第19話 矛と盾の魔法兵団
翌朝。
洞窟の入り口から差し込む、柔らかい朝日で目が覚めた。
「……ん……」
私は、硬い地面の上で身体を起こした。背中が少し痛いけれど、昨日のような絶望的な疲労感は薄れている。
隣を見ると、お姉様も目を覚ましたところだった。
「おはよう、アミア」
お姉様が、少し眠そうに微笑む。
昨夜の『スターリーフ』のおかげか、顔色はだいぶ良くなっている。
「ふわぁ、おはようございます。お姉様」
私はあくびを噛み殺しながら答えた。
よかった。お姉様は無事だ。
昨夜、二人で交わした「秘密の誓い」が、胸の奥で温かい光となって残っている。
「……帰りましょうか」
「はい」
私たちは身支度を整え、洞窟を出た。
お姉様の手を引いて、森の中を歩く。
昨日とは違い、森はとても静かだった。
鳥のさえずりが聞こえるだけで、あの禍々(まがまが)しい魔獣の気配は感じられない。
「……静かね」
お姉様が不思議そうに呟く。
「はい……」
私は周囲を警戒しながら歩を進めた。
静かすぎる。まるで、嵐の前の静けさのような――。
その時だった。
ズシン。
地面が大きく揺れた。
鳥たちが一斉に飛び立つ。
「……何?」
私たちが立ち止まった瞬間、前方の木々が、まるで爪楊枝のようにへし折られながら倒れてきた。
そして――現れたのは、絶望そのものだった。
グルルルルルゥゥ……!!
見上げるほどの巨体。
昨日戦ったマッドウルフよりも遥かに巨大な、変異種。
『大型マッドウルフ』だ。
「そっ、そんな!」
お姉様が悲鳴を上げて後ずさる。
「ありえない……こんな大きなマッドウルフが現れるなんて……!」
昨日の戦いで、魔力はまだ底をついている。逃げる体力もない。
それに、この巨体のプレッシャーは桁違いだ。
大型マッドウルフが、巨大な前足を振り上げた。
その爪一つ一つが、大剣のような鋭さを放っている。
(……逃げられない……)
私は直感した。
あの一撃を受ければ、二人とも即死だ。
私は――迷わず、お姉様の前に飛び出した。
小さな両手を広げ、盾になる。
「アミア!?」
お姉様の悲鳴が聞こえる。
その光景は、一周目の記憶(あの時)と重なった。
(……ああ、そうか……)
脳裏に、あの日の地下牢の光景が蘇る。
私を庇って前に出た、親友アメリアさんの背中。
彼女は、こんな気持ちだったんだ。
(……死んでもいい……)
心の中で、静かに覚悟を決める。
怖くないと言えば嘘になる。でも、迷いはない。
(……あの時、アメリアさんが私を守ってくれたように……)
(……今度は私が、お姉様を守る番だ……!)
一周目では、何もできずに守られるだけだった。
でも今は違う。守るべき人が後ろにいる。私が時間を稼げば、お姉様だけでも逃げられるかもしれない。
巨大な爪が、私の頭上に迫る。
私は目をぎゅっと閉じた。
――その時。
「――そこまでよ、デカブツ!!」
凛とした声が、頭上から降ってきた。
ドォォォォォン!!
凄まじい衝撃音が響き、私の髪が風圧で舞い上がった。
恐る恐る目を開けると――そこには信じられない光景があった。
巨大なマッドウルフが、何かによって弾き飛ばされ、地面に転がっていたのだ。
そして、私たちの目の前には――一人の女性が立っていた。
鮮やかな桃色の髪をなびかせ、白を基調とした軍服を大胆に着崩している。
スリットの入ったスカートから伸びる脚は健康的で、その立ち姿からは圧倒的な自信と強さが溢れ出ていた。
「間に合ったわね。……怪我はない、お嬢ちゃんたち?」
女性は、私たちに背中を向けたまま、親指を立ててニカッと笑った。
「グルルゥッ!!」
起き上がったマッドウルフが、怒り狂って突進してくる。
その巨体は、破城槌のような迫力だ。
しかし、彼女は動じない。詠唱もしない。
ただ、全身の魔力を瞬時に沸騰させただけだ。
バチバチッ!
一瞬で彼女の全身から凄まじい闘気が噴き出す。
(……あれは……!)
私は息を呑んだ。属性魔法の気配は全くない。純粋な魔力そのものを爆発させている。
(……まさか、あれが学園の授業で教わった……魔法兵団の要だと言われている、選ばれた者しか使えない『無魔法』……!?)
筋肉の一つ一つ、細胞の一つ一つまで魔力で満たし、噂に聞いた通り、属性に頼らず人知を超えた身体能力を引き出す独自の戦闘スタイルだ。
属性に頼らない、人知を超えた身体能力。
「吹っ飛びなさい!!」
彼女は、迫りくる巨大な爪に向かって、真っ向から拳を叩き込んだ。
ドゴォォォォンッ!!
空気を殴りつけたような衝撃波が広がり、周囲の木々が激しく揺れる。
信じられない光景だった。
人の拳が、数トンはあるはずの魔獣の突進を止め――それどころか、軽々と弾き返したのだ。
「ギャ……ッ!?」
マッドウルフの巨体が宙を舞い、吹き飛んでいく。
その激しい衝撃波が私たちを襲おうとした瞬間――。
キンッ。
私たちの目の前に、見えない壁が生まれていた。
「えっ……?」
いつの間にか、私たちのすぐ側には、もう一人の男性が立っていた。
オレンジ色の短髪の優しそうな男性。彼は無言で透明な障壁を展開し、衝撃波から私たちを守ってくれていたのだ。
(……この人も、無魔法の使い手……!)
