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断罪された社畜令嬢、追放先でスローライフしていたら才能が覚醒しました  作者: 渚月(なづき)


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第3話 数字が語る小さな矛盾

帳簿の数字が、合わない。

わたしの手が止まったのは、仕入れの記録だった。


ヴェルデン商会が中央から仕入れている日用品——布、塩、油。

その仕入れ値が、わたしの知る相場より明らかに高い。


三割。いや、物によっては四割も上乗せされている。


「……おかしい」


呟いて、次のページをめくる。

指先にインクがつく。ページの端が少し破れているのは、以前誰かが乱暴にめくった跡だろう。


運送費の項目にも不自然な数字がある。

同じ距離の輸送なのに、月によって費用が倍近く違う。

春先と秋口に費用が跳ね上がる。道の状態が悪くなる季節を口実にしているのだろうが、それにしても差が大きすぎる。


わたしは朝食も忘れて帳簿を追った。

二冊目、三冊目。机の上が紙とインクで埋まっていく。


パターンが見えてきた。

仕入れ値の上乗せは、すべて同じ商会を経由している。


ゲイル商会。


中央で急成長した大手だ。わたしが以前勤めていた商会とも取引があった。

あの頃は、帳簿の中の一行でしかなかった名前。けれど今、別の角度から見ると、その名前の背後に大きな影が見える。


四冊目の帳簿を開いたところで、階段を上がる足音がした。


「朝から根が生えてるな」


カイルが顔を出した。手に木の器を持っている。

湯気が立っている。スープの匂いがした。


「食べてないだろう。パンとスープ。ルチアが作った」


「……ありがとうございます」


受け取ったが、すぐには手をつけられなかった。

頭の中は数字でいっぱいだ。


「カイルさん。仕入れについて、お聞きしてもいいですか」


カイルは机の端に腰を下ろした。部屋が狭いから、自然と距離が近くなる。


「ああ。何でも聞いてくれ」


「この仕入れ値は、ご自身で交渉されたものですか」


カイルの表情が少し変わった。口元に苦い色が浮かぶ。


「……いや。うちの規模じゃ中央と直接取引ができない。ゲイル商会の仲介を通してる。条件は向こうの言い値だ」


「言い値、ですか」


「ああ。辺境の小さな商会がいくら交渉しても、相手にされない。仲介を通すしか方法がなかった。先代の頃からずっとそうだ」


カイルの声に諦めが混じっていた。

それはこの辺境が長年受け入れてきた現実なのだろう。情報がない。選択肢がない。だから、差し出された条件を飲むしかない。


わたしは帳簿の該当箇所を指で示した。


「この価格は、相場の三割から四割増しです」


「——なに?」


「ここ、ここ、ここ。すべてゲイル商会経由の品目です。中央の標準的な卸値と比較すると、差は明白です。わたしは三年間、中央の商会で帳簿をつけていましたから、相場は頭に入っています」


沈黙が落ちた。

窓の外で鳥の声がしたが、部屋の空気は動かなかった。


カイルは帳簿のページを自分でもめくった。数字を一つずつ指で追っている。

眉間の皺が深くなっていく。唇が一文字に結ばれた。


「気づかなかった」


その声に、怒りよりも悔しさが滲んでいた。

拳が膝の上で白くなるほど握られている。


「辺境は情報が遅い。中央の相場がどうなってるかなんて、わざわざ教えてくれる人間はいない。だから言い値を飲むしかなかった」


「つまり、長年にわたって——」


「搾取されてたってことだ」


カイルの声が低くなった。


「うちだけじゃない。この辺り一帯の商会が、同じ条件で取引してる。みんな、これが普通だと思ってた」


カイルが椅子の背にもたれ、天井を仰いだ。

古い梁がきしむ音がする。


その横顔は、怒りを飲み込もうとしているように見えた。

自分だけの問題ではない。辺境全体が、知らないうちに搾られてきた。それを知った時の感情は、想像するに余りある。


わたしはスープを一口飲んだ。冷めかけていたが、野菜の甘みが舌に残った。

ルチアの料理は素朴だが、ちゃんとおいしい。


「提案があります」


カイルが顔をこちらに向けた。


「まず、過去三年分の取引記録を整理させてください。ゲイル商会がどの品目でいくら上乗せしているか、品目ごと、月ごとの正確な数字を出します」


「それが分かったところで、すぐにどうにかなるか?」


「すぐには。でも、数字は武器になります」


わたしはペンを取り、白紙に簡単な図を描いた。


「現状の流れはこうです。中央の生産者から、ゲイル商会が買い付け、辺境に仲介する。この間に三割から四割が上乗せされている」


カイルは図に目を落とした。


「交渉材料にも、告発の証拠にもなる。ただし数字が正確でなければ意味がない。だから時間をください」


「どれくらいかかる」


「三年分なら、四日あれば」


カイルがわたしを見た。

値踏みではない。もっとまっすぐな目だった。

信じていいのか、迷いながらも信じようとしている目。


「——頼む」


一言だった。

けれど、その一言の重さは分かる。

この人は軽々しく人に何かを「頼む」タイプではない。


わたしは頷いて、帳簿に向き直った。

スープの残りを飲み干す。体が少し温まった。



午後。帳簿と格闘していると、机の上にことり、と音がした。


湯気の立つ茶碗が置かれている。


顔を上げると、白髪の老人——トーマが無言で立っていた。

分厚い眼鏡の奥の目は相変わらず読みにくい。けれど、昨日のような冷たさは薄れているように見えた。


「……あの、ありがとうございます」


トーマは何も言わず、踵を返した。

背中が曲がっているのに、足取りはしっかりしている。


ルチアが廊下からひょいと顔を出した。


「すごい。トーマさんがお茶淹れるの、カイルさん以外で初めて見た」


「そうなの?」


「うん。あの人、認めた人にしかお茶出さないの。商会に来る取引先にも絶対出さないんだよ。帳簿、ちゃんと見てくれてるのが嬉しかったんだと思う。ずっと、誰も触らなかったから」


わたしは茶碗を両手で包んだ。

素朴な陶器の温かさが、指先から伝わってくる。

少し、手の震えが和らいだ。


認められたのかは分からない。

でも、拒絶されていないことだけは確かだ。


茶はほんのり甘かった。何かの薬草を混ぜているのだろう。

辺境の茶は、中央のものとはまるで違う味がした。


夕方までに、三年分の取引データの仕分けが終わった。

紙の束が机から溢れ、床にまで広がっている。


数字を並べると、ゲイル商会の手口は明確だった。


辺境の商会には情報がない。

だから相場を知らせず、仲介手数料を自由に設定する。

年ごとに少しずつ上乗せ率を上げることで、急激な変化に気づかせない。

誰も気づかない。気づいても声を上げる力がない。


——わたしは、三年間まさにそういう組織の中で働いていた。

使い潰されて、捨てられる側で。

あの商会でも、同じような数字の操作が行われていたのかもしれない。わたしはただ、自分の担当範囲の数字だけを見ていて、全体像には気づけなかった。


「同じことを、この街にもやっている」


呟いて、ペンを握り直す。

インクが指に滲んだ。構わない。


今度は、数字で戦う側に回る。


窓の外で、夕陽が山を染めていた。

ポムという精霊獣がこの辺りの森にいると、ルチアが話していた。人に懐くのは稀らしい。


そんなことを考えながら、わたしは最後の帳簿を閉じた。


けれど翌朝、商会の前にひとりの男が立っていた。

高級な手袋。柔和な微笑み。

——ゲイル商会の会頭、オルヴァン・ゲイル。本人だった。


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