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からくり競馬2〜『変異する血統(ブラッド・リンク)』〜  作者: 水前寺鯉太郎
第1幕

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2/27

第2話

「衝突、そして」


 直線残り二百メートル。東京湾岸ダートコースの砂塵は、もはや空気ではなく、高熱のつぶてとなって視界を埋め尽くしていた。

 機体番号7、レイスター。

 機体番号11、スノーランサー。

 一トンを超える二頭の鋼鉄が、時速八十キロを超える速度で肩を並べる。その衝撃は、物理的な震動としてだけではなく、ニューラルリンクを通じて騎手の脊髄へと直接叩き込まれた。

「……ッ、はあ、はあ……!」

 麗の視界は、もはやモニターの映像ではない。レイスターの外部センサーが拾う光情報の濁流だ。神経接続深度は一一五パーセントを超え、警告アラートが鼓膜の奥で電子の悲鳴を上げ続けている。

 隣を走る「白」が、視界の端で猛り狂っていた。

 スノーランサー。柳生家の三女、りんねが駆るその機体は、先ほどまでの優雅なフォームを完全に捨て去っていた。泥を被り、装甲の一部を火花と共に散らしながら、それでもなおレイスターの鼻面を捉えようと加速し続ける。

「行け……ッ、レイスター! あんな『箱入り』に負けるな!」

 麗が叫ぶと同時に、レイスターの電磁心臓が咆哮を上げた。排熱ダクトから吐き出される熱風が、コース上の砂をガラス状に変えるほどの熱量を帯びる。

 対するスノーランサー。

 操縦席のりんねは、自分の爪が手の平を突き破り、血が滲んでいることにすら気づいていなかった。

 熱い。

 柳生の家で、姉たちの背中を見ながら学んできた「美しさ」も「計算」も、すべてがこの一瞬の熱に焼かれて蒸発していく。

(これだ……。これだったんだ)

 りんねの脳内に、かつての「野生」が流れ込んでくる。モデルとなったイナリワン――地方の砂地から這い上がり、中央の芝の王者をなぎ倒した雑草の魂。

「クソ喰らえだ……柳生の看板なんて、全部、この砂に埋めてやる……!」

 りんねの声が、ニューラルリンクの通信波に乗って麗の脳内へ直接突き刺さった。

 衝突。

 二頭の距離が、ついにゼロになった。

 金属と金属が正面から噛み合い、凄まじい火花が夜明けの闇を切り裂く。レイスターの黒い装甲がスノーランサーの白い機体を削り、スノーランサーの鋭い加速がレイスターの駆動系を軋ませる。

 右肩から伝わる「激痛」に、麗は歯を食いしばった。これは自分の右肩ではない。マシンの装甲が削れる痛みを、脳が「自分の肉が削れる痛み」として誤認しているのだ。

 だが、その痛みが心地よかった。

 痛みがあるから、生きている。痛みを共有しているから、この鉄屑は「愛機」なのだ。

「残り、五十……ッ!」

 麗はさらに出力を上げた。脳が、沸騰する。

 二頭はそのまま、もつれ合うようにしてゴール板へと突っ込んだ。

 砂塵が爆発し、全ての音が消えた。

 レース終了を告げる電子ブザーが鳴り響き、ようやく静寂が戻ってきた。

 検量室前。

 レイスターの巨大なハッチがプシューと音を立てて開き、熱気が溢れ出す。麗は、自分の足で降りることすら叶わなかった。駆け寄ったメカニックたちに抱きかかえられるようにして、操縦席から這い出す。

 全身が汗でぐっしょりと濡れ、鼻からは止まらない鼻血が滴り落ちていた。

「……タイムは」

 麗は、自分を支えるメカニックの肩を掴み、掠れた声で問いかけた。

「タイムは、どうだった」

「ハナ差だ、麗。お前の勝ちだよ。レコードまであとコンマ三秒だった」

 その言葉を聞いた瞬間、麗の全身から力が抜けた。

 勝利の美酒、というにはあまりに苦い、鉄と血の味が口の中に広がっていた。

 数メートル先。

 スノーランサーのハッチからも、一人の少女が降りてきた。

 柳生りんね。

 彼女の姿は、麗よりも悲惨だった。白い勝負服は泥で真っ黒に汚れ、柳生家特注のスマートヘルメットは叩きつけられた衝撃でひび割れている。

 だが、その目は死んでいなかった。

 駆け寄った柳生家のスタッフが「お怪我はありませんか、お嬢様!」と取り囲むのを、りんねは無言で跳ね除けた。

 そして、ふらつく足取りで麗へと歩み寄る。

「……村上麗」

 りんねの声には、これまでの彼女からは想像もつかないような、渇いた響きがあった。

 麗はスタッフに支えられながら、その視線を正面から受け止める。

「何よ。負けた言い訳なら、後にして」

「違う」

 りんねは短く首を振った。

 彼女の瞳の奥で、まだ「からくり」の熱が燻っている。

「……楽しかったわ。生まれて初めて、息ができた気がする。これがあんたの言っていた『泥』なのね」

 りんねはそう言い残すと、崩れ落ちるように膝をついた。柳生家のスタッフたちが悲鳴を上げながら彼女を担架へと運んでいく。

 麗は、運ばれていくりんねの背中を見つめながら、ゾク、と背筋に冷たいものが走った。

 りんねは、覚醒した。

 それは村上ガレージにとっての勝利であると同時に、制御不能な「怪物」を解き放ってしまったことを意味していた。

 来賓席のモニターを見つめていた柳生ミカは、ゆっくりと立ち上がった。

 その足元には、握りつぶされた白い革手袋が、引き裂かれた布切れとなって転がっていた。

「ミカ、お姉様……」

 はるこが恐る恐る声をかける。ミカの表情は、どこまでも冷徹で、石像のように固まっていた。

「……りんねが、壊れた」

 ミカの声は、震えていた。

 それは怒りではなく、底知れない恐怖から来る震えだった。

「あの子はもう、私たちの知る『柳生』じゃない。あんな……あんな下品な泥に、あの子の魂は売られてしまった」

 モニターの中では、泥まみれになったレイスターが、夜明けの光を浴びて不気味な光沢を放っている。

 ミカは視線を逸らそうとしたが、できなかった。

 自分の心の中にも、あの泥の熱が、一滴だけ混じってしまったことを自覚したからだ。

「……はるこ、準備をなさい。次の重賞、私が直接出るわ」

「えっ、でも、お姉様は来月のドバイ遠征に向けて調整中では――」

「調整などいらない」

 ミカは、モニターの中の「黒い怪物」を指差した。

「あの泥を……私の手で、完璧な様式美をもって浄化しなきゃならないの。さもなければ、柳生家は今日、この瞬間に終わってしまう」

 朝日は、すでに完全に昇っていた。

 だが、東京湾岸に広がる砂塵は、より深く、より濃く、これからの戦いを予感させるように渦巻いていた。

 麗、りんね、そしてミカ。

 鋼鉄の心臓を持つ馬たちが、誰の魂を最初に焼き尽くすのか。

 その答えを知る者は、まだ誰もいなかった。

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