第三話 返信
ケイタイをじっと握り締め、流れる涙を拭くことも無い。
(もう、死ぬのよ。彼の返事がどうであっても、もう終わりだから)
心のどこかで、最後のメールを読んで飛んできてくれることを祈りながらも、美和は死への階段を見上げていた。
ケイタイが鳴る。
しかし、着信音が違うのだ。
信二からの返信を待っていただけに、どこかシラケタ感じがする。
それでも、知らん顔もできず、着信を確認する。そこには理解に苦しむ内容が書かれていた。
『死んじゃいけないよ。今は辛くても、きっと素晴らしい日が来るから』
美和はティッシュで涙を拭き取ると、再度メールに目を落とした。
(この人……誰かしら)
発信者を確認すると【笠井健斗】とあるのだ。
(登録されているということは、知ってる人よね。それにしても、何で私が死のうとしてることが分かったのかしら)
あれ程泣き崩れていたというのに、一通のメールが美和を現実へと引き戻した。
じっと【笠井健斗】の名を見つめていると、ゆっくりと記憶が甦ってきた。それはたった一度、始めて行った合コンの席で話した相手だった。
(どうして知ってるの? もしかして、信二がそばにいてこの人にメールを見せた? まさか!……でも……そうね、そうやって私を笑っているのかもしれない)
顔を上げ時計を見る。
信二の笑顔が思い出されて、美和は自分の悲しい邪推を悔いた。
(そんなこと、信二がするはずない! じゃぁ、なんで?)
薄気味悪く感じながらケイタイを見つめていたが、思い切ったように入力すると送信ボタンを押した。
健斗のケイタイが鳴り、受信メールを開けてみると
『どうして私が死ぬと思うの?』
「えぇ……何なんだよ」
多分間違えメールだったのだろう。そんなことは察しが付くが、それにしてもこの返信内容は無いだろう。
『美和さんから「私、死にます」ってメールがきたんだよ』
さすがに、それとなく皮肉も入れたくなるところだが、失恋したばかりで傷ついているとしたら、余計なことは言わないに越したことは無い。
健斗からの返信が届き、内容を確認すると大急ぎで送信履歴を見てみた。
確かに、信二に送ったはずのメールを健斗に送っているのだ。
美和は叫びたいのを堪えて、頭を抱えた。
赤面どころではないのだ。
一度しか会っていない人に、しかも同じ大学の先輩だ。間違って送ってしまったとはいえ、あまりにも酷過ぎる。
(こんな話が噂になったら、明日からの大学生活がやり辛くなるじゃない!)
さっきまで、死ぬ事しか考えていなかったのに、今となっては明日のことが気にかかる。
(とにかく謝らなくちゃ!)
『ごめんなさい。間違えて流しちゃいました(汗)』
送信。
すぐに返信が戻ってくる。
『間違いだとは分かっていたよ。でも、内容が尋常じゃないよね。僕でよければ話を聞くよ』
温かい文章。
心のこもった言葉。
美和は何もかも話してしまいたくなった。
『いえ、大丈夫です』
心とは裏腹の文章を送信する。
『そうかな? 死にたいほど苦しんでいるなら、一人じゃ辛すぎるよ』
しばらくメールでのやり取りが続いた。
メールをしている間は、死神からの呼び出しも無視できるだろう。
しかし、メールを止めた途端に襲ってくる寂しさ辛さは、計り知れないものがある。
健斗は、このまま終わらせてはいけないと直感していた。
今通信を切ったら、二度と美和と交流する事は無いだろう。
無理やりにでも会わなければならないのだ。
健斗はジャケットを羽織ると、玄関を飛び出していた。
今までのメールのやり取りと、合コンで得た情報を合わせれば、行かねばならない方角は分かる。
『今、美和さんの所へ行くから』
強引過ぎることは承知だ。彼女の部屋で二人きりになることが無理なら、近くの居酒屋でもファミレスでも良いのだ。
とにかく、死神の招待状を付き返すまで、付き返す勇気が美和に出てくるまでが大事なのだ。
『でも……』
美和のためらいが伝わってくる。
『住所を教えて』
『それは……』
『もう、車を走らせてるんだ(笑)』
美和は、ケイタイを眺めていたが、そっと溜息を吐くと住所を入力した。
そして、送信。
まもなく、健斗がやってくるだろう。
たった一度合コンで会い、たった一度の間違いメールに慌てふためいて。
(何て良い男性なんだろう。彼女でも無い私の為に、冷たい風の中飛んできてくれるなんて……)
美和はゆっくりと立ち上がると、窓辺へと近寄って行った。
夏も過ぎ、秋から冬へ移ろうかという季節。
まだ寒く無いとはいえ、さすがに夜ともなれば風が冷たく頬に当たる。
(あのメールが間違わずに信二に届いていたら、彼はどうしたかしら。健斗さんと同じように飛んできてくれたのかしら)
暗闇を背にした窓は、部屋の中を映し出していた。
きれいに片付けられた部屋。壁にかかる時計。テーブルに載った料理の数々。
そして、美和自身。
泣き腫らした目と涙で崩れた化粧。
美和は時計に目をやると、大慌てで顔を洗い化粧を直した。
もはやそこには、死神の影は無かった。




