プロローグ
「今年も、やってきましたね・・この日が」
爽やかな風が頬を撫でた。
長い髪がはためくのが心地よい、少しだけそう思えるようになった。
見晴らしのいいこの丘は自分たちが幼い頃によく遊んだ思い出の場所、木々も花もあの頃と寸分変わらずにそこに在る。ただひとつを除いて・・
春を迎え緑に染まりつつある景色の中で、ひとつだけ周りの自然に不釣合いなものがそこにはあった。
それは、地面に深く立てられた・・・黒く焦げ付いた鉄の十字架
ギリリと鈍い音がした。
その音はきっと己の歯が鳴らす不協和音。
十字架を前にして、いつにも増して心がざわめく。
脳裏に浮かぶのは家族の笑顔と楽しい記憶・・・そしてそれを書き換えるだけの赤い赤い色。
母の自慢の金の髪も、妹のお気に入りだった洋服も、優しく力強い父の腕も・・・みんなみんな、染まっていった。
タスケテ・・・
ヤメテ・・・
イタイヨ・・・・・・
耳にこびり付いた悲鳴はなかなか消せないもので、思い出すだけでゾクリと背筋が震える。
これまでにも何度悪夢にうなされたことかわからない。
それほど過去の記憶は凄惨だった。
夢でいつも血の海を作り上げた主がこちらを見る。
視線がかち合うと、ひとりでにカタカタと身体が震えだした。
逃げろという声と家族を助けなければという想いが心の中でせめぎ合い、しかし身も凍るような恐怖で一歩もその場を動けなかった。
――――――ツギハ、オマエダ
「・・・・・っ!!」
あの瞬間が繰り返され、思わず目を閉じる。その拍子に呼吸まで止まってしまい、焦ったもののうまく現実に戻って来れずに空気だけが足りなくなっていく。
ああ・・・このままではいけない、そう思ったその時。
「・・ったく!お前は一人でくるなっつっただろーが!!」
少し乱暴な仕草で肩を揺すられた。
飛んでいった意識が戻ってこられたのは・・・きっと彼のおかげ。
そして再び吹いた一陣の風に、鉛のような心が少し軽くなったように感じた。
「ああ・・・すみません。貴方があまりに遅いからつい・・」
「待てコラ、ついじゃねぇついじゃ!ちゃっかり持ってかれそうになってる奴が何言ってんだ。」
だから待たせておいたのに、とぼやく姿は不機嫌以外の何物でもない。
それでもその不機嫌さが心配の現れであると知っている。伊達に長年腐れ縁をやってはいない。
「・・・そうですね、感謝していますよ。」
素直に口にしたら気味悪がられた。心外だ。
しかしこの時ばかりは本当にそう思うのだ。同じ地獄を味わった者として彼がいることに。
そして、同じ憎しみを背負う者として彼がいることに・・・・
「ったく・・とっとと済ませて帰るぞ」
俺だってこんなトコいたくねぇ。と呟き赤毛の彼は歩き出した・・・・丘の上に立つ十字架に向かって。
彼とて気持ちはきっと同じ。
ただそれをどこかに向けて発するということが出来る分、彼は自分よりしっかりと立っていられる。
それは強みであり、弱みであった。
「今年は・・抜ける心配はなさそうですね」
「ああ・・・、そうだな」
チッと忌々しげに吐き捨てたのはどちらだっただろうか。
行き場の無い怒りをどこに向けたらよいのかわからなくて・・、それでいて抜ける心配の無い十字架に安堵する・・矛盾した感情。
地深く杭を打つために持参した大きなハンマーは用無しだったらしい。
過去を思い起こして恐怖を憎しみに変換するときには不可欠な道具なのだが、同時に使わなくともよいということは喜ばしいことでもあった。
それはすなわち・・・誰か他にもこの杭を打ち続けている者がいるということ。10年という時を経た今でも、この封印を守ろうとする同志たちがいるということに他ならないのだから。
そっと手にした花輪を十字架に掛け、祈りを込めてその場に膝をつく。
その意味は弔い・・・かつてこの場所で終わったたくさんの命が少しでも安らかに眠れるよう。
そして祈り終えたら次は純度の高い酒を花輪に注ぎ、火種をつかって火をつけた。
その意味は制裁・・・あの罪人の刑を再現し、何度でもここに罰するもの。
その2つを終えて、ようやく1年に1度の儀式は終わる。
二度とあのようなことが起きないよう、二度とかの者が現れないように願いを掛けた封印の儀。
「今年も終わった・・帰るぜリオル」
「そうですね・・・戻りましょうか」
心に抱えるのはやりきれない思い、深く深い恨みと怒り。身も凍るような恐怖に、底無き悲しみ。
だがそれらを抱えて、彼らは進む。
彼らの今在るべき場所へ。
読んでいただきありがとうございます!
構成は以前からあったのですが形としたのは初です。
仕上がるかは今からドキドキです。