とある勇者たちの物語
ある町には勇者がいました。
勇者は誰よりも勇敢で、どんなに強い魔物でも果敢に飛びかかって、倒してしまいます。
町一番の勇気あるものと謳われていた青年も、魔物の前では怯え尻込み脱兎のごとく逃げてしまうというのに、その勇者は一歩も足を引くことなく、前に前にと向かっていくのです。
とうとう、勇者の住んでいた町から魔物が一匹もいなくなりました。
平和の戻った町では、お祭り騒ぎになりました。勇者の元には、町で噂の美女が集い、町一番の腕を持つ料理人が、町一番の食材を使って腕をふるい、昼夜問わず宴会が続きました。
町の人々は笑顔に溢れ、未来の希望に満ちていました。
しかし当の勇者はどこか不満そうでした。
そしてお祭り騒ぎも一段落着いたころ、勇者は町を出ました。この町以外にも魔物で困っているところがあるからと、魔物討伐の旅に出たのです。
人々は言いました。
彼には怖いものがないのかと。
そして讃えました。
彼はまさに真の勇者だと。
この栄光を後世に伝えよと、人々は勇者を讃える詩を詠み、朝晩お祈りのように唄いあげ、勇者の記録を物語に仕立て上げては、子供たちに読み聞かせ、いつまでもいつまでも勇者を忘れませんでした。
それから数十年が経ち、一人の少年が町を出て森へと冒険に出かけていました。
その少年は、かつてこの町を救い、そして今なお世界を救い続けている勇者の孫でした。
少年は、母や祖母から聞かされていた勇者の物語が大好きで、そして誇りでもありました。いつか自分も強くなって、この町を守るのだと息巻いていました。
そのための訓練と称しては、日々森へと出かけるのです。
その日もそんな日常風景の一部になるはずでした。しかし、その日は森の雰囲気がいつもと違います。
何だがやけに森の生き物たちが静かで、そして風は生ぬるく、気のせいかどこか生臭い匂いもするのです。
人間の本能でしょう。少年は一刻も早くここから立ち去りたいと思いました。自然と足は今来た道を辿ろうと、一歩一歩後ろに下がります。
その時、なんと運が悪いことに後ろから魔物が飛び出してきたのです。
少年は飛び上がりました。そして蛇に睨まれた蛙のように、そこから動けなくなりました。今までおとぎ話の世界でしか見たことのない魔物は、想像していたよりも大きく、さらに凶悪な面相でした。
少年がここで自分の人生は終わりだと諦めかけた時、魔物の後ろから剣を携えた壮年の男性が飛び出してきました。彼は勇者でした。
勇者は魔物と少年の間に入り、少年に逃げろと命じましたが、少年は腰が抜けてしまいただただもがく様に後ずさりするしかできません。
だから少年は勇者の戦いを近くで見ることが出来たのです。
勇者は決して勇ましい表情をしているわけでも、落ち着いているわけでもありませんでした。
足は震え、顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり、歯はがちがちと音を鳴らし、空いた口からは「死にたくない」「怖い」「助けて」と呪詛のように呟く言葉が漏れだしています。
それは長年聞いていた勇者とはかけ離れた姿でした。
しかしおかしなことに、勇者はそんな表情のまま魔物に飛びかかっていくのです。勇者の口からは時折、「逃げ出したい」という言葉も漏れだしているというのに、身体は魔物に向かっていきます。まるで、頭と体は別々に動いているかのように。
少年はそのちぐはぐな光景を、茫然と眺めているだけでした。
勇者と魔物の戦いは五分もかからずに終わりを迎えました。
魔物の強烈な一撃が勇者を襲い、それから勇者はぴくりとも動かくなったのです。
勇者は負けました。
動かなくなった勇者を魔物は頭から食べ始めました。少年は今すぐこの場から逃げ出したいというのに、やはり身体は言うことを聞いてくれません。目の前で繰り広げられる惨劇に、少年は堪え切れずその場に嘔吐してしまいました。
少年はその時、勇者の身体から奇妙なものが出ていることに気がつきました。それは白くて細長くうねうねと蠢いています。それは複数の蟲でした。
それに気がついたとき、また吐き気が襲ってきましたが、出てくるのは苦くて酸っぱい胃酸だけでした。
勇者の身体が全て無くなったころ、少年は次に襲われるのは自分なのだと死を覚悟しましたが、魔物は少年には見向きもせず、どこかへ消えて行きました。
少年は安堵したのでしょう、魔物の姿が見えなくなった途端、気を失ってしまいました。
そして再び目が覚めた時、今までのことは夢だったのではないかと少年が思うほど、森はいつものように穏やかに微笑んでいました。
しかし少年の目の前にある草村には、勇者が使っていたと思われる鈍く光る一本の剣が横たわっています。
少年はそれを村の人に告げ、自分が見聞きしたことは隠して、いつものように探索に行ったその帰りに見つけたとだけ報告しました。
町は悲しみのムードに染まり、そして勇者の墓を造り、勇者物語に終章を紡ぎました。
それから数年が経ち、あの町から新たな勇者が生まれました。それはあの少年でした。
人々は讃えます。
少年の勇気はあの勇者を彷彿とさせるようだと。
そして少年はいつかの勇者がやったように、町を出て魔物討伐の旅に出ました。
町の人々は笑顔で勇者を見送ります。それが勇者からのお願いでもありましたから。
あの町では新たな勇者伝説が紡がれようとしていました。
少年が町を出て、森を抜けようとしていたころ、一頭の魔物に出くわしました。
それは初めて見た魔物と比べると小さくて、弱そうにも見えましたが、勇者の何倍もの大きさを誇っていました。
勇者は果敢に飛びかかり切り込みます。それはまさに勇者にふさわしい姿といえるでしょう。しかし勇者にはわかっていました。自分は弱く、そして如何に勇者にふさわしくない人物であるのかは。
あの時の勇者のように、足は震え、顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり、今にも逃げ出したくてたまりません。死にたくもありません。
しかし身体は魔物を見つけると真っ向勝負を挑みます。どんなに抗おうとしても無理なのです。
だから少年は必死に闘いました。せめてわずかながらでも恐怖を打ち消そうと、叫び声をあげながら闘いました。そして何とか魔物を倒すことができましたが、少年は魔物の返り血に気持ち悪くなり、その場に嘔吐し、倒れこみました。
何だかひどく疲れ、立っていられなくなったのです。
それから霞がかる頭で考えました。勇者だった祖父のことを。
何故祖父が町を出て、そしてあの時の自分に逃げろと言ったのか。
きっと、より大勢の人々を助けるためという建前を盾に、人々の記憶の中だけでも物語の勇者で在りたかったという本音を隠すためなのだろうと、勇者は思いました。自分もそうであるように。
少年だった勇者は――勇者になってしまった少年は知っています、この世界で勇者と呼ばれる人々がどんな存在なのかを。
それは魔物の中で卵を産み、他の生物の中で孵化し、また魔物に戻るサイクルを送る蟲が産んだもの。
それが宿主の逃走本能を闘争本能に書き換えたために魔物にとっては恰好の餌食になったこと。
そしてその中で運よく魔物を倒し続けた餌が、勇者と呼ばれているに過ぎないことを。
勇者は深く息を吸い込むと、自分の生を感じるようにゆっくりと息を吐きだしました。
そして自分の鼓動を子守唄にして、深い眠りに落ちました。