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断罪された社畜令嬢、追放先でスローライフしていたら才能が覚醒しました  作者: 渚月(なづき)


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第5話 市場に立つ令嬢

朝の市場は、いつもと空気が違った。

開場前から人だかりができている。その視線の先に、見慣れない大きな天幕があった。


ゲイル商会の天幕だ。通りの一等地に、堂々と張られている。

色鮮やかな旗。磨き上げられた商品棚。金文字の看板。

辺境の市場には不釣り合いな華やかさだった。まるで中央の大通りがそのまま切り取られたような異質さ。


そして、価格が安い。圧倒的に。


「嘘でしょ……布がうちの仕入れ値より安いじゃん……」


ルチアが呆然と呟いた。手に持っていた売り物の籠を、思わず地面に下ろしている。


わたしは値札を一つずつ確認した。

布は三割安。塩は二割五分。油に至っては半値近い。


採算割れの値段だ。これは商売ではない。

相手を潰すための価格。業界では「焦土戦略」と呼ばれる手口だ。


中央の大手商会がこんな辺境で赤字覚悟の出店をする理由は一つしかない。

ヴェルデン商会を潰すこと。あるいは、屈服させること。


わたしの頭は冷静に回転していた。

感情に流されるな。数字で考えろ。


カイルが隣に立った。腕を組んでゲイルの天幕を見ている。

その顔は険しいが、取り乱してはいない。この人は追い詰められた時に冷静になるタイプだ。


「どう見る」


「長期戦はできません。あちらの体力が違いすぎる。ゲイル商会の資本力なら、半年は赤字を続けられるでしょう。うちは一ヶ月で干上がります」


「厳しい見立てだな」


「正確な見立てです」


「……だな」


カイルは苦笑した。けれど、目は笑っていない。


「じゃあ、短期で何かを変えるしかないか」


「ええ。——提案があります」


わたしは市場を見回した。

ゲイルの天幕は派手だが、売っている品は中央からの一般的な日用品だ。

上質な布、精製された塩、香りのいい油。品質は悪くないが、どれも中央の趣味で選ばれたものだ。


辺境の暮らしに合わせた品揃えではない。


「この街の人たちが本当に必要としているものは何ですか」


カイルは一瞬考えて、指を折り始めた。


「そりゃあ……冬に向けた保存食の材料とか、家畜の薬とか。子どもの防寒着。屋根の修繕道具。重い雪に耐える建材。あとは農具の替え刃」


「ゲイル商会はそれを売っていますか」


カイルは天幕の方を見た。


「……いや。華やかな布や、中央で流行りの品ばかりだ。装飾品とか、香辛料とか。辺境じゃ使い道のない贅沢品もある」


「そこです」


わたしは帳簿から、辺境の季節ごとの売れ筋データを広げた。

過去三年の記録を整理した成果が、ここで活きる。


「品揃えを辺境特化に切り替えましょう。中央と同じ土俵で戦わない。安さで勝負しても勝てません。けれど、この街の暮らしに寄り添った品を揃えれば、ゲイル商会にはできない商いができる」


