第二話 朝の地下牢へ
朝の光が、窓から差し込んできた。
私は、ベッドの上で目を覚ました。ほとんど眠れなかった。何度も寝返りを打ち、目を閉じても――お姉様の顔が浮かんで、眠れなかった。
(……お姉様……)
頭の中は、昨夜アメリア様から聞いた言葉でいっぱいだった。
婚約破棄。暴走。闇魔法。いじめ。地下牢。
どれも信じられない。お姉様が――あんなに優しくて完璧なお姉様が――そんなことをするなんて。
(……でも……本当なんだ……)
(……アメリア様が嘘をつくはずがない……)
私は、ゆっくりと起き上がった。
白いレースの寝巻きから、制服に着替える。白いブラウスに、紺色のプリーツスカート。魔法学園の制服。
鏡を見ると、顔色が悪い。目の下には、うっすらと隈ができている。透き通った緑色の瞳も、どこか疲れているように見えた。
長いライトブルーの髪を、簡単に整える。いつもはもっと丁寧に結ぶけど、今日はそんな余裕がなかった。
(お姉様に……会いに行かなきゃ……)
私は、部屋を出た。
女子寮の廊下を歩く。まだ早朝だから、他の生徒たちの姿はない。静かな廊下を抜けて、階段を降りる。
一階のロビーに――アメリア様が待っていた。
同じく制服姿で、金髪を整え、綺麗な水色の瞳で私を見つめている。
いつもと変わらない、落ち着いた佇まい。でも、その表情には――どこか、緊張が滲んでいた。
「アミアさん」
アメリア様が、静かに声をかけてくれた。
「……アメリア様」
私は、アメリア様に駆け寄った。
「準備はできていますか?」
「……はい」
私は、小さく頷いた。心の準備なんて、全然できていないけど――それでも、お姉様に会わなきゃいけない。
「では、行きましょう」
アメリア様が、優しく微笑む。でも、その笑顔には――どこか、悲しみが混じっていた。
私たちは、女子寮を出た。
冷たい朝の空気が、頬を撫でる。まだ朝日が昇りきっていなくて、空は薄暗い。
石畳の道を、南へ向かって歩く。女子寮から――地下牢へ。お姉様がいる場所へ。
歩きながら、私は――アメリア様の横顔を見た。
金髪が、朝日に輝いている。綺麗な水色の瞳は、前を向いている。
(……どうして……)
心の中で、疑問が浮かぶ。
「……アメリア様」
私は、小さく声をかけた。
「はい?」
アメリア様が、優しく振り返る。
「……どうして……私を助けてくれるんですか?」
私は、震える声で尋ねた。
「昨夜……わざわざ報告に来てくれて……」
「今朝も……一緒に来てくれて……」
「アメリア様は……どうして……」
アメリア様は、少し驚いた顔をした。でも――すぐに、優しく微笑んだ。
「……私も……昔……」
アメリア様の声は、静かだった。
「大切な人を……助けられなかったことがあるんです」
「……え……?」
「私の妹です。幼い頃……病気で……」
アメリア様の目に、悲しみが浮かぶ。
「私は何もできなかった。ただ……見ているだけで……」
「そして……妹は……亡くなりました」
「……っ」
胸が、締め付けられる。
「それから……ずっと思っていたんです」
アメリア様は、前を向いた。
「誰かが困っている時……苦しんでいる時……」
「今度こそ……手を差し伸べたいって」
「今度こそ……助けたいって」
アメリア様は、私を見た。その瞳は――温かかった。
「だから……アミアさんを見て……思ったんです」
「この子を……一人にしちゃいけないって」
「私が……そばにいなきゃいけないって」
「……アメリア様……」
涙が、溢れそうになる。
「それに――」
アメリア様は、少し照れたように笑った。
「ネフェリアさんは……私の友人でもありますから」
「友人の妹を……放っておけません」
「……ありがとうございます……」
私は、涙を堪えながら言った。
「アメリア様……本当に……ありがとうございます……」
「いいんですよ」
アメリア様が、優しく微笑む。
「これからも……一緒にいますから」
「一人じゃありませんよ、アミアさん」
その言葉が――温かかった。
私は――小さく頷いた。
そして――私たちは、また歩き始めた。
でも――今度は、心が少し軽くなっていた。
アメリア様が――そばにいてくれる。
それだけで――少しだけ、勇気が湧いてきた。
(お姉様……無事でいてください……)
(……どうか……傷ついていませんように……)
地下牢なんて、行ったことがない。どんな場所なのか、想像もつかない。でも――冷たくて、暗くて、恐ろしい場所だってことは分かる。
お姉様が――あんなに美しくて優雅なお姉様が――そんな場所に閉じ込められているなんて。
(……信じられない……)
石畳の道は、どこまでも続いている。魔法学園の敷地を抜けて、王城の方へ。
しばらく歩くと――前方に、高い塔が見えてきた。
監視塔。その地下に、地下牢がある。
塔の入り口には、二人の衛兵が立っていた。鎧を身に纏い、槍を持って、じっと立っている。
私たちが近づくと――衛兵の一人が、手を上げた。
「止まれ」
低い声が、響いた。
「……っ」
私は、立ち止まる。アメリア様も、隣で止まった。
