第13話
星を撃つ鉄屑
チューリップ賞の惨敗から三日。村上ガレージは、死体安置所のような静寂に包まれていた。
麗は、ジャッキアップされたレイスターの足元で、真っ黒なオイルにまみれて横たわっていた。
「……ねえ、親父。芝のスノーランサー(りんね)は、地面を蹴ってなかった」
その声は、深淵の底から響くように冷たかった。
「あいつらは、芝の上を『飛んで』いるのよ。あたしたちが必死に砂を掴もうとしている間に、あいつらは空を掴んでる」
健造は、無言で一本の古い、錆びついたシリンダーを麗の前に転がした。
「……それは?」
「クロフネの『遺品』だ。芝で負け、砂で王となった怪物が、最後まで捨てきれなかった『芝用の超高圧スプリング』だよ」
健造はレイスターの分厚いダート用装甲を、火花を散らしながらサンダーで切り裂き始めた。
「麗。柳生の奴らが『空』を飛ぶなら、お前は『地獄』を走れ。……いいか、芝の適性なんてクソ食らえだ。芝を『砂』だと思って、力任せに粉砕して進め」
それは、からくり競馬の常識を覆す狂気の改造だった。
芝の摩擦の少なさを「洗練」で補うのではなく、**「超高出力のトルクで芝を根こそぎ引き剥がし、無理やりダートと同じ抵抗値を作り出す」**という、文字通りの環境破壊。
「レイスターのフレームが保たないわよ、そんなの」
亜紀子が青ざめた顔で割り込む。
「機体がバラバラになる前に、麗の神経が焼き切れる。……それ、ただの自爆特攻だよ!」
「自爆で結構」
麗は起き上がり、黒いオイルを顔に塗ったまま笑った。
「あの一等星を、地べたに叩き落とせるなら……あたしの回路なんて、全部燃え尽きたって構わない」
一週間後。オープン特別レース。
そこには、チューリップ賞の覇者、柳生りんねとスノーランサーの姿があった。
「あら、村上のお姉さん。また恥をかきに来たの? そのボロボロの機体、もう見ていられないわ」
りんねの嘲笑。だが、麗は答えなかった。
ゲートオープン。
スノーランサーが、いつものように優雅な加速で芝を滑る。
しかし、その背後。
バリバリ、バリバリバリッ!!
聞いたこともない、凄まじい「破砕音」がコースに鳴り響いた。
レイスターの脚部が接地するたびに、美しく整えられた芝が、巨大な土塊となって空中に跳ね上がる。
麗はアナログ・バランサーを限界突破させ、機体に命じた。
(喰らいなさい、レイスター! この綺麗な芝を、あたしたちの得意な『泥濘』に変えてやるのよ!)
レイスターの走りは、もはや「走行」ではなかった。
超高圧のスプリングが芝を粉砕し、強引にグリップを作り出す。その反動による衝撃は、麗の脳を内側からハンマーで叩くような激痛となって襲いかかる。
だが、その速度は――異次元だった。
「なっ……何、あの不気味な加速は!? 芝を壊して走ってるの!?」
りんねの悲鳴。
スノーランサーの「洗練された空」が、レイスターが巻き上げる「芝の混じった泥」によって汚されていく。
視界を奪われ、リズムを崩したりんねの隙を、麗は逃さない。
「落ちなさい、お嬢様ッ!!」
直線。
泥と芝の嵐を突き抜け、漆黒の怪物が一等星を飲み込んだ。
一馬身、二馬身。
ハナ差でも、三馬身差でもない。
は、自分たちのフィールドであるはずの芝の上で、見たこともない「黒い暴力」に蹂躙された。
ゴール板を駆け抜けた瞬間、レイスターの右脚から黒煙が噴き出し、麗は気を失った。
だが、掲示板の一番上に刻まれたのは、まぎれもなく『レイスター』の名だった。
パドックに静寂が広がる。
それは、誰も見たことがない「芝の殺し方」への畏怖だった。