カイルの目が変わった。

大雑把な外見の奥にある、商人としての鋭さ。わたしがこの人に初めて会った時に感じた鋭さが、今、はっきりと表に出ていた。


「理屈は分かる。だが仕入れはどうする。ゲイル商会に頼れないなら、品物はどこから持ってくる」


「辺境の農家や職人から直接仕入れます。中間を省けば、生産者にも正当な利益が渡る。お互いに利のある仕組みです」


「——ルチアの実家、農家だよな」


「うん! うちだけじゃなくて、近隣の農家さんも紹介できるよ! 保存食の材料なら、いくらでも出せる!」


ルチアが勢いよく手を挙げた。目がきらきら輝いている。

この子のこういうところが、場の空気を変える。暗くなりそうな話が、前に進む力に変わる。


トーマが静かに口を開いた。

普段は必要最低限しか喋らない老番頭が、自分から発言するのは珍しい。


「この辺りの職人は腕がいい。革細工も木工も、中央に負けん技がある。だが、売り先がなくて困っとる者が多い。作っても買い手がおらんでは、腕も錆びる」


「繋げましょう。職人の品をヴェルデン商会が預かって、市場で売る。手数料は最低限に。職人の名前を商品に添えて、作り手の顔が見える売り方にする」


わたしは帳簿に数字を書き込みながら、仕組みを説明した。


生産者から直接仕入れ、辺境の需要に合った品を適正価格で売る。

大手のように派手ではないが、暮らしに根ざした商い。

利幅は小さい。けれど、確実に回る。

そして何より、この仕組みが回り始めれば、辺境の経済そのものが自立に向かう。


「賭けだな」


カイルが言った。


「計算に基づいた賭けです」


わたしは答えた。ポムが肩の上で、小さく鳴いた。



三日後。ヴェルデン商会の市場での売り場が、がらりと変わった。


防寒着。保存食の瓶詰め。修繕道具の詰め合わせ。農家の手作り石鹸。

職人が名前を彫り込んだ革の手袋。厚手の麻布で作った作業着。

地味だが、どれも手に取ると質の良さが分かる品ばかりだ。


ルチアが手書きの札を添えた。

「つくった人:ベルタおばさん(石鹸)」「つくった人:ヨルク親方(革手袋)」


字はまだ少し拙いが、温かみがある。

わたしが教えた文字を、ルチアは一生懸命に使っていた。


「これ、ゲイルさんとこにはないのよねぇ」


街の女性が、職人手作りの厚手の手袋を手に取って言った。

革の手触りを確かめ、裏返して縫い目を見ている。品物の良し悪しを見分ける目だ。辺境の人々は、自分の暮らしに本当に必要なものを知っている。


「辺境の冬を知ってる人が選んだ品だって、すぐ分かるわ」


売上は劇的ではない。初日はまだ物珍しさもある。

けれど、客足は確実にこちらに向いていた。


ゲイル商会の天幕は相変わらず華やかだが、最初の物珍しさが薄れると、辺境の人々は自分たちの暮らしに必要なものを選び始めた。

安くても使い道のない贅沢品より、少し高くても冬を越せる道具。それが辺境の価値観だ。


「リーネさん、すごい! 今日の売上、先月の同日の倍だよ!」


ルチアが帳簿を持って駆けてきた。

計算はまだ拙い。けれど数字を追う目が輝いている。自分の手で書いた数字を、自分で確認できることが嬉しいのだろう。


最近、ルチアは毎晩わたしに読み書きを教えてほしいと頼むようになった。

字が読めないことを恥じていたルチアが、自分から学ぼうとしている。

夜、食堂のテーブルで向かい合って、一文字ずつ練習する。ルチアの指はペンに慣れていなくて、最初は震えていた。けれど、書けるようになった文字を見て笑うルチアの顔は、何物にも代えがたい。


「ルチア、ここの計算、合ってるよ」


「ほんと!? やった!」


その笑顔を見て、わたしの胸に小さな温もりが広がった。

こういう感覚を、わたしは忘れていた。誰かの成長を、嬉しいと感じること。


ポムが肩の上でまるくなる。

カイルが売り場の整理を手伝いながら、こちらを見て小さく頷いた。

何も言わない。けれど、その頷きの意味は分かった。


悪くない。悪くない日だった。


けれど、夕方。

トーマが険しい顔で戻ってきた。息が少し荒い。走ってきたのだろう。


「カイル坊。ゲイル商会が、近隣の農家を回っとる。うちに卸すなら取引を切ると脅しておるらしい」


空気が一変した。


仕入れ先を断たれたら、この仕組みは一日で崩壊する。

品物がなければ、売り場は空になる。

オルヴァンは、わたしたちの動きを読んでいた。いや、読まれることは覚悟していた。

けれど、これほど早いとは。


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