通常の属性盾とは次元が違う。純粋な魔力で空間そのものを固定する、絶対不可侵の防壁。彼もまた、女性の攻撃に合わせて瞬時に、無言でこの鉄壁を展開していたのだ。
「だらぁっ!!」
彼女は追撃の手を緩めない。
地面を蹴って跳躍し、空中で回転しながら踵落としを見舞う。
轟音と共に、魔獣の頭が地面に深くめり込んだ。
「……しぶといわね。なら、これで終わりよ」
彼女は右手を掲げた。
詠唱はない。
ただ指先を向けた瞬間、そこには既に赤熱した火球が生み出されていた。
ズドンッ!
放たれた圧縮炎弾が一直線に飛び、マッドウルフの心臓を正確に貫いた。
断末魔の叫びと共に、巨大な魔獣は完全に沈黙した。
「……すごい……」
私は、震える声で呟いた。
圧倒的な強さ。属性魔法と無魔法による規格外の体術。そして、詠唱すらない神速の行使。
「ふぅ……。ま、こんなもんね」
彼女は軽く服の埃を払い、こちらを振り返った。
「団長、やりすぎです。大地の姿が変わってしまいますよ」
障壁を解いた男性が、呆れたように言う。
「うるさいわねレオ。子供守るのに手加減なんかできるわけないでしょ」
彼女は笑い飛ばすと、泥だらけの私たちの前に歩み寄って膝をつき、目線を合わせてくれた。
「怖がらせてごめんね。私はナフィリア・アクティート。みんなからは『アクティー』って呼ばれてるわ」
「こっちは副団長のレオ・アティン」
「……アクティー……団長……?」
私は、その名前に息を呑んだ。
一周目の地下牢で、アメリアさんが「この人なら真実を暴いてくれる」と、最後の希望として縋ろうとしていた、若き天才女性団長の名前。
(……アメリアさんが、頼りにしていた人……!)
「通りすがりの魔法兵団団長様よ。安心しなさい、ここからは大人の仕事だわ」
アクティーさんが、ニカッと笑ってウインクした。
(……魔法兵団……!)
『王国最強の盾と矛』と称される、精鋭部隊。
でも、一周目の人生で、私たちが彼らに助けられることは一度もなかった。
あの一周目のピクニックでは、お姉様が誰にも知られずに闇魔法で魔獣を倒してしまったから、彼らが出動することはなかった。
その後、私は十五歳で『なり損ない』と言われ、十六歳でレオニス様から理不尽な退学宣告を受け――最後は、地下牢から地上へ続く冷たい螺旋階段で、シャドウに殺された。
あの時は、いくら真実を叫んでもレオニス様に退けられ、魔法兵団が私たちを守ってくれることはなかった。
護衛もなく見捨てられ、誰も助けに来てくれない暗闇の中で、アメリアさんが私を庇って命を落とし、私も無力に死んでいった。
けれど――今は違う。
目の前には、圧倒的な強さで敵をねじ伏せる英雄がいる。
私と、お姉様を守ってくれる「盾」と「矛」がいる。
私が「迷子にならない」という選択をし、お姉様を守ろうと足掻いた結果――未来が変わり、彼らをここに呼んだのだ。
(……よかった……)
(……本当に……よかった……)
安堵で、膝の力が抜けた。
目頭が熱くなり、涙が溢れてくる。
「団長ー! 先行しすぎです!」
「副団長も置いていかないでくださいよ!」
その時、森の奥からざわざわと多数の人影が現れた。
白地に青と黄のラインが入った、統一された軍服を着た魔法兵団の団員たちだ。数十人はいるだろうか、息を切らして駆けつけてきた。
「おっ、やっと来たか。遅いわよあんたたち」
アクティーさんが笑う。
団員たちは、瞬殺されて倒れている巨大なマッドウルフを見て、呆れたように、しかし尊敬の眼差しで二人を見ていた。
「また団長が一人で片付けちゃったんですか……」
「俺たちの出番、ないじゃないですか」
彼らは手際よく周囲の警戒にあたり、私たちの保護の準備を整えていく。
この人たち全員が、私たちを探しに来てくれたのだ。
「よし、帰るわよ! 親御さんが心配してるわ」
アクティーさんが豪快に笑い、ネフェリアお姉様を軽々と抱き上げた。
「きゃっ!?」
「失礼しますね」
レオさんが、優しく私を背負ってくれた。
その背中は温かく、そして鉄壁の盾に守られているような安心感があった。
一周目の地下牢で感じた「死の冷たさ」とは対照的な、「生の温もり」。
「さあ、公爵家へお送りします」
私たちは、大勢の魔法兵団に守られながら森を後にした。
最強の戦士たちの腕の中で、私は安堵と共に、新たな目標を抱いていた。
強くて、頼もしくて、迷いがない背中。
理不尽な暴力を、さらに強大な力でねじ伏せる強さ。
(……私も……あんな風に……)
胸が熱くなる。
もし私にあんな強さがあれば。
自分の身を投げ出すだけじゃなく、敵を倒して、堂々とお姉様を守ることができるのに。
(……いつか……私も強くなる……)
(……自分の力で、お姉様を守れるように……)
こうして、私たちは地獄のようなピクニックから生還し、公爵家へと帰還することになった。
だが――屋敷には、魔獣よりも恐ろしい「怪物」が待っている。
継母シャリアへの報告。
本当の戦いは、ここからが本番だ。




