第二十話 メモ
どんなに天気が良くても、授業がある日は気乗りがしない。
眠気を誘う教室で、転寝をしている学生相手に、よく講義など出来るものだと感心するが、エリカも転寝族の一人なのだ。
講義に興味があれば起きてもいられるだろう。或いは、講師がイケメンなら瞬きもせずに教壇を見つめるだろう。しかし、残念なことに講師は年寄りで講義はつまらないと来ている。抜け出さないだけでも大したものと褒めてもらいたいところだ。
それでも、真面目にノートを取っている者もいるから、成り立っているのだろう。
チャイムが鳴った。
冬眠から覚めるように、誰もが目を覚ます。
あたかも、今までしっかりと講義を聞いていましたと言いたげに、教科書をしまうのだ。
エリカも同様に、教科書をバックに詰めると教室を後にした。
外に出ると、風も無く暖かかった。春には遥か遠い季節だというのに、風さえなければ暖かい日が続いている。
「地球最後の日も近いかな」
大きく伸びをしながら、そんな戯言を口にしてみた。
「人類最後の日に、俺はエリカの傍にいたいな」
背後から聞き覚えのある声が、真面目に答えてきた。
自分で戯言だと分かっているのに、わざわざ真面目に答えられると、多少なりとも腹立たしさを感じるものだ。しかも、それが聞きたくない声だったのだから、その感情もマックスに達する。
「地球最後の日には、貴方以外の人と一緒にいると思うわ!」
「酷いな、あんなに愛し合った仲じゃないか」
「愛はね、変わるのよ」
「その冷たさがいいんだけどな。お前の怒った顔も俺は好きだよ」
「それはどうも」
別れた後でも追いかけてくる男ほど、情けないものは無い。
エリカは風を切って歩き出した。
(せっかく気分が良くなっていたのに!)
「そう急ぐなよ。どうせ又、俺のところに戻ってくるのは分かってるんだから」
(何を言ってるんだか。戻るわけ無いでしょ!)
「お前みたいなプライドの高い女が、あんな女ったらしに我慢が出来るはずないもんな」
(女ったらし?)
エリカの足が止まる。
「気になるだろ?」
「誰の話?」
「お前の、今の彼氏の話だよ」
(今の彼氏? そんな事、信二に話したっけ?)
「大変な男を彼氏にしたよな」
「……」
「笠井健斗」
思わずエリカの顔が信二に向けられた。その驚いたような真剣な眼差しに、気圧されながらも信二が続けた。
「どういう男かと思って調べたんだよねぇ」
(はぁ? 人の彼氏の事調べるって何?)
「振られたとはいえ、自分の女だったんだから、どんな男と付き合ってるのか、知る権利はあるからな」
「そうかしらね」
「そうしたら、アイツ結構な遊び人だったよ」
「どういうこと?」
「バイト先の女の子と良い関係だぜ。それに、家に帰れば同棲相手もいる」
「……うそ」
「嘘だと思うなら、自分の目で見て来いよ」
小さなメモをポケットから出して、エリカの前にちらつかせた。
「泣く時は俺の胸でどうぞ」
可笑しそうに薄ら笑いを浮かべながら、メモをちらつかせ続けるのだ。
エリカは、勝ち誇ったような信二の態度に悔しさを覚えながらも、信二の言った言葉が気になって仕方が無い。
信二からメモをひったくると、足早にその場を後にした。後ろから信二の声が追いかけてくる。
「お待ちしてまーす」
エリカの脳裏に健斗の優しい顔が浮かぶ。その優しい顔が邪悪な顔へと変化していく。
(無いことじゃないわ。どんなに優しい顔をしていたって、美和がいながら私と寝たんだから、他に女がいたって可笑しくはないわね)
どうしてこんな簡単な事を想定していなかったのか。それほど自分は健斗にのぼせ上がっていたということか。
三日と空けず、エリカの部屋に来ては激しく愛し合ってきた。これ程までに、自分の体とフィットする人に、未だかつて会ったことがない。それだけに、何も考えられなくなっていたのは確かだ。
エリカは、自分の中のどこかで、健斗を信じ始めていた事に怒りを感じていた。
あれほどまでに愛し合いながらも、他の女とも楽しんでいたのか。
家に帰れば同棲相手がいたのか。
その同棲相手も、エリカ同様に歓喜の声を上げていたに違いないのだ。
許せない。
自分を裏切るような男は許してはならない。
でも……。
果たして、信二の言っていることを鵜呑みにして良いのだろうか。
エリカは歩速を緩めると、メモを開いてみた。信二のポケットから引っ張り出された、しわだらけのメモを指で伸ばしながら、エリカは一文字一文字、丁寧に読み進めた。




