第5話
「二対一の洗礼」
東京湾岸、特設ミックスコース。
海風が運ぶ塩の香りと、からくり馬たちが吐き出す高熱の排気が混ざり合い、歪んだ陽炎を作っている。
今日の公式練習は、本番さながらの「模擬併せ馬」だ。
「……来るわよ、レイスター」
麗はヘルメットの中で短く息を吐いた。
視界には、人工芝とダートがパッチワークのように入り組んだ難コースが広がっている。舗装された芝から柔らかな砂へ、あるいはその逆。接地圧が激変するたびに、機体には「トルクショック」と呼ばれる凄まじい負荷がかかる。
レイスターの脚部アクチュエーターが、路面変化に対応しようとギチギチと悲鳴を上げていた。
その時、ミラーに映る二つの影が急速に膨れ上がった。
黄金の覇王『バハムート』。
そして、その進路を露払いするように先行する『アイアンエクリプス』。
「チェックを開始する。ジャミル、位置につけ」
財前の冷徹な声が、共有通信チャンネルに割り込んでくる。
「了解だ。……ターゲット、捕捉」
ジャミルの応諾と共に、漆黒の重装甲機『アイアンエクリプス』が、文字通り麗の視界を「食」した。
速い。いや、重い。
ジャミルは、レイスターの鼻先を掠めるような絶妙な角度で進路を塞いできた。
(なめるなッ!)
麗はニューラルリンクの深度を上げ、外側から抜き去ろうとレイスターを左へ振る。だが、アイアンエクリプスは麗の脳波を読み取っているかのような反応速度で、ピタリと進路を塞いだ。
次は内側。だが、そこにも鉄の壁が立ち塞がる。
「何なのよ、こいつ……!」
これが、アイアンクラウンの誇るチーム戦術――『サンドイッチ・ブロック』。
ジャミルが徹底して麗の進路とリズムを破壊し、その背後で財前が一切の無駄を省いた「最適解」のラインを走り続ける。
レイスターが路面変化の衝撃に喘ぐたびに、ジャミルはわざと接触ギリギリまで機体を寄せ、麗の神経を削り取っていく。
「村上。君の走りは、ただの暴走だ」
財前のバハムートが、レイスターの真横に並びかける。
バハムートの駆動音は、レイスターのような荒々しい咆哮ではない。精密機械が刻む、静かで、冷酷な旋律だ。
「路面の摩擦係数、風向き、タイヤの摩耗。すべてを演算し、統制された我がチームの前では、君の『気合い』など誤差に過ぎない」
「……だとしても、止まってやるつもりはないわ!」
麗は脊髄を焼くような熱量を感じながら、アクセルを叩き込んだ。
だが、その瞬間。
芝からダートへの切り替え地点で、レイスターの足元がわずかに流れた。
そこをジャミルのアイアンエクリプスが見逃さず、重装甲の肩でレイスターを外側へ弾き飛ばす。
「――ッ!」
火花が散り、レイスターのバランスが崩れる。
外側のフェンスが迫る。制御不能。脳内を埋め尽くす警告アラート。
財前は、一度もこちらを見ることなく、優雅に加速して去ろうとした。
その時。
コースの逆走レーンから、物理法則を無視した「絶叫」が響き渡った。
「あははははは! なーに湿気たツラしてんのよ、二人ともッ!」
黄金の閃光が、フェンスを飛び越えて乱入してきた。
ゴールデンルナティック。
操縦席で逆立った髪を振り乱す亜紀子が、狂ったように笑っている。
「道がないなら作ればいいじゃない! ね、ルナ!」
ルナティックは、路面が芝だろうが砂だろうが関係なしに、最大出力のまま「最短距離」を突き進んだ。
バハムートとアイアンエクリプスの間に、強引に鼻先を突っ込む。
「……何だ、あの機体は!?」
初めてジャミルの声に動揺が混じった。
ルナティックの走りは、財前の演算には存在しない「バグ」そのものだった。進路妨害をしようとしたアイアンエクリプスの横っ面を、ルナティックは物理的なキックに近い動作で蹴り飛ばし、その反動で麗のレイスターの前に躍り出る。
「ほら麗、シャキッとしなさいよ! 鉄屑の意地、見せてやんな!」
亜紀子の声が、レイスターの神経網に流れ込む。
その瞬間、麗の視界から「迷い」が消えた。
アイアンクラウンの論理。
村上ガレージの根性。
そして、池谷亜紀子の狂気。
三つの色が混ざり合い、夜明けのコースは混沌の極致へと叩き落とされた。
麗は、鼻血を拭いながら、歪んだ笑みを浮かべた。
「……そうね。計算通りになんて、死んでも走ってやらないわ」
レイスターが再び咆哮する。
二対二。
資本と論理の王冠を、泥まみれの鉄屑が食いちぎるための「前哨戦」が、今、始まった。




