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LEFT OVERS  作者: 木野裕喜
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第3話 惨劇の幕開け

 地面に落ちた刃物を見た瞬間、胃の中で氷がごろごろと転がるような怖気がした。

 鉈とも中華包丁とも言える形状の刃に、べったり付着した赤黒い染み。それが鉄錆なのか、固まった血なのか。兵士でもなければ料理人でもない、ただの学生の俺には判別できない。

 それでも、目に嗅覚が備わったかのように、離れていてもはっきりと伝わってくる。

 肌を粟立たせる生臭さ。こびりついた死の匂い。

 あれは生き物を殺し、解体することだけに使われてきた代物だ。

 持ち主は既に頭蓋を砕かれ、緑色の矮躯を大の字に投げ出し、ヒクヒクと痙攣している。


「くはっ、超雑魚(ざこ)。こんなもんが体験学習(チュートリアル)なわけ?」


 自称女神が退場した直後、単体で現れた魔物――ゴブリンを、不意打ちで瀕死に追いやった奥田久弥(ひさや)が、ギャラリーと化しているクラスメイトを振り返り、自分こそが、この場における強者だと胸を張った。


「てか、こいつ棒立ちだったんだけど、実は作り物だったんじゃねーの?」


 それはない……と思う。作り物とするには、死にかけている姿でさえ生々しすぎる。

 あのゴブリンも、自称女神に突然召喚されたんだろう。なんの準備もなく、三十人からいるステージに放り出されて激しく動揺していたはずだ。間を与えて攻撃に転じられ、持っていた凶器を振り回すなりされていたら、こちらに被害が出ていてもおかしくはなかった。

 自称女神から、最低限にも満たない説明を受けはしたものの、人智の及ばない理不尽に振り回されているだけで、現状を正しく把握している奴なんていやしない。

 ただ、俺を含め、納得はできずとも、受け入れ始めている奴はいるだろう。

 俺たちはもう、平穏に生きてきた世界には戻れないのだと。

 おそらく、奥田もそう考えている一人だ。

 だからこそ、自身の勇気ある行動で、クラスメイトの不安を取り除こうとしている。

 ……はずもなし。

 そんな殊勝な性格じゃないことくらい、普段の粗暴な生活態度を見ていればわかる。

 つまり、打算。困惑と怖れを威勢で奮い立たせ、一番槍となって場を制することで、今後の主導権を握ろうとしている。そういう意味では、俺は出遅れてしまった。

 とはいえ、敵意の確認もしないうちに、人間の子供と大して変わらない見た目の生き物を、あそこまで躊躇なく蹴り倒し、頭を踏み潰せるほど、俺はまだ割り切れているとは言えない。奥田が動かなかったとしても、しばらくは様子見を続けていた。


「やっぱしよ、男はこういう時に動けるかどうかだよなァ」


 当然の権利とばかりに、奥田は自称女神がもたらした、一本しかない杖を引っこ抜いた。

 そうして杖の宝石部分で、ゴブリンのひしゃげている頭を小突くと、尖った耳と鷲鼻から、どろりと墨汁のような血が流れ出た。

 奥田の近くにいた女子が、「ひっ」と短く悲鳴を漏らして目を背けてしまう。


「怖がんなくてもいーって。女子は俺が、ちゃーんと守ってやっから」


 声に含まれる好色を隠せていないが、早くも奥田はリーダーを気取っている。

 相手が人外だとは言え、先に手を出したことに若干の罪悪感はあるし、気の弱い女子が泣きそうになっているけど、武器を持った相手を暴れ出す前に仕留めた。本人の思惑はどうあれ、確かに奥田の手柄だ。

 肩を震わせて怯える女子に気を取られていると、別の女子が「……あっ」と何かに気づいて奥田を指差した。つられて俺も奥田に意識を戻す。

 正確には、奥田の足下に。


「ああ、何よ? 下? 下がどうかし――あでっ」


 ドフッ、なんて布団叩きを連想させる鈍い音がし、奥田の体が、ほんの少し右に傾いた。

 ――――……一瞬。

 時間が停止したような感覚に襲われた。

 あまりにも非日常的な光景のため、目を疑う以前に、頭が情報を処理しようとしない。

 頭部を奇形に歪めたゴブリンが、いつの間にか、のそりと上体だけ起こしている。

 奥田は顔をしかめ、苛立たしげに視線を落とした。


「……………………え?」


 奥田のリアクションが、ひどくあっさりしたものであることも手伝い、理解が遅れた。

 でも、理解してしまった後は、夢であってくれと祈った。

 俺も、奥田も、日常を奪われたことを受け入れても、その後の世界がどういうところなのかまでは想像が及んでいなかった。そのツケが今、文字どおり奥田の右太股に刻まれている。

