第8話
「天井知らずの覇王」
第四コーナー。出口。
砂塵と火花が渦巻く中、先頭を快走していたピンクの閃光――ブロッサムボマーに異変が起きた。
「――ッ!? なんだ、この油圧の低下は……!」
海東啓太郎の叫び。次の瞬間、ブロッサムボマーの右前脚が、接地と同時にあらぬ方向へと折れ曲がった。
金属が引きちぎれる断末魔。
整備班がわずかに見落とした、アクチュエーターの固定ボルト一対の金属疲労。時速八十キロ、数トンの荷重がかかる瞬間に、その「手抜き」が死神を招いた。
「おい、冗談だろ!? ここで……ッ!」
海東の機体は、猛烈な砂煙を上げてコース外へとスピンしていった。
先頭が消えた。空いた「王座」を巡り、残された四頭が牙を剥く。
「……ジャミル。邪魔者は消えた。掃討を開始する」
財前の合図と共に、アイアンエクリプスが左右へ激しく機体を振り、後続の進路を徹底的に潰しにかかる。
「行か、せない……!」
麗はアナログ・バランサーの「痛み」に耐え、強引に内側をこじ開けようとする。だが、ジャミルの壁は厚い。接触するたびに、レイスターの装甲が火花と共に削れていく。
「どきなさいよ、鉄屑の影ッ!」
最後方から、黄金の暴君――ルナティックが外側から猛然と追い上げる。亜紀子の狂気と、ルナティックの「走りたい」というバグが融合し、アイアンエクリプスのガードを力任せに弾き飛ばす。
その一瞬の隙を、麗は見逃さなかった。
「今よ……レイスターッ!!」
痛みで白濁する視界の向こう、黄金の機体――バハムートの背中が、一馬身先に見える。
麗は、自身の神経を焼き切る覚悟で、ニューラルリンクを最大出力まで押し上げた。
加速。
砂を爆発させ、レイスターがバハムートの真横に並ぶ。
ゴール板まで、残り五十メートル。
「届く……届くわッ!」
麗は確信した。バハムートの排熱ダクトが開いている。奴も限界だ。
レイスターの鼻面が、バハムートの肩を捉え、首に並び、鼻先へと迫る。
だが、その瞬間だった。
財前が、一瞬だけ、麗の方を向いた。
その瞳は、極寒の氷のように凪いでいた。
「……残念だが、村上。これが『天井』だ」
バハムートの機体底部のブースターが、これまで一度も使われていなかった「予備電力」を解放した。
加速の二段変速。
絶望的なほどの、圧倒的な伸び。
麗が「全力」だと思っていた財前の走りは、彼にとっては「最適化された温存」に過ぎなかったのだ。
二頭が並んでゴール板を突き抜ける。
一瞬の静寂。
そして、判定掲示板に表示された文字。
1着:バハムート(財前)
2着:レイスター(村上)
着差:ハナ差
「……嘘、でしょ」
麗は、熱くなった操縦席の中で、震える手を見つめた。
鼻をかすめるほど、ほんの数センチ。
だが、その「数センチ」の向こう側には、深淵のような格差が広がっていた。
パドックに戻る道中、財前はバハムートを悠々と歩かせながら、麗の横に並んだ。
「良いレースだった。君の『痛み』は、演算の誤差を三パーセントほど狂わせてくれたよ」
財前の声には、勝利の喜びも、敗者への侮蔑もなかった。ただの「事実」の報告。
「だが、アイアンクラウンの投資額は、君のガレージの資産の千倍だ。その千倍の差を埋めるには、君の命一つでは、あまりに安い」
財前は一度も振り返らずに去っていった。
麗は、熱を持ったレイスターの首筋に額を押し当てた。
レイスターは、主の悔しさに寄り添うように、小さな電子音を鳴らした。
「……あたしは」
麗の声が、砂混じりの風に消える。
「あたしは、まだ……奴らの天井すら、見えていなかったっていうの?」
空からは、再び黒い雨が降り始めていた。
敗北の味は、鉄と血と、そして自分自身の未熟さの味がした。




