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からくり競馬2〜『変異する血統(ブラッド・リンク)』〜  作者: 水前寺鯉太郎
第1幕

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16/26

第16話

「漆黒の残影マンハッタン・シャドウ


 阪神競馬場、芝二千二百メートル。

 グランプリ「宝塚記念」のファン投票によって選ばれた八頭の怪物が、夏を告げる陽光の下で火花を散らしている。

 パドックの最深部。他の若手ジョッキーたちの殺気立った空気とは一線を画す、不気味なほどに静かな男がいた。

「……賑やかだね。若さが、熱を通り越して『ノイズ』になっている」

 海老原樹。御年五十一。

 かつて数々の名馬を頂点へと導き、からくり競馬の黎明期から生き残る「生ける伝説」だ。

 彼の愛機『ダークランサー』は、全身を漆黒の防汚コーティングで固め、排気熱すらも外部に漏らさない。まるでそこに「存在しない」かのように、周囲の光を吸い込んでいた。

「海老原さん……。あなたのようなレジェンドが、なぜ今さらこの泥仕合に?」

 財前がバハムートのハッチを開け、冷ややかに問いかける。

「財前くん、君の演算は素晴らしい。だがね、コーヒーの苦味を知らない子供には、このレースの『深み』は分からないよ」

 海老原は手元の水筒から一口、ブラックコーヒーを啜ると、静かにダークランサーへとプラグを繋いだ。

 ゲートオープン。

 

 先頭を奪うのは、やはりミカのシルフィア。

 それを追う麗のレイスター、亜紀子のルナティック。

 柳生姉妹の三頭が三角形の陣形を組み、財前とジャミルの「アイアンクラウン」がその外側から圧をかける。

 まさに戦国時代の様相を呈する中、ダークランサーは最後方、一頭だけ「死者の領域」にいた。

「……見えてきたよ。君たちの『限界』が」

 海老原の呟きと共に、レースは動く。

 第三コーナー。内側で競り合う麗と財前。彼らが互いの熱量に意識を奪われた瞬間、ダークランサーが音もなく、影のようにその「隙間」へ滑り込んだ。

 それは加速ではない。

 相手が「気づかないうちに」横にいる。

 マンハッタンカフェの真髄――『追走の消失』。

 レーダーにも、そしてジョッキーの直感にもかからない「死角」を縫い、海老原は一気に中団を飲み込んでいく。

「何なのよ、この黒い影は……!? センサーに反応がないわ!」

 麗が叫ぶ。

 アナログ・バランサーの「痛み」すら、ダークランサーの放つ冷徹な威圧感に凍りつく。

 海老原の走りは、財前の「演算」にも、ミカの「神域」にも属さない。それは、五十年という歳月が磨き上げた「経験」という名の、もう一つの真実だった。

「ミカちゃん。君の『静寂』は美しいが、少しばかり、光が強すぎる」

 直線。独走するシルフィアの背後に、漆黒の残影が音もなく並びかける。

 ミカが初めて、眉を潜めた。

「……海老原さん。私の視界に、ゴミが混じったわ」

「いいや、それは君の『孤独』だよ」

 先頭を行く白銀。

 それを食らおうとする漆黒。

 そして、その二頭をまとめて焼き尽くそうと、大外から「火だるま」になったレイスターとルナティックが突っ込んでくる。

 阪神の短い直線が、この国の「からくり競馬」の歴史が凝縮された、沸騰するルツボへと変わる。

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