終了」
仕事を終えた俺は荷物をまとめ、自分の席についてパソコンと睨み合っている佐藤先生の元に向った。
「佐藤先生、こっちは終わりましたが・・・」
「あぁ、こっちも終わっているよ。それじゃ、行こうかね」
「え・・・?あの、先生は・・・」
「ああ・・・これかい?明日の分をしていたんだよ。・・・・・・よし、行こうか」
「あ、はい」
いつの間にか荷物をまとめ、歩き出してしまった先生に続き、俺は足早に校舎を後にした。
「ここから歩いて10分位の所なんだよ。明日は丁度休みだし・・・追川先生、酒は?」
「イケる口ですよ。佐藤先生のお勧めの場所ですか・・・楽しみですね」
「おっ!嬉しいこと言ってくれるねー」
にこにこと笑う先生に俺も笑顔を返し、他愛もない会話をしていると、ふと先生が足を止め、一層笑顔を深めこじんまりとした店の戸を引いた。
「ここなんだよ。・・・っさ、入って入って」
促されるままに暖簾をくぐると、明るい声が耳に届いてきた。
「いっらしゃいませ〜」
店に入った途端で迎えてくれたのは、若い女性だった。質素な着物に身を包んだ女性はにこやかに笑い、俺の一歩前にいる先生に声をかけた。
「またいらして下さったんですね」
「ええ、まぁ」
二人は顔見知りなのか、そう恥ずかしそうに答えた先生を見据え、女性はもう一度ニコリと笑い、俺に視線を向けた。
「こちらは初めての方ですね」
「あぁ、うちの学校の先生なんだよ。ところで・・・直はもう来ているかな?」
(すなお・・・?)
初めて聞くその名前は、きっと先生の生徒の名前なのだろう。俺がそんな事を考えている間も二人の会話は進み、やっと席に案内される事になった。
「それではいつもの個室へどうぞ。女将にも先生がいらっしゃったと伝えておきますね」
「すまないね」
「いいえ。失礼致します」
笑いながら先生に頭を下げ、俺にも頭を下げた彼女は足早に去って行った。それを見送り、先生は案内された個室に俺を招きいれ、座敷へと促した。テーブルを挟んで向かい合う形で座った俺は先生のお勧めの料理を尋ねたり、楽しそうに女将さんの話をする先生に相槌を打ったりとしていた。
しかし途中から会話がなくなり、お互い料理名の書かれた紙を見入っていたが、左手首にされた腕時計に視線を向け、ポツリと呟かれた先生の言葉に顔を上げた。
「・・・・・・そろそろかな」
「・・・え?」
「あぁ・・・そろそろ女将が一悶着する頃だ・・・「なんやと!!!?」・・・よ」
先生の話の途中で聞こえて来た怒鳴り声に、俺はびくりと体を強張らせ、先生は苦笑しながら立ち上がり、壁の役目をしている襖を引き、俺を手招きした。
「な、なんなんですか?」
どもり気味の俺を見て先生はある一角を指差した。そこには先程個室に案内してくれた女性と、美しい着物に身を包み若い女性を庇うように立つ女性、そして顔を真っ赤に染め上げ、怒り狂っている中年の男がいた。
若い女性を庇うように、漆黒に輝く髪を後ろでアップにし、背筋を真っ直ぐに正している女性を見て・・・、
(・・・っ)
俺の胸は・・・大きく跳ね上がった。
(・・・・・・なんだ・・・?)
