第三十三話 大晦日のプレゼント(2)
「ごめんなさいね、大晦日の忙しい時に。お邪魔だとは思うけど、少しだけ時間をいただけるかしら?」
言葉は丁寧だが、有無を言わせない雰囲気が漂っている。
「どうぞ……」
不安はあったが、ここで躊躇ったのでは、逆に変な関係なのではないかと詮索されてしまう。自分はやましいことは何もしていないのだ。
美和は、ソファーに座るように恵子を促すと、コーヒーを淹れてテーブルに置いた。
「すいません。いい匂いですね、煮物ですか?」
「ええ……お正月の準備を少し」
「そう、学生さんでしょ?」
「ええ」
「学生さんなのに、ちゃんと作るなんて凄いですね」
本心から感心しているように、目を見開いて笑いかけてくる。
(一体何が言いたいの? 何を言いに来たの?)
山根恵子がコーヒーに口を付け、ほっと一呼吸するとバックからタバコケースを取り出した。
すかさず美和が灰皿とライターを持ってくる。
「ふーん、さすがね」
恵子が美和をじっと見て、にっこりと微笑んだ。
「さすがって……」
「相手が何を求めているのかちゃんと分かるんだなって」
「タバコを吸うなら、灰皿位は……」
「そう? 気がつかない人は、気がつかないわよ」
「……」
恵子が美味しそうに煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
その煙が消えた頃に、やっと恵子の口が開いた。
「健斗を愛してる?」
唐突の質問に言葉が詰まる。
「え……あの……」
「いいのよ、知ってるんだから。それに、私は怒って乗り込んで来たわけじゃないわ」
「……」
「……はっきりして欲しいだけなの。彼を愛してるの? それとも、好きなだけ? 嫌いじゃないんでしょ?」
畳み掛けるように言葉を連射したかと思うと口を閉ざし、じっと美和の話を待つのだ。
「……友達です」
「そう? 彼はそう思っていないんじゃない?」
「……」
「単なる友達なら、毎晩は来ないでしょ?」
(そうかしら……)
「あなただって、誰も来ないのに毎晩ちゃんと料理を作ることはないんじゃない?」
「どうしてそれを……?!」
「ちょっとね」
恵子が含み笑いを浮かべた。
その笑いの裏に何があるのか、不安がこみ上げてくる。
「ひとりだったら、ファーストフードで済ませちゃうとか」
(そうかも知れないわね。彼が来るから作っているのかもしれない)
「私だったら、好きでもない人には作らないけど」
「……」
「というか、全ての女性がそうなんじゃない? いいところを見せたいとか、よく見て欲しいとか、相手によく思われたいとか」
「そんな!」
「そうじゃない?」
「よく思われたいだなんて! 私は……」
「……」
「私は……」
「……」
「彼が美味しいって言ってくれたら、それでいいんです」
「それが愛じゃないの?」
俯いていた美和の顔が思わず恵子に向けられた。温かみのある言葉だったか
らだ。
確かに、始めに言っていたように、怒りに任せて怒鳴り込みに来たのでもなければ、なじりに来たのでもない事が分かる言葉だった。
「彼も貴女を愛しているわ」
「……!」
「私には分かるの」
「でも……」
「彼の大切な人は、もう私じゃないのよ」
「……」
「彼とは体の関係があるの?」
優しく包み込むような言い回し。
「いいえ、無いわ。一度もありません」
「やっぱり! やっぱりそうだったのね」
恵子が二本目のタバコに火を点けた。
「彼は貴女を愛しているから、だからこそ他の女性のように簡単に求めてこないのよ」
「……そうなのかしら……」
「そうよ! そうに決まってるわ!」
恵子が嬉しそうにバックから封筒を取り出した。
「貴女が彼を愛しているかどうかを聞きたかったの。でも、言葉で聞くまでも無く、貴女は彼を愛してるし、彼も貴女を愛してることが分かったわ」
「……」
「だから、これを貴女にあげるわ」
恵子が、封筒を美和の前に押し出した。
「これは?」
「開けて見ていいわよ。貴女へのプレゼント」
美和が躊躇いがちに封筒を取り封を開くと、中から一枚の紙が出てきた。
それは、人生始めて見るもの。
「彼のサインもあるわ。これで、健斗は貴女のものよ」
「でも、山根さんは……」
「私はいいの。というより、今は健斗より仕事ね」
恵子がウインクしてみせる。
「学生の健斗とビジネスマンの私では、考え方が違いすぎるのよ。だから、彼を愛して大事にしてくれる人が現れたら、相手の女性に全てを譲ろうって思っていたの」
「……」
「どう?」
「……本当に?」
怖いくらいに話がスムーズに進んでいく。
恋人同士になれたら。そう思っていたことが実現するのだ。
「ええ、彼の荷物は宅急便で送るわ。今日から彼の家はここよ」
恵子がすっきりしたような表情でタバコをもみ消した。
「でも、何でサインが……」
「ああ、ちょっと事情があってね」
恵子がコートを手に立ち上がった。
「誰にでも過去はあるでしょ? それとも、気にする派?」
「いえ……そうね、誰にでも過去はあるものね」
「じゃ、私はこれで。幸せになってね」
「ええ、山根さんも」
「あら、ありがとう。そうだ、ひとつ教えておくけど。彼は優しいから、優し過ぎて貴女を困らせることがあるかもしれないわ。だから、貴女の強さをちゃんと教えておかないとダメよ。それと、弱さもね」
恵子は楽しそうにそう言うと、部屋から出て行った。
一人になると、目の前に置かれた紙の重みがひしひしと伝わってくる。
茶色に縁取られた一枚の紙。
婚姻届―――。
美和は再び鍋を火にかけながら、今起こった不思議な出来事を繰り返し思い出してみた。
まるで狐につままれたような話だ。
同棲相手が乗り込んできて、別れてくれと泣かれるなら分かるが、その逆に幸せになってねと出て行ったのだ。
(これが、占い師が言っていたこと?)
美和の心臓が再び大きく鼓動を打ち始めた。




