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魔王と、その従者  作者: 喜哀楽
開戦と思惑
22/22

3話

魔王城の執務区は、久しぶりに“騒がしかった”。


怒号が飛び交っているわけではない。

剣が抜かれ、鎧が擦れ合う音が響いているわけでもない。


それでも、確実に騒がしい。


報告のために行き交う足音が途切れず、扉の開閉が断続的に続く。

魔力灯は最低限の明度に抑えられているはずなのに、光がやけに落ち着かない。

通路を抜けるたび、空気の流れが微かに変わるのが分かった。


執務区に漂っているのは、緊張ではない。

切迫とも、少し違う。


――判断待ちの空気だ。


誰かが決断するのを待っている。

だが、誰もそれを口に出さない。


ウィルは机に片手をついたまま、広げられた地図を見下ろしていた。


境界線。

人間領と魔族領を分かつ、あの曖昧で、だが確かに存在する線。


その周辺に、いつの間にか小さな印が増えている。

どれも目立たない。

色も薄く、記号も簡略化されている。


「衝突未確認」

「交戦断定不可」

「現地報告精査中」


付記された文字は、どれも判断を先送りするための言葉だ。


「……始まってはいない」


ウィルは、誰に聞かせるでもなく呟いた。


声は低く、感情は含まれていない。

事実確認に近い独白だった。


始まってはいない。

だが、終わってもいない。


それどころか、戻ることすら許されない地点に、

いつの間にか立たされている。


「隊長」


背後から控えめに声がかかる。


振り返ると、連絡役の魔族が一礼していた。

装飾の少ない鎧。

だが胸元に刻まれた紋章は古く、魔王城に長く仕えてきた種族のものだ。


「北西の集落から、代表が到着しました」


ウィルは、目を閉じるでもなく、ため息もつかなかった。


「……またか」


短く、事実だけを受け取る。


「穏健派です。これまで戦争には参加していませんでしたが……」


「分かっている」


遮るように、だが乱暴ではなく言う。


「“参加していなかったからこそ”、今ここに来た」


連絡役は、否定しなかった。

むしろ、その言葉に安堵したように小さく頷く。


この数日で、同じ報告を何度聞いたか分からない。


魔族領の奥深くで独立して暮らしてきた集落。

強大な力を持ちながら、戦争とは距離を取ってきた種族。

魔王城の方針には従っていたが、直接的な関与を避けてきた者たち。


彼らが、今になって動き始めている。


魔族同士で争う気はない。


表現は違っても、意味は同じだった。


――守ってほしい。


それは懇願ではない。

要求でもない。


判断を、預けに来たのだ。


「通せ」


ウィルは、視線を地図から外さずに命じた。


連絡役が一礼し、部屋を出ていく。

入れ替わるように、通路の奥から聞き慣れた足音が近づいた。


「増えてるわね」


アリエルだった。


いつもなら、もう少し軽い調子で入ってくる。

だが今日は違う。

尾の動きは抑えられ、表情も冗談を許さない。


「ああ」


ウィルは短く応じる。


「しかも、みんな強い」


それは誇張ではない。

彼女の視線の動きが、それを物語っている。


「自分たちの集落だけなら守れる力はある。でも、“戦争”になったら別――そういう顔してる」


戦争という言葉を、誰も軽く扱えなくなっている。


「戦争になる前に、動いてる」


ウィルは地図から目を離し、アリエルを見る。


「正しい判断だ」


「……それ、慰め?」


「評価だ」


即答だった。


アリエルは一瞬だけ言葉を失い、やがて肩をすくめる。


「ほんと、こういう時だけ理性的よね、みんな」


理性的だからこそ、危険を察知する。

理性的だからこそ、選択肢を残そうとする。


「人間側は?」


アリエルが話題を切り替える。


「まだ“侵攻”とは言っていない」


ウィルは淡々と答える。


「キメラによる被害、境界付近の不安定化。

 防衛行動の延長――そういう建前だ」


「でも、兵は動いてる」


「動いている」


否定しない。


「彼らにとっては、“正当防衛の準備”だ」


アリエルは舌打ちしかけて、途中で止めた。


「……最悪のパターンね」


「最も現実的な、だ」


その時、再び扉が開いた。


入ってきたのは、見慣れない魔族だった。

背は低いが、魔力の密度が異様に高い。

戦装束ではない。

だが、身体そのものが戦闘用に最適化されていると分かる。


「ウィルラーツ殿」


慎重な口調。

だが、恐れはない。


「我々は、戦を望んでいない」


聞き飽きた言葉だ。

だが、ウィルは遮らない。


「だが、境界が崩れれば、我々も無事では済まない」


「承知している」


ウィルは正面から応じた。


「魔王様は、動かれないと聞いた」


「今はな」


ウィルは正直に答える。


「だから、ここに来た」


魔族は一礼した。


「我々は、あなたの判断に従う」


その言葉の重さは、即座に理解できた。


それは庇護を求める宣言であり、同時に、独立を一部放棄する宣言でもある。


「……引き受ける」


ウィルは即答しなかった。

一拍置き、視線を巡らせてから言った。


「だが、条件がある」


魔族が顔を上げる。


「魔族同士で、先に刃を向けるな」


「過激派を?」


「挑発に乗るな」


ウィルは言葉を選ぶ。


「内側が割れた瞬間、外は止められなくなる」


魔族は、しばらく黙っていた。

やがて、深く頷く。


「理解した」


それだけ言い、部屋を後にする。


アリエルは、その背中を見送りながら呟いた。


「……もう、“城”の仕事じゃないわね」


「最初からそうだった」


ウィルは答える。


「魔王城は国じゃない。連合体だ」


守るべきは、線ではない。

関係だ。


「魔王様には?」


「まだ、伝えない」


アリエルが眉を上げる。


「いいの?」


「伝える」


ウィルは言い直す。


「だが、“起きてから”だ」


魔王が動けば、世界が揺れる。

だからこそ、動かない。


だが、世界が先に揺れ始めている。


「……抱え込むわね」


「役目だ」


ウィルは、静かに地図を畳んだ。


境界は、まだ越えられていない。

戦争も、まだ始まっていない。


だが――


守るべきものは、もう増えている。


それを放り出す選択肢は、最初からなかった。

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