第19話
「北の咆哮、西の女帝」
盛夏の札幌競馬場。芝二千メートル、札幌記念(GII)。
GIIとはいえ、そこには宝塚記念を終えた一線級が顔を揃えていた。
麗のレイスターと、亜紀子のルナティック。二頭は秋の「天皇賞・秋」への叩き台として、北の大地を踏み締めていた。
「麗、この洋芝……重いよ。砂とは違うけど、脚を絡め取られるような粘りがある」
亜紀子の通信に、麗は深く頷いた。
「いいわ。この『重さ』、海老原さんが言っていた『力の逃がし方』を試すには絶好の舞台よ」
レースは、ルナティックが爆発的な逃げを見せ、それをレイスターが「平熱」で追走するという、これまでとは違うリズムで展開された。
直線。麗はレイスターの出力を強引に上げるのではなく、洋芝の抵抗を逆手に取り、最小限の姿勢制御で前進する。
結果は、二頭の叩き合いの末、ハナ差でレイスターが先着。
重賞勝利。だが、麗に笑顔はなかった。
「……まだ、これじゃミカの背中には届かない」
同日、新潟競馬場。芝千六百メートル、新潟2歳ステークス(GIII)。
そこには、村上家の長男、義清と彼の愛機『ノーブル・レジーナ』の姿があった。
「……姉貴は、いつも泥にまみれて戦っている。俺はその足元を汚さないよう、誰よりも気高く走ってみせる」
義清は、若くして老成した落ち着きを持っていた。
彼の機体、ノーブル・レジーナ。レイスターのような剥き出しの配線も、ルナティックのような過剰な火花もない。ただ、美しく磨き上げられたパールホワイトの装甲が、新潟の直線で真昼の太陽を弾き返していた。
ゲートオープン。
義清の走りは、まさに「教育」だった。
先行集団の真後ろ、最も風圧を受けず、かついつでも抜け出せる絶好のポジションを、彼は一ミリの狂いもなく維持し続ける。
「村上家の弟か……。姉貴ほどじゃないが、妙に鼻につく優等生だな」
周囲の若手ジョッキーたちが仕掛ける。だが、義清は動かない。
彼の視界には、ゴールまでの最短距離と、レジーナの心拍数が完璧に同期して表示されていた。
第四コーナー。
進路が塞がった、その瞬間。
「……どいていただけますか。そこは、僕の道です」
義清が軽くレバーを引くと、ノーブル・レジーナは瞬時に「差し」の体勢へ移行した。
一歩、一歩が王者の歩み。
他馬を圧倒する「威圧感」だけで進路をこじ開け、義清は一度もムチを入れることなく、独走状態でゴール板を駆け抜けた。
勝利の瞬間も、義清はガッツポーズ一つしなかった。




