第十一話 三人の食卓
小さなテーブルには、ところ狭しと数々の料理が並んでいる。それらは、温かそうな湯気を立て、食欲をそそる香りを漂わせている。
「相変わらず、美味しそうだよね」
出来上がった料理を前に、健斗が目を細めた。
「ありがとう。健斗さんの好きな煮物も作ったのよ」
「今日の煮物は何かな?」
「今日はサトイモを煮たの。口に合うといいのだけど」
エプロンを外しながら、健斗に微笑みかける。
「早くしないとバイトの時間になっちゃうわね」
「大丈夫だよ。今日は深夜勤務だから、十時までに入ればいいんだ」
「十時から朝まで?」
「うん、六時まで」
「健斗さんは本当に働き者ね」
美和が嬉しそうに健斗を見つめる。
「美和さんだって、働き者じゃないか」
「そうかなぁ」
確かにそうだ。バイトが終わって料理を作り、学校へ行く前には掃除に洗濯をこなす。学校という囲いを外したら完璧な主婦だ
。
二人が視線を絡ませた時、玄関のチャイムが鳴った。
「来たんじゃないか?」
「そうね」
美和が立ち上がり、玄関のドアを開けた。
玄関から、テーブルについている健斗が見えた。
「こんばんは。せっかくの二人の時間にお邪魔しますねぇ」
「やぁ、始めまして。美和さんの親友だよね」
「あら、よく知ってるんだ!」
エリカが驚いて見せる。
「美和さんから話は聞いてるからね」
「へぇ、どんな話かしら。悪口は止めてよ」
エリカが軽く美和を睨む真似をすると、美和が笑いながら「そんなはずないでしょ」と否定した。
「はい、約束のビール」
手土産のビールを美和に渡す。
「ありがとう。でもね、健斗さんがこれからバイトなのよ」
「えー、そうなのぉ。残念、一緒に飲めると思ったのに」
「悪いな、今度一緒に飲もう」
健斗の優しい言葉に、エリカが嬉しそうに笑顔で返す。
「そうね、次回が楽しみだわ。必ずよ」
そういうと、小指を健斗に向けた。
健斗がたじろぐと美和が(いいのよ)と言っているように頷く。
エリカがそのような態度に出ても、元々がそういうことを何とも思っていない子なのだから、仕方の無いことだと解釈しているのだ。
「バイトって何をしているんですか?」
エリカの視線が一点、健斗に集中する。
「今日はコンビニ」
「今日はって事は、他にも?」
「ああ、パチ屋とキャバクラの呼び込み」
「え、パチ屋ってパチンコ屋?」
「そうだよ」
「キャバクラの呼び込みまでしてるんですか」
「ああ、そうでもしないと学費が稼げないからね」
「親からの仕送りは?」
「僕はサラリーマンの家庭の出だから、出来るだけ親に負担を掛けないようにしないとね」
美和がにっこりと微笑む。
その表情は(彼、凄いでしょ? 素敵でしょ?)と言ってるように見える。
(ええ、凄いわよ。素敵よ。ルックスもいいし、イケメンだし。私の彼氏にピッタリよ)
エリカも笑顔で美和に返すが、エリカが内心そんなことを思っていようとは、思い及ばないだろう。
あっという間に、健斗がバイトへ行く時間になった。
いつもなら、食後は二人ソファーでゆっくりと会話を楽しむところだが、さすがにエリカの前でそうも出来ず、不完全燃焼のまま仕事へと出かけて行ったのだった。
健斗が部屋から出て行くと、エリカが冷蔵庫から二本のビールを取り出し、溜息を吐いた。
「どうしたの? 溜息なんて吐いちゃって」
「彼、素敵ね」
「そうでしょ」
「あんなに素敵だと思わなかったわ」
手に持った一本を美和に渡した。
「私は飲まないの」
「何で?」
「彼が、お酒を飲む女性は好きじゃないって言うから」
「……相変わらずね、相手がどう言おうと、自分は自分じゃない!」
「うん、でも彼に好きになって欲しいし」
「又始まった」
「え、何が?」
「彼の為に変わる、変身願望症候群」
「変身願望症候群か、上手いこと言うわね」
言われてみれば、確かにそうだ。
いつも恋人が出来るたびに、その人の理想に近づきたくて、常に頑張ってきた。
中学時代は髪の長い子が好きだと言われ、夏の暑い中必死に髪を伸ばし毎日リンスにトリートメントを欠かさなかった。清潔感がある子が良いと言われれば、一日に2回もシャワーを浴びた。爪の綺麗な子が好きだと言われれば、毎日爪を磨いた。
信二の時も同じだった。口答えをしない女が好きだと言われ、その日から信二が何を言っても笑って、口答えをしなかった。料理の味付けも、信二の好みを必死に覚えた。嫌だと言われるところは全て直した。
エリカに言わせれば、そんなに頑張る女はいないという。
それでも美和は幸せなのだ。
彼の理想の女性になれる自分を、幸せだと感じるのだ。
「そんなに頑張ったって、いつか終わりが来るじゃない。その時美和はどうするの? そんなに頑張ったことが馬鹿らしくならないの?」
いつだったか、そう言われたことがあった。美和は笑って首を振っただけだった。




