第4話
「王冠の双璧」
ミックス重賞『ベイサイド・スプリント』の公式レセプション会場。
そこは、オイルの匂いと鉄の軋みが支配するいつものガレージとは、完全に遮断された別世界だった。眩いプロジェクションマッピングが宙を舞い、最新鋭のホログラムが次戦のコースレイアウトを空中に映し出している。
麗は、借り物の安っぽいジャケットの襟を何度も直しながら、居心地が悪そうに会場の隅で合成炭酸水を啜っていた。
「……場違いね。こんなところでシャンパンを飲む暇があるなら、一秒でも長くレイスターに繋がっていたいわ」
「まあまあ。これも仕事のうちよ、麗。スポンサーの機嫌を取るのも、一流ジョッキーの嗜みってね」
隣で亜紀子が、パーティ料理のキャビアを無造作にポテトチップスに乗せて頬張っている。彼女だけは、この絢爛豪華な空気に一ミリも呑まれていなかった。
その時、会場の空気が一変した。
正面の自動ドアが開き、漆黒のスーツに身を包んだ集団が音もなく入ってくる。
中心に立つのは、剃刀のように鋭い眼光を持つ男。チーム「アイアンクラウン」のトップ、財前巌。
そしてその背後に、岩石を削り出したような無骨な体躯の男が、完璧な影のように付き従っていた。
「……アイアンクラウンか」
義清が、忌々しそうに呟く。
新興の巨大資本を背景に、からくり競馬の世界に徹底した「合理主義」を持ち込んだ異端のチーム。彼らにとって、馬は魂を共有するパートナーではなく、勝利という結果を演算するための精密なパーツに過ぎない。
財前は、周囲の視線を歯牙にもかけず、真っ直ぐに麗の方へと歩いてきた。
「村上麗。先日のダート戦、映像で見させてもらった」
その声は、感情を排した合成音声のように平坦だった。
「柳生の末妹を相手に、あそこまで泥臭く粘るとは。前時代の『根性論』がまだ機能しているのを見て、驚きを禁じ得ないよ」
「褒め言葉として受け取っておくわ、財前さん。でも、次のミックス重賞じゃ、その『根性』に喉元を食い破られることになるわよ」
麗が睨みつけるが、財前は微塵も動じない。
「残念ながら、その機会はない。私の『バハムート』に追いつくには、君の機体はあまりに旧式だ。クロフネの設計思想……二十年も前の遺物を振り回しているようでは、現代の演算レースにはついてこれない」
「何だと……!」
麗が半歩踏み出した瞬間。
財前の背後にいた男――ジャミル・スミヨンが、音もなく割り込んできた。
ジャミルの鉄柱のような腕が、麗の行く手を阻む。
「下がれ。王の言葉を遮るな」
ジャミルの声は低く、そして重い。
首筋に覗くプラグ跡は、麗のものより深く、無機質だ。彼は愛機との接続を維持するため、私生活ですら神経系の一部を外部に晒しているという噂がある。
「ジャミル、よせ。野生動物を刺激しても無意味だ」
財前が冷ややかに制すと、ジャミルはスッと腕を引いた。その動きの淀みのなさが、かえって麗の神経を逆撫でする。
「村上。君に一つ、忠告しておこう」
財前は、テーブルの上のグラスを一つ手に取り、逆さにした。
「次のミックス重賞、君の戦場は『砂』ではない。舗装された『人工芝』と『ダート』が目まぐるしく入れ替わるミックスコースだ。切り替えのたびに発生する負荷に、そのボロ機体のフレームが耐えられるかな?」
「余計なお世話よ」
「いいや、これは憐れみだ。ジャミルの『アイアンエクリプス』が君の視界を塞ぎ、私のバハムートがその上を通り過ぎる。君はただ、舞い上がる砂塵の中で、自分たちの時代の終わりを確信すればいい」
財前とジャミルは、一度も振り返ることなく会場の中央へと去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、麗は握りしめたグラスが指の力でミシミシと鳴るのを感じていた。
「……ねえ、麗」
亜紀子が、食べかけのチップスを飲み込み、真剣な顔で言った。
「あいつら、ただの金持ちじゃないよ。ジャミルのあの目……あれは自分の意識を半分、機体に預けてる側の目だ。財前の冷徹さを支えるために、ジャミルが『汚れ仕事』のすべてを引き受ける。あのコンビ、想像以上に厄介だよ」
麗は、会場の大型モニターに映し出された、バハムートとアイアンエクリプスの機体データを見つめた。
黄金の覇王と、その輝きを呑み込もうとする鉄の食。
資本と技術で武装した「現代の王」たちに、村上ガレージの古い鉄屑がどう立ち向かうのか。
麗の首筋が、熱い疼きを上げた。
それは恐怖ではなく、喉元を食い破りたいという、原始的な闘争本ネだった。




