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魔王と、その従者  作者: 喜哀楽
均衡の崩れ、予兆
2/22

2話

この世界は、アーサスと呼ばれている。


三つの月と一つの太陽が空に浮かび、それらが互いに影を落とし合いながら巡る、不安定な均衡の上に成り立つ世界だ。

昼と夜の境界は曖昧で、月の配置によって空の色すら変わる。

人類、魔族、そしてその他の種族が存在し、争いは特別な出来事ではなく、日常の延長として受け入れられてきた。


勇者が選ばれれば、人類は安心する。

魔王が現れれば、必ず勇者も選ばれる。

因果のように繰り返されるその構図は、長い年月の中で常識として固定されていた。


だが、その裏で誰が死ぬのかを、真剣に考える者は少ない。

選ばれなかった者。巻き込まれた者。

均衡を保つために、名前すら残らず消えていく存在について、語られることはほとんどない。


均衡とは、そういうものだ。



人間領からの献上品が魔王城へ運び込まれたのは、昼を少し過ぎた頃だった。


太陽が最も高い位置を過ぎ、城内の通路に差し込む光がわずかに傾き始めた時間帯。

城下の喧騒が一段落し、執務区では報告や決裁が淡々と処理されていく、いつもと変わらない流れの中だった。


献上品は贈り物であり、同時に外交そのものだ。

そこに込められた意図を、送り手が明言することはない。

受け取り方ひとつで、相手は勝手に意味を読み取り、勝手に期待し、あるいは警戒する。


だからこそ魔王城では、献上品の扱いは慎重を極める。

感情ではなく、手順で。

疑念ではなく、検分で。


異変は、その一次検分の段階で起きた。


「隊長。一次検分より報告です」


執務机に向かっていたウィルのもとへ、副官が静かに声をかける。

声色は落ち着いているが、報告の内容が通常ではないことは、その間の取り方から察せられた。


「人間領からの献上酒です。担当が違和感を覚えたと」


「担当は」


ウィルは顔を上げずに問う。


「魔狼種の兵、ラグドです」


魔狼種は嗅覚に優れ、毒や薬品に対する反応が鋭い。

酒や香料、薬品類の検分に配置されるのは、経験則に基づいた合理的な判断だった。


「献上品は未開封のまま隔離庫へ。封蝋には触れるな」


一瞬の迷いもなく指示を出す。


「了解しました」


誤報であれば、人類側を無用に刺激することになる。

だが見逃せば、城そのものを揺るがす事態に発展しかねない。


どちらの可能性も天秤にかけた上で、ウィルは席を立った。



隔離庫の前で待っていたのは、魔狼種の兵だった。


背筋を伸ばし、鼻先をわずかに空へ向けたまま立っている。

周囲に漂う空気を、視覚よりも嗅覚で捉えているのが分かる。


「強い異臭ではありません」


兵は、そう前置きしてから続けた。


「だが、違和感がある」


「具体的には」


「はい。酒としては、香りが整いすぎています」


熟成酒特有の雑味も、樽の癖もない。

不自然なほど均一で、完成されすぎた香り。


理屈では説明しきれない感覚。

だがウィルは、それを軽視しなかった。


「検分室へ回す」


短い命令だったが、その重みを兵は理解していた。



検分室には、二つの木箱が並べられていた。


部屋に入った瞬間、独特の薬品臭が鼻を刺す。

そこに現れたのは、魔王城専属医師にして四天王の一員、ジャック・シザース・ソーマだった。


白衣の裾を翻しながら、箱を見下ろす。


「面倒なやつですね」


ぼそりと呟く。


「同感だ」


封蝋を切ると、甘い香りが室内に広がった。

だが、それは心地よさよりも、作為的な印象を残す香りだった。


ジャックが薬液を垂らし、反応を確かめる。


「……毒性反応あり」


「量は」


「人類なら致死量。魔族には無害です」


殺すための毒ではない。

だが、魔族が反応し、騒ぎ、動けば、それだけで目的は果たされる。


「隔離庫を使った以上、城内じゃ噂になりますよ」


「隠せないな」


「“献上品に問題があるらしい”。それだけで、過激派は騒ぎます」



魔王の執務室。


重厚な扉の向こうで、魔王は静かに報告を聞いていた。


「……今度は何だ、ウィル」


「献上酒の検分で、毒物反応が出ました」


魔王は、わずかに視線を伏せる。


「魔族に効くのか」


「いいえ。人類基準です」


「……酒は、甘かったか?」


噛み合わない問いに、ウィルは一瞬言葉を失う。


「隔離庫を使用しました。城内では既に話が出始めています」


「止められぬな」


「過激派が動く可能性があります」


「分かっておる」


短い沈黙が落ちる。


「アリエルを呼べ」


「副隊長を?」


「把握するためだ」


ウィルは一礼し、踵を返そうとした。


「ウィル」


「はい」


「……この件、我が直々に動くべきか?」


即答はしなかった。


「現時点では判断材料が不足しています。ただ」


「ただ?」


「過激派が先に動けば、事態は制御しづらくなります。魔王様が動かない選択も、また危険です」


魔王は目を閉じ、そして開いた。


「……分かった。まずは情報を集めよ」


その声に、感情は乗っていなかった。

それが、何よりの警告だった。

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