第二十五話 密談
「どうだったよ、行ったんだろ」
大学近くの学生ご用達の食堂は、時間が遅いためか学生の姿がまばらだ。
そこで一人、ゆっくりと遅めの昼食を食べていると、信二が声を掛けてきた。
エリカは視線だけを信二に向けると、不愉快そうに食事を続けた。
「行ったんだろ」
信二が手に持ったコーヒーカップをテーブルに置く。
「いただろ、同棲相手」
「声が大きいわよ」
「いいじゃねーか。別に俺たちの同棲相手じゃねーつーの」
「それでもよ」
「あんなヤツと別れて、俺のところに戻って来いよ」
体型を維持するために、食事の量を減らしている。少ない量をゆっくりと堪能するからこそ、脳にも刺激が行き満腹感が得られるのだ。
ところが、今日のように招かざる客がそばにいると、食事の味すら分からなくなる。
「コーヒー、持ってきてくれる?」
ナプキンで口元も拭いながら、エリカが信二に命令する。言葉は優しくお願いしているようだが、暗に持って来いという命令だ。
「ああ、分かったよ。ブラックだったよな」
エリカが小さく頷いた。
窓から枯れ葉の舞う街路樹を眺めていると、健斗と山根という女の痴態が思い出される。その上、美和に暴露しても、大きな動揺を見せなかった。
次はどうやって、痛い目にあわせてやったら良いのか。
あれから、エリカの頭の中は健斗への復讐で渦巻いていた。
「はいよ、コーヒー」
エリカの前にコーヒーカップが置かれた。
そのコーヒーカップをじっと見つめていると、信二が不思議そうに、エリカに話しかけてきた。
「何だよ、何見てるんだよ」
「別に」
「で、ヤツのところに行ったんだろ」
自分の質問に答えないと、いつまでも同じ質問を繰り返す。
(子供みたいね)
「行ったわよ」
「で、いただろ」
「いたわ」
「これで諦めがついただろ。俺のところに戻って来いよ」
「それは……」
視線を上げ、信二を見る。
(……使える)
「信二、頼みがあるんだけど」
「何だよ、急に」
「他に頼める人がいないのよ」
伏し目がちに相手を見る。エリカのおねだりの仕種だ。しかも、口調をロリータ調に変える。これで落ちない男はいない。
「お・俺に頼みって……」
「聞いてくれる?」
「そりゃぁ、エリカの頼みだから聞かない分けじゃないけど。俺のところに戻ってくるなら」
エリカはすっと背筋を伸ばすと、鋭い視線を信二に向けた。
「それは無いわ! 失敗した恋愛を繰り返すほど愚かなことは無いでしょ」
「失敗した恋愛って……お前が勝手に別れたんだろう」
「失敗だったと思ったからじゃない」
「……」
むっとする信二に、微笑み掛けるエリカ。
「信二ぃ。戻ることは出来ないけど、デートならしてもいいわよ」
「本当か?」
「ええ、私の頼みを聞いてくれたらね。ただし、一回だけ」
「おお! 一回でもいいよ。その一回で、俺の良さを再認識させればいいんだからな」
嬉しそうにエリカを見て笑う。
(再認識? ダメなヤツっていう再認識ならするかもね)
「で、何をしたらいい?」
「健斗と女がデートしてる写真が欲しいの。出来れば、キスしてるところとか、ホテルから出てくるところとか、女の証言とか」
「エリカ……お前、何考えてるんだ? 同棲相手に暴露しようってのか?」
「そうね、そうかもしれない」
「それ以外で、そんなものの使い道は無いだろ」
「そうでもしなくちゃ美和だって可哀想じゃない」
「美和か……美和じゃなくて、自分の為だろ」
エリカの口元が歪んだ。
「それに、そう都合よく写真なんて撮れないよ。俺、探偵じゃないし」
「だったら探偵になってよ」
「無理言うなよ。写真も無理なら、証言なんてなお無理だぞ」
「証言は……そうね、無理でしょうね。でも、写真なら張り込みすれば撮れるでしょ」
「お前って……すげー、怖い女だな」
「あら、今頃分かったの? それでも、復縁したい?」
「毒があるから美しいんだよな」
「……」
「まぁ、頑張ってみるさ」
信二が席を立つと、エリカが冷めたコーヒーに口を付けた。
それは、苦く胸の苦しくなる味がした。




