第十九話 紳士と野獣(2)
「美和の料理を食べないと一日が終わらないよ」
そう言いながら、箸を動かしている。
しかし、箸を動かしながら脳裏に浮かぶのはエリカの肢体。
(もう一度拝ませてもらいたいよなぁ。近来稀に見るヒットって感じだったよなぁ。家に帰ってもきっと不貞腐れてるだろうし、今夜も彼女のところへ行こうかな……)
まさか、健斗がそんな事を考えているとは露知らず、美和が甲斐甲斐しく世話を焼く。そんな美和に食指が動かないわけではないが、健斗自信罠に掛けてまで女をモノにしようと思っているわけではないのだ。
いつでも、女の方から寄ってくる。据え膳食わぬは男の恥と思っているだけだ。
そうなると、ある程度の距離を保とうとしている美和に手を出すことは、ポリシーが許さないのだ。
(俺は紳士だからな)
美和に笑顔を向けながら、エリカを思い浮かべる。
(よし、紳士の皮を脱げる相手の所へ行こう!)
時計に目を向けると十時近くになっていた。
ゆっくり話をしながら食事をしていると、時間があっという間に過ぎていく。
これはこれで、健斗にとって大切にすべき時間なのだが、一端紳士の皮を脱ごうと決めた今、頭の中はこれから繰り広げられる魅惑的な世界でいっぱいになってくる。
「さて、今日は疲れてるから、帰って寝るか」
「そう? もう少しゆっくり出来ると良かったんだけど。でも、疲れてるなら仕方がないわね」
こういう時に美和は決してわがままを言わないのだ。
引き止めることもせず、次の約束をするわけでもない。
「ごめんよ。明日はゆっくり出来ると思うから」
(気が変わらなければね)
「無理しなくていいのよ。健斗さんが大変なら、私は一人でもいいんだから」
「一人じゃ寂しいくせに、強がり言ってるなぁ」
(健気だねぇ)
「大丈夫よ。本当よ」
言いながら、にっこりと微笑む。
(エリカと又違った可愛さだよな。出来ることなら、美和を俺のものにしたいけど、力ずくっていうのは卑怯だからな)
健斗は軽く手を上げると、外の人となった。
部屋に一人残されると、元気に食器を片付け始めた。
風が冷たく刺してくる。車のロックを外し、車内に体を滑り込ませる。
どういうわけか、車で来ていることを知っているはずなのに、美和はビールをテーブルに置く。
「車だから飲まないよ」
それが食事の合図の様に、毎回同じ台詞を繰り返す。
美和は、ビールを冷蔵庫にしまいながら「お約束みたいなものね」と言って笑うのだ。それがどういう意味なのか、未だに分からないのだが、きっと美和にとってゲームのようなものなのだろうと健斗は解釈していた。
飲まないと分かっていながら用意されているビール。
それなら飲んでみようか。飲めば運転は出来なくなる。運転できなければ、美和の部屋に泊まることになるだろう。まさか、歩いて帰れとは言わないだろう。もしかしたら、彼女のゲームは小さな賭けなのかも知れない。
(そのうち、そんな日も来るだろ)
健斗は口笛を吹きながら、セルを回した。
真っ暗な闇の中、エンジンが唸りを上げた。




