幕間11 精霊の森の調査
「シャリア公爵夫人。娘さんたちは確かに送り届けましたよ」
リィエル公爵家の門前。
泥だらけの少女たちを引き渡したアクティーが、ぶっきらぼうだが力強く言った。
「ありがとうございます、アクティー団長。娘たちを助けていただき、感謝の言葉もございませんわ」
深々と頭を下げる公爵夫人シャリア。その姿は、娘の無事を喜ぶ慈愛に満ちた母親そのものだった。
「仕事だからね。……それじゃ、行くよレオ」
「はい」
アクティーは踵を返し、レオと共に屋敷を後にした。
貴族街の石畳を歩く二人。
屋敷が見えなくなるほどの距離まで歩いたところで、アクティーが唐突に足を止めた。
「レオ」
「はい、なんですか? アクティー団長」
レオが不思議そうに振り返る。
アクティーの桃色の瞳からは、先ほどまでの愛想の良い色は完全に消え失せ、狩人のような鋭い光が宿っていた。
「今から森へ戻るぞ」
「……はい? また、森へですか?」
レオは目を丸くした。任務は完了し、事の次第を上申するために本部へ戻るはずだったからだ。
「あぁ、調べる事があるわ」
「調べ物……ですか?」
「そうだ。あの『大型マッドウルフ』の件よ」
アクティーは、腕を組んで森の方角を睨みつけた。
「レオ、お前も知っているだろう。本来、マッドウルフは夜行性の魔獣だ。朝から昼間にかけては、日の当たらない洞窟の奥で眠っているはずだ」
「……あっ」
レオがハッとした表情になる。
「そうですね。しかも、あそこまで巨大な変異種……通常なら森の最奥から出てくるはずがありません」
「そうだ。それが白昼堂々、森の浅い場所まで出てきて子供を襲った。……不自然すぎるのよ」
アクティーは鼻を鳴らした。
「誰かが意図的に『起こした』可能性がある。……行くぞ」
「はい! ……と言いたいところですが」
レオが苦笑して肩をすくめる。
「団長の本気走りに付き合ったら、私の足が壊れてしまいますよ。私は身体強化を使えませんから」
「チッ、しょうがないわね。……ほら、肩」
「あ、はい。お願いします」
アクティーが、レオの肩をガシッと掴んだ。
その瞬間、バチバチッという音と共に、赤い闘気がアクティーからレオへと流れ込む。
「数分間だけよ。……舌噛むんじゃないわよ!」
「うわっ、何度味わっても凄い……力が湧いてくる……!」
無魔法・身体強化『剛力』。
全身の細胞を純粋な魔力で活性化させるその超高等技術は、魔法兵団広しといえど使いこなせるのはアクティーただ一人だ。
さらに彼女は、その闘気を接触した他者に一時的に分け与える『能力譲渡』すら可能とする。部下を強化し、共に戦場を駆ける彼女ならではの規格外の荒技である。
「行くぞ!」
ドンッ!
地面が爆ぜる音と共に、二人は弾丸のような速度で『精霊の森』へと疾走した。
***
数分後。
二人は、アミアたちが襲われた現場のさらに奥、魔獣の生息域へと足を踏み入れていた。
「レオ、あなたはそっちを探して。私はあっちを探す」
「了解しました。マッドウルフの巣穴を探せばいいんですね」
「ああ。何か『痕跡』が残っているはずだ」
レオとアクティーは二手に分かれ、森の奥深くへと散った。
アクティーは、優れた嗅覚と魔力感知を頼りに、獣道をたどっていく。
やがて、異様な光景が目に飛び込んできた。
「……見つけたぞ」
そこは、岩場にある洞窟の一つだった。
しかし、その入り口は無惨なことになっていた。
「こっ、これはひどい……完全に洞窟が塞がれているわ」
自然崩落ではない。岩肌には、焼け焦げたような跡と、砕けた岩が散乱している。
アクティーは岩に近づき、指で煤を拭って匂いを嗅いだ。
「おっと、これは……爆発薬か」
火薬と魔力を混ぜた、指向性の爆発物。
人為的に入り口を爆破した痕跡だ。
「これで洞窟を爆破して、中で眠っていたマッドウルフをパニックにさせて外へ追い出したってわけね」
アクティーの目が険しくなる。
だが、それだけではない。
彼女は周囲の草むらに目を凝らし、キラリと光るものを発見した。
拾い上げる。それは、空になったガラスの小瓶だった。
瓶の底には、ドス黒い液体がわずかにこびりついている。
鼻を近づけると、脳が痺れるようなツンとした刺激臭がした。
「……それに、もう一個は……」
アクティーは、忌々しそうに吐き捨てた。
「この国では違法とされている魔法薬……『暴走薬』か」
魔獣に投与すれば、理性を失わせ、筋力を強制的に肥大化させて凶暴化させる劇薬。
あの大型マッドウルフが異常なサイズと凶暴性を持っていた理由は、これだ。
「……完全に『黒』ね」
アクティーは周囲を見渡し、眉をひそめた。
「違和感がある」
「違和感、ですか?」
合流したレオが首をかしげる。
「ああ。単に子供二人を暗殺するだけなら、こんな手の込んだ真似をする必要はない。眠っている魔獣の寝首をかけば済む話だ」
アクティーは、破壊された洞窟と、そこから広がる森の獣道を指差した。
「爆発でパニックにさせ、薬で凶暴化させ、森の浅い場所へ誘導する……。これは、単なる暗殺じゃない」
「……まさか」
「『実験』だ」
アクティーの声が、氷のように冷たく響いた。
「魔獣を人為的に暴走させ、連鎖的に周囲の魔獣を巻き込んでパニックを起こさせる……。いわゆる『魔獣暴走』を人工的に引き起こすための実験よ」
「スタンピードの……実験!?」
レオが愕然とする。
スタンピードといえば、一つの街や都市が壊滅しかねない大災害だ。それを人為的に起こそうなど、正気の沙汰ではない。
「あのアミアとお姉ちゃんは、その実験の『生きた贄』として使われたか……あるいは、たまたま居合わせて巻き込まれたか」
アクティーの脳裏に、先ほどのシャリア公爵夫人の完璧な笑顔が浮かんだ。
娘の無事を喜んでいるようで、どこか目が笑っていなかったあの表情。
(……もし、実の娘たちを実験台として送り込んだのなら……あの女、化け物ね)
(それとも、この薬を『誰か』に売り渡し、実験場所として森を提供しただけか……?)
そして、その背後には――この国を混乱に陥れたい「何者か(他国の影)」の存在が見え隠れする。
「……レオ、この瓶を回収して。魔法兵団の調査係に回すわ」
「はい。本部で毒の正体を暴かせます」
「ただの遭難事故じゃ済まされない。これは――将来的な『戦争』の準備かもしれないわ」
アクティーは、森の出口――公爵家の方角を睨みつけた。
あんな小さな子供たちが、得体の知れない悪意の中にいる。
アミアとネフェリア。二人の泥だらけの瞳に見えた、決して折れない強い光を思い出し、アクティーは拳を握った。
「お任せを。……この報い、魔法兵団としてきっちり受けさせてもらうわ」
二人は証拠品を回収すると、森を後にした。
魔法兵団の本部へ向かうその足取りは、来る時よりも一層重く、そして速かった。