ドクンドクンと、今まで感じた事のないような高揚感に戸惑いを覚えながらも、俺の目はその女性に向いたままだった。
「本当に・・・血の気が多いったらないよ・・・」
苦笑気味に呟かれた言葉は、ただ俺の耳を通過し、俺の耳はあの人の声だけを・・・拾う。
「なんやと?!わしがこん娘にセクハラしたやと!?」
興奮気味にそういった男に対し、凛とした立ち振る舞いの女性・・・女将は柔らかな口調で言った。
「声を抑えて下さい、お客様。他のお客様の御迷惑になってしまいます」
「お前がそんな事言うからやろ!!」
「はい。申し訳ございません。しかし私はお客様も、従業員も大切なので、真意をお尋ねしているだけです」
真っ直ぐに男に視線を向け、女将は良く響く声で言葉を紡ぐ。しかしその言葉さえも酒の入った男には暴言にしか聞こえないのか、さらに声を荒げだした。
「これやから若い女将の店はあかんのや!従業員も従業員なら女将も女将やわ!」
「なっ・・・!」
男の言葉に真っ先に反応したのは、女将の背に隠れていた女性の従業員の方だった。
「女将はっ・・・!」
「由美子ちゃん」
男に掴みかかって行こうとした女性を制し、女将はすっと男の方に歩を進めた。
「・・・お客様」
「なっ・・・なんや」
女将の目に鋭さが宿り、それに気付いた男が怯えた風に一歩後ずさった。
「お、女将・・・」
「大丈夫やで」
不安そうに自分の着物の裾を掴む従業員の女性に微笑み掛け、女将はゆっくりと笑みを作り、男に向き直った。
「・・・お客様。私の事は自由に仰ってくださって、構いません。・・・けれどこの店を、従業員を貶す事は許しません。この店の味を好いて、足を運んでくださるお客様も居られるのです。・・・あなたにそんな方々までをも否定する権利はございません」
「っく・・・」
「この店は、また訪れたいと思ってくださる方が居られる限り、続けます。・・・私が気に食わないのなら、どうぞ他のお店に足を運んでくださいまし」
「・・・っ、こんな店・・・さっさと潰れてまえばえーわ!」
男は悔しげに捨て台詞を残し、足早に店を後にした。
「女将・・・申し訳ありません!」
男が去ってすぐに女性が頭を下げ、女将は驚いたように目を開いたが、すぐに優しい笑みを浮べた。
それにまた・・・俺の心臓は跳ね上がる。
「大丈夫や。・・・っさ、中に戻り?それからいつものあれ・・・用意しといてんか?」
関西訛りのそれはきつい印象ではなく、何故か柔らかい印象を持たされた。その事に若干驚きながら女将の姿に見入っていると、佐藤先生の声が聞こえた。
「先生?」
「え?あっ、はい!」
ピシッと姿勢を正してしまった俺に先生は苦笑し、驚いたかい?と俺に尋ねた。
「・・・ま、まぁ・・・少しは・・・」
「そうだろうね。・・・全く・・・いつまで経っても気が強くて困るよ。これじゃ、また当分嫁の取り手はいないな・・・」
「・・・え?」
首を傾げた俺に、先生はただ穏やかに笑った。
「高校を卒業してすぐ結婚したんだが・・・お互い仕事が忙しくて、別れてしまったんだよ。・・・娘が一人いてね。高岡にいるんだよ」
「え!?そんなんですか」
「確かクラスは・・・「失礼します。先生、余計な事を喋りすぎですよ」・・・おやおや、お早いお着きだ」
佐藤先生の言葉を遮りやって来たのは、先程の女将だった。怒ったように眉根を寄せ、唇をきゅっと結んでいる様は、大人の女性というよりは・・・可愛らしい、少女のような雰囲気を漂わせていた。
女として色香の漂う人が、今は可愛らしく怒っている。
それにまた・・・俺の心臓は大きく跳ね上がる。
(・・・・・・なんなんだ・・・?)
「追川先生?」
「え・・・?あっ、はい!」
自分の胸に手を当て、首を傾げていた俺を、佐藤先生が不審そうに覗き込んだ。慌てて手を離し姿勢を正した俺の耳に、くすくすと可愛らしい笑い声が聞こえた。
声のした方に視線を向けると、さっきまで怒っていた彼女が、口元に手を当て可笑しそうに笑っていた。
(・・・あ・・・笑うと幼く見えるんだ・・・)
コロコロと変わる表情が可愛くて、俺は自分の事を笑われたのに、小さく笑みを零していた。
「ふふ・・・ごめんなさいね、笑ってしまったりして」
「いえ・・・」
向けられた言葉と、柔らかな笑顔・・・。その全てに、胸がざわめいた。
「先生をしていらっしゃるんですって?」
「あ、はい。高岡高校で・・・」
「そうなんですか?私の娘が高岡にいるんですよ。・・・佐藤先生がおっしゃったみたいですけど?」
