第十五話 くもの巣(2)
「ダメってこと無いけど……」
「嬉しい!」
そう言うと、健斗に抱きついた。抱きついたかと思うと、目が回ると言い出す。
「困った人だね」
健斗が笑いながら、エリカを抱きかかえて車に連れ戻した。
「もう少しで、エリカさんのアパートだからね」
「……それは、もう少しでお別れって事ね……」
小さな呟きが健斗の心を刺す。小さな針が抜けなくなっていく。
アパートに着くと、階段を一人で上れないからと健斗に一緒に来てもらった。
「もう、ここで大丈夫?」
健斗の優しい声。
「だめ、お願い部屋まで来て。目が回るの……」
健斗が、仕方ないねと言いながら、エリカをサポートするように部屋に入る。
静かにドアを閉め、ベッドに横になるように促すと
「寂しくて仕方がないの。お願いここにいて、私が寝るまででいいの」
切な気な吐息と共に繰り返す。
「分かったよ、寝るまでここにいるから」
そっと髪をなでる手を、エリカが握り締めた。
「私、本気なの。本気で、健斗さんが……」
後の言葉が続かない。
健斗も又、それ以上の言葉が見つからず、互いに黙って見詰め合うしかなかった。
どちらからともなく、互いに唇を重ねた。
始めは優しく、そして、激しく舌を絡め合わせた。健斗の唇がエリカの首筋を這うと、エリカの口からあえぎ声が漏れた。
いつしか暗闇の中で大蛇が二匹絡み合いもつれ合う様に、激しくお互いをむさぼりあった。
悲しみも苦しみも忘れ、愛し合う喜びだけの為に時間が流れた。
気が付けば、夜の闇は去り朝の静けさが漂い始めていた。
荒い呼吸が落ち着いた頃、エリカが健斗の手を握り締めた。
「素敵だったわ。あんなに激しく愛してくれた人は貴方が始めてよ」
薄暗い部屋の中で健斗の視線を感じた。どうしたことか、その視線が冷たく感じる。
(何これ? この視線……)
「僕はもう帰るよ、今日は講義があるからね」
ベッドから抜け出ると、服を手にした。
「もう? まだ時間があるじゃない」
健斗の手が止まり、しばらく空を見つめていたかと思うと、エリカの方を振り向いた。その顔は昨夜の、優しく大人の穏やかさが戻っていた。
(やっぱり、さっきのは錯覚よね)
「悪いけど、家に帰ってゆっくりしたいんだ」
「分かったわ、でも又会えるでしょ? ううん、来てくれるでしょ?」
「……」
「美和には内緒にしておくわ。絶対に言わないから、二人だけの秘密よ。それならいいでしょ?」
健斗はベッドに腰を下ろし、何かを考えている風だ。
「美和にも、さっきの様に激しく愛してあげるんでしょうね」
まるで、健斗が美和を思って黙っているのでしょうと匂わすように、エリカは悲しそうに呟いた。
「……イヤ、彼女とはそういう関係じゃないよ」
健斗が静かに応える。
「本当? 本当に美和とは何でもないの?」
「ああ、多分まだ前の彼氏のことで苦しんでいるんだろうね。僕はまだ彼女を救えていないんだよ」
健斗の悔しそうな、搾り出すような言葉。しかし、エリカは健斗の言葉を聞いて、心の奥底で勝者の叫びを上げていた。
(やったわ! 美和よりも先に、私が彼をゲットしたのよ!)
「ね、美和の失恋の傷が癒えたら、その時が別れの時なんでしょ? そうしたら、私たちオープンに付き合えるわ。それまで、美和には内緒」
健斗の肩に手を掛け、健斗の耳に熱い息が掛かるようにそっと囁く。
「そうだね。彼女の傷が癒えたら、僕は用済みなんだ……」
「貴方は優しすぎるのね。大丈夫、貴方の心の傷は私が癒してあげるわ」
背中に頬を付け、健斗の鼓動が直に感じられることの幸せを、エリカは噛み締めていた。