「ここは地下牢だ。関係者以外、立ち入り禁止だ」
衛兵が、冷たく告げる。その目は、私たちを疑わしそうに見つめている。
「あの……」
私は、震える声で言った。
「私は……ネフェリア・リィエルの義妹です……会いに来ました……」
「義妹……?」
衛兵が、疑わしそうに私を見た。じっと、私の顔を観察している。
「そうです……お願いします……お姉様に会わせてください……」
私は、必死に頼んだ。涙が溢れそうになるのを、必死で堪える。
でも――
「ダメだ」
衛兵は、冷たく首を横に振った。
「囚人との面会は、王族の許可が必要だ」
「そんな……」
私は、言葉に詰まる。王族の許可――そんなもの、もらえるはずがない。
レオニス王子が、許可してくれるとは思えない。
「お願いします……」
私は、もう一度頭を下げた。深く、深く。
「少しだけでいいんです……お姉様に会わせてください……」
「お願いします……!」
でも――衛兵は、冷たく首を横に振った。
「ダメだと言っている。規則だ」
「……っ」
涙が、溢れそうになる。こんなに近くまで来たのに――お姉様がすぐそこにいるのに――会えないなんて。
その時――
「待ってください」
アメリア様が、前に出た。
「私は、アメリア・カーフェーン。大臣の娘です」
アメリア様の声は、凛としていた。いつもの優しい雰囲気とは違う、毅然とした声。
「昨夜の事件の目撃者でもあります。ネフェリア・リィエルに、確認したいことがあるんです」
「目撃者……?」
衛兵が、わずかに表情を変えた。さっきまでの冷たい表情が、少し緩んだように見える。
「そうです。レオニス様も、私が報告することを許可されています」
アメリア様は、堂々と告げた。
「ネフェリアさんに会って、事件の詳細を確認する必要があるんです」
「それに――」
アメリア様が、私の方を見た。
「この子は、ネフェリアさんの義妹です。家族に会う権利はあるはずです」
衛兵は、しばらく考え込んだ。眉をひそめて、私とアメリア様を交互に見つめている。
そして――
「……分かった」
衛兵は、渋々といった様子で頷いた。
「だが、時間は短くしてもらう。それと――何かあったら、すぐに呼ぶこと」
「ありがとうございます」
アメリア様が、深く頭を下げた。私も、慌てて頭を下げる。
「ありがとうございます……!」
衛兵は、塔の扉を開けた。重い音を立てて、鉄の扉がゆっくりと開いていく。
「入れ」
衛兵が、中を指差す。
私たちは、塔の中へ入った。
中は、薄暗い。松明が壁に取り付けられていて、かすかな光を放っている。
中央には、吹き抜けがあった。
上へ続く螺旋階段――監視塔へ。下へ続く螺旋階段――地下牢へ。
「地下牢は、下だ」
衛兵が、下への階段を指差す。
「ありがとうございます」
アメリア様が、静かに答えた。
私たちは、下への螺旋階段を降り始めた。
石でできた階段が、らせん状に続いている。足音が、静かに響く。
どんどん――深く――暗く――降りていく。
松明の光も、だんだん届かなくなってくる。冷たい空気が、肌を刺す。湿った匂いが、鼻をつく。
(……こんな場所に……お姉様が……)
胸が、締め付けられる。こんな冷たくて暗い場所に、お姉様が一人で閉じ込められているなんて。
そして――階段を降りきった。
目の前には――まっすぐ伸びる、一本道。
左側には、等間隔で牢屋が並んでいる。鉄格子と石壁。冷たく、暗く、絶望的な空間。
ほとんどの牢屋は、空だった。誰もいない。静寂だけが、支配している。
「……お姉様は……」
私は、震える声で呟いた。
「奥です」
アメリア様が、前方を指差す。
通路の突き当たり――そこに、一つだけ牢屋がある。
私たちは、ゆっくりと歩き出した。
足音が、石の床に響く。冷たい空気が、流れている。
一歩、また一歩――牢屋に近づいていく。
そして――私たちは、牢屋の前に辿り着いた。
鉄格子の向こうに――お姉様がいた。
石の床に座り込み、膝を抱えて、うつむいている。
赤い長髪が、肩に流れている。
拘束具が、手首にはめられている。黒いドレスは、昨夜のままだった。
「……お姉様……」
私は、か細い声で呼んだ。
お姉様が――ゆっくりと顔を上げた。
赤い瞳が、私を見た。その瞳には――悲しみと、後悔が溢れていた。
「……アミア……」
お姉様の声は、震えていた。
「来てくれたの……」
「お姉様……!」
私は、鉄格子に駆け寄った。両手で格子を掴む。冷たい鉄が、手のひらに食い込む。
「お姉様……! お姉様……!」
涙が、溢れ出す。もう、止められなかった。
お姉様は、ゆっくりと立ち上がった。
そして――鉄格子の前まで来た。
私たちは、鉄格子を挟んで向かい合った。
「……ごめんなさい……アミア……」
お姉様の声は、か細かった。
「私……あなたに……とんでもないことを……」
「お姉様……」
私は、涙を流しながら、お姉様を見つめた。
お姉様の赤い瞳には――深い悲しみが宿っていた。
そして――お姉様は、ゆっくりと口を開いた。
全てを――話すために。