ちらりと佐藤先生に視線を向け、彼女は悪戯っぽく笑った。
「いや悪かったって・・・」
彼女の言葉に先生は笑顔でそう言葉を返し、その言葉に彼女はくすくすと笑い、まぁいいですけどと呟き、俺の方に向き直った。
「お名前、お聞きしてもよろしいですか?」
笑顔ごと向けられた言葉に俺は戸惑いながらも、自分の名を告げた。すると彼女はゆっくりとした動作で頭を下げ、
「垣ノ内直です」
と名乗った。
「かきのうち・・・さん?」
「はい。・・・もしよければ名前で呼んでくださいな。皆さん名前で呼んでくださいますので」
「・・・いいんですか?」
「もちろん。・・・あ、こんなおばさんの事、名前でなんか呼びたくないかしら?」
「そっ、そんな事・・・!」
直・・・さんの言葉に、俺は過剰に反応してしまった。あまりの声の大きさに自分自身驚いたが、直さんと佐藤先生が可笑しそうに笑い出したのに気付き、俺も照れ隠しに笑みを浮べた。
「はぁ・・・追川先生は優しい方ですね」
笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭った直さんは、俺と先生にニコリと笑い、当店自慢の茶碗蒸しですと言いながら、テーブルにコトンと小さな器を置いた。
「・・・これは・・・?」
俺が首をかしげながら直さんの方を見ると、今度は彼女が照れ笑いを浮べた。
「先程つまらないものを見せてしまいましたから・・・」
「先生、気にせずに受け取っておけばいいんですよ。直は何かと喧嘩っ早くてね・・・よく一悶着起こすんですよ。高校の時からそうでしてね・・・」
「せっ、先生!余計な事言わないでいいんです!」
今度は顔を真っ赤にして、佐藤先生に怒っている。それを笑いながら交わし、なおも俺に直さんの昔の話をしてくれる。
必死に俺の気を逸らそうとあれこれと頑張っていた直さんだったが、従業員の一人に呼ばれ、渋々と言った感じで連れられて行った。
直さんがいなくなると、先生は表情を曇らせ、俺にこう言った。
「・・・あの子はいつもいつも・・・幸せをつかめそうな時に、不幸のどん底に突き落とされるんだよ」
「・・・・・・・・・」
俺はどう反応を示せばいいのか分からず、ただただ先生を見ていた。そんな俺に気付いたのか、先生は俺に視線を向け、哀しさの残る笑顔を向けてきた。
「追川先生・・・もしよかったら・・・あの子をお願いしますね」
「・・・・・・・・・は、い」
この時は何故、先生が俺にあの人の事を頼んだか・・・正直分からなかった。・・・けど、俺の心が・・・勝手に、そう返事をさせていた。
俺の返事に先生は安心したと笑った。俺も笑顔を見せたが、心の中では・・・先生の言葉がつっかえていた。
食事を終えた終えた俺と先生は店を後にした。帰り際直さんと一言二言言葉を交わし、ほろ酔い気分で二人肩を並べて駅へと向かう。何となしに会話を繰り返していると、駅にたどり着いていた。
「お、もう着いたか・・・」
「本当ですね」
「それじゃ、追川先生。私はこっちなんで」
「あ、はい。今日ありがとうございました」
「嫌々、こちらこそありがとう。・・・それじゃ、また月曜日に」
「お疲れ様でした」
先生と駅で別れた俺はホームに向った。ちらりと時計を確かめると、まだ5・6分、電車が来るには時間がある。
俺は軽く酔いを醒まそうとコーヒーを買い、何気なく空を見上げた。
「・・・・・・綺麗だな・・・」
久し振りに見た空は満天の星空で、俺の脳裏に・・・何故か直さんの姿が浮んだ。
「・・・・・・・・・はぁ・・・」
ため息をつき、そっと目を伏せた。鮮明に瞼の裏に焼きついているのは、初めて直さんを見た時の姿だった。
凛とした立ち振る舞いに、真っ直ぐな瞳。優しくて、強い人なんだろうと思った。
・・・でも、俺はその瞳に、哀しみを見た気がした。
一人で全てを抱え込んで、苦しむ・・・人に弱味を見せられない、可哀相な人だと思った。
そんな事を言ったら、アナタには怒られるかもしれない。
でも・・・それでも・・・俺はアナタの弱い所を、見せて欲しいと思った。
アナタとの出会いは、俺にとって衝撃的なものでした。
アナタの強いところに惹かれ・・・アナタの弱いところを見せて欲しいと思った。
矛盾したこの想い・・・。
その答えを、まだ俺は見つけられずにいる。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
誤字脱字、感想、意見等々・・・あれば是非とも仰って下さい。
これからも、よろしくお願い致します。