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からくり競馬2〜『変異する血統(ブラッド・リンク)』〜  作者: 水前寺鯉太郎
第1幕

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17/26

第17話

「残影、静寂を穿つ」


阪神競馬場の直線は、悲鳴に近い歓声に包まれていた。

 先頭をひた走る柳生ミカのシルフィア。その背後、死力を尽くしている麗のレイスター。

 二頭の火花が芝を焼き、空気を歪める。

「……終わらせるわ。柳生の『正解』の中に」

 ミカが再加速のトリガーを引こうとした、その刹那だった。

 スッ……。

 バックミラーにも、高精度センサーにも映っていなかった「漆黒」が、ミカのインコース、わずか数センチの隙間に割り込んだ。

「なっ……!?」

 ミカの瞳が初めて驚愕に揺れる。

 そこにいたのは、排気音すら殺し、周囲の熱を吸い込むような冷徹な加速を見せるダークランサー。海老原樹だった。

「ミカちゃん。君の走りは『光』だ。だが、光が強ければ強いほど、その足元の影は深く、濃くなるんだよ」

 海老原の声は、通信回線越しでも驚くほど穏やかだった。

 彼は、若者たちが「出力」と「根性」で競り合っている間、一滴の無駄もなく、レース全体の「流れ(潮流)」だけを読み続けていた。

 残り二百メートル。

 ダークランサーが、シルフィアの影に潜り込み、その風圧を「推進力」へと変換する。

 伝統と経験に裏打ちされた、魔術的な進路取り。

 漆黒の影が、白銀の神域を内側から食い破った。

「行かせるかぁぁぁッ!!」

 大外から、麗のレイスターが猛然と追い上げる。

 アナログ・バランサーの警告を無視し、麗は自分の神経をガソリンにしてレイスターを急かした。

 シルフィアを抜き去り、ターゲットはただ一頭。海老原のダークランサー。

 だが、届かない。

 麗がどれだけ「熱」を上げても、海老原の走りは「冷たく」加速し続ける。

 そこには、最新鋭の演算機でも、若さゆえの爆発力でも到達できない、五十一年の歳月が積み上げた「競馬の本質」があった。

 ゴール板。

 一瞬の静寂の後、掲示板に灯ったのは、非情なまでの順位だった。

 1着:ダークランサー(海老原 樹)

 2着:レイスター(村上 麗)

 3着:アイアンエクリプス(ジャミル・スミヨン)

 地響きのような、どよめき。

「……負けた。……また、届かなかった」

 麗は、真っ白な煙を吹くレイスターの操縦席で、力なくハンドルを放した。

 バハムートも、シルフィアも、ルナティックも、この「漆黒の老将」に跪いたのだ。

 検量室への帰り道。

 五十一歳、最年長G1勝利記録を更新した海老原は、ゆっくりとダークランサーから降り立った。

 歩み寄る麗に、彼はブラックコーヒーを差し出し、わずかに目を細めた。

「村上さん。君の走りは、確かにミカちゃんの『神域』を壊した。だがね、壊した後の『荒野』をどう走るか……それを教えてくれるのは、データではなく、時間だけだ」

 海老原は、自身の震える指先を見つめ、自嘲気味に笑った。

「……次は、もっと苦いコーヒーを淹れて待っているよ」

 夕闇の阪神競馬場。

 最年長王者の背中を見送りながら、麗は血の混じった砂を吐き捨てた。

 柳生家という壁の向こう側には、さらに深く、暗い「プロの深淵」が広がっていた。

 だが、その瞳に絶望はなかった。

 次は、この影すらも焼き尽くす。

 村上麗の「本当の戦い」は、この敗北から始まった。

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