 まるで、木材を斬りつけたかのように。


「え? え?」


 奥田は言語を忘れたみたいに、単調な疑問を繰り返した。痛覚さえもが戸惑っているのか、取り乱すことなく、自身の肉に深く埋まっている鉈を見つめている。

 黒い学生服の上からでは出血量がわかりづらいが、ズボンの内側を伝い落ち、白い上履きをじわじわと赤く染めていく。

 クラスメイトの真新しい血を見たことで、悪寒を通り越し、ぞくりと背筋が凍りついた。

 一矢報いたゴブリンが、潰れた顔面を醜悪な笑みに変えた。

 それを真似るかのように、奥田の表情が、ぐにゃりと歪んでいく。


「ひっ……ひぎゃああああああああああああああああああああああああ!!」


 ここでようやく、奥田は先程までの不遜な態度をかなぐり捨て、遅すぎる悲鳴を上げた。

 窮鼠猫を噛む一撃だったのか、ゴブリンの手から鉈の柄がするりと離れた。


「い、いだい! いだいいぃぃいぃいぃい!!」


 外聞など関係なく泣き叫びながら、奥田は肉に刃物を食らいつかせたまま尻もちをつく。

 傷は深いが、今の段階では致命傷じゃない。止血をして、すぐに病院へ連れていけば――。


「……奥田ッ!」


 それが現実的かどうか、俺は考えないようにして奥田のもとへ走った。すぐに動けたのは、多少なりとも奥田に先を越されたという気持ちがあったからだろう。

 他にも一人、クラスで一番体格のいい前迫(まえさこ)大樹(だいき)が俺に続き、奥田に駆け寄っている。

 様子見とか言っている場合じゃない。

 俺は勢いに任せて死にかけゴブリンの鳩尾を蹴り飛ばし、奥田の傍から引きはがした。


「前迫、鉈は抜くな! 出血多量で死ぬぞ!」

「き、傷口を、心臓より高い位置にするんだったか。けど、この怪我だと――」


 シュッ、と手を擦り合わせたような音がしたのと同時、奥田の足を持ち上げようとしていた前迫が、不自然な勢いで空を仰いだ。そのまま仰向けに倒れてしまう。


「オ、オイ……前迫?」


 俺はまたしても、ぞくりとした。

 前迫の右目から、細長い棒が生えている。というか……これ、刺さって……。

 何が起こったのかは、すぐにわかった。

 よく考えれば、予想できたことだ。

 女神は、()()()()()()()()()()()()()()()だと言った。

 だったら、一匹で終わりのわけがない。


 ゴブリンBがあらわれた。

 ゴブリンCがあらわれた。


 ロールプレイングゲームだったら、そんなテロップが出ているだろう。

 何も無かったところから出現したゴブリン二匹は矢筒を背負い、木弓を持っている。

 前迫は、あれで射られた。矢筒の大きさからして、矢の長さは50センチくらいだろうが、前迫の眼球を潰した矢は、その半分ほどしか表に出ていない。残りは脳を貫いている。

 疑う余地もなく……死んでいる。

 ――鼓膜が震えた。

 クラスメイトの死体を直視した女子の誰かが、喉を潰さんばかりに絶叫したのだ。

 それが合図になった。音叉が共鳴するように悲鳴が悲鳴を呼び、瞬く間に場は騒然となる。

 机を押しのけ、椅子を薙ぎ倒し、級友に足をかけてでも、前迫を殺した二匹から、我先にと逃げようとする。

 しかし、その足と狂騒が、ぴたりと止まる。


「くそったれ……」


 思わず悪態が口をついて出た。

 周囲を草原のような緑色に囲まれた――と比喩するには、ゲシャゲシャと節足動物が大量に地面を這いずり回るような、生理的嫌悪を催す不気味な笑いが汚すぎる。

 新たに湧いて出てきたゴブリン、その数――約三十匹。

 フザケんな。一回のエンカウントで画面表示できる数を余裕で振り切ってんぞ。

 つーか、順序がおかしいんだよ。

 チート能力とまでは言わないけど、こういう窮地は普通、何かしら戦う(すべ)を与えられてからだろうが。こんなただ放り出されただけで、どうしろってんだ。無理ゲーすぎて、苦笑いすら出てこない。

 弓手の他にも、剣、槍、斧、棍棒。それぞれ手に何かしら武器を持ち、降って湧いた獲物を前に薄ら笑いを浮かべている。

 最初の一匹とは違う。連中にもう動揺なんてない。牧羊犬が羊を追い集めるように、互いの間隔を空けてじりじりと間合いを詰め、獲物を逃がすまいと目を光らせている。

 数の上では互角といったところだ。だが、戦力差は絶望的。

 殺意剥き出しの敵勢に対し、こっちの半数近くは、戦う前から心を折られている。

 腰を抜かした奴。頭を抱えてうずくまる奴。失禁している奴もいる。

 何より、最後に現れた一匹。

 群れのボスなのか、他のゴブリンを従えるような立ち居振る舞い。他の腰布を巻いただけの見すぼらしい小兵と違って、鈍色に光る立派な胸当てをつけており、プロレスラーがスリムに見えるほどの筋骨隆々とした巨体を誇っている。

 正しい呼称は知らないが、ホブゴブリンと呼ぶことにする。

 人の頭くらいならすっぽり覆い隠せそうな手には、マラカスを十倍でかくしたような鈍器が握られている。虫が食って中身がスカスカでもない限り、俺の体重くらいは余裕であるはず。

 それを片手一本で、傘でも振るように軽々と。


「これ……詰んでるじゃねーか」


 俺の呟きを否定する声はなく、状況を覆す奇跡が起きることもない。


「ゲググ……ギャォオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!!」


 ホブゴブリンが、一人も逃がさんと宣言するかのように、天を()く雄叫びを轟かせた。

 順当に、弱肉強食という自然の摂理に従うかの如く。


 ――蹂躙が始まった。

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