第11話 嘲笑われた姉妹愛
逃げ道のない地下の螺旋階段。
私が治癒や蘇生という「幻級魔法」に至る脅威を摘み取るため、シャドウは明確な殺意を宿した毒蛇のような瞳で、私を見下ろしていた。
「僕が今まで君を生かしておいたのは、殺せなかったからじゃない。いつでも殺せたんだよ。でも、それじゃあ面白くないからね」
「僕はね、待っていたんだ。君のお姉さんが断罪され、連行され、君が希望を失い、絶望のどん底に叩き落とされる、この瞬間を。……そして、そこには最高のスパイスが必要だった」
シャドウは、私の腕の中で眠るアメリアさんを見下ろして、意地悪く口角を吊り上げた。
「あの金髪の娘……アメリアだったか。実に『お人好し』で、正義感の強い良い子だったよ。僕の記憶の覗き見から得た推測通りに動いてくれた」
「……何を、言っているの……?」
「君たちが地下牢へ行く前に、ネフェリアは僕に『アミアは来ない。アメリアが止めて守ってくれるはずだから』と豪語していた。……でも、僕は賭けていたのさ」
シャドウは可笑しくてたまらないというように肩を揺らした。
「あんな『良い子』が、泣いている妹を放っておけるはずがない。むしろ彼女のその優しさと責任感が、『アミアを一人で行かせるわけにはいかない』と判断させるはずだとね」
「……っ!」
「皮肉な話さ。ネフェリアが信じた『友情』とやらが、かえって彼女の妹と親友を、二人揃ってこの死地へ導いたんだよ。『二人なら大丈夫』なんて甘い考えを起こさせてね。飛んで火に入る夏の虫のようにさ」
シャドウの言葉に、私は全身の血が沸騰するような怒りを覚えた。
アメリアさんの優しさを。私のために一緒に来てくれたその勇気を。
この悪魔は、あざ笑いながら利用したのだ。
「……アメリアさんの優しさを……馬鹿にしないで……!!」
私が鋭く睨みつけると、シャドウはさらに愉悦を深めた。
「ああ、そうだ。そのアメリアのお手柄について、もう一ついいことを教えてやるよ」
「……まだ……何かあるの……?」
「地下牢で、彼女は『精神を操る無魔法があるのでは』と鋭い推測をしていたようだけど……ご名答だ。だが、少し足りない」
シャドウは、指を二本立ててみせた。
「君のお姉さんには、黒い炎の『洗脳』の他にもう一つ、別の魔法をかけてあるんだ」
「……別の……魔法……?」
「そう。『記憶を封じる催眠魔法』さ。驚いたかい? 精神干渉に特化した無魔法とは言え、洗脳と催眠……僕には二つの手札があるんだよ」
「……っ!」
頭が真っ白になった。
無魔法。アメリアさんが推測していた、未知の力。
それが、洗脳だけじゃなく、記憶を操る催眠まで……二つもあったなんて。
「君たちが地下牢へ来るより前に、僕はあそこへ行って、彼女に全ての種明かしをしてきたんだ」
「……私たちが、行く前に……?」
その言葉を聞いた瞬間。
私の脳裏に、地下牢で再会した時のお姉様の姿が鮮明に蘇った
『本当だわ……。どうしてかしら……私、いつの間にこんな怪我を……』
私がアメリアさんのハンカチで血を拭き取った時、お姉様は怪我をした理由をすっぽりと忘れていた。
「……っ! そういえば……!」
私はハッとして、シャドウを強く睨みつけた。
「さっき会った時……お姉様の頬には、刃物で掠められたような新しい切り傷があった! 唇からも血が出ていて……お姉様自身も、いつ怪我をしたのか全く覚えていなかったわ!」
「……ほう?」
「あんな厳重な地下牢で、急に怪我をするはずがない……! あなたがお姉様に、何かしたのね!?」
妹だからこそ気づけた、些細だけれど決定的な違和感。
私の鋭い追及に、シャドウは目を丸くした後、嬉しそうに拍手をした。
「ふふ……あははは! 素晴らしい! よく気がついたね。さすがは愛しの妹だ、よく見ている」
シャドウはまるで私を褒め称えるように両手を広げ、そして残酷な真実を口にした。
「僕が洗脳魔法しか使えないと高を括っていた彼女にね、少しだけ『得体の知れない力』をお見舞いしてやったのさ。頬を掠める見えない刃に、絶望してへたり込む姿は最高だったよ」
「……っ! あなたって人は……!」
「あ、でも唇の傷は僕のせいじゃないよ」
シャドウは、愉悦に満ちた笑みを深めた。
「あれは、僕が催眠魔法をかけようとした時……彼女が『アミアに逃げろと伝えるまで、絶対に眠るものか』って、自分の唇を噛み切ってまで必死に抗おうとした名誉の負傷さ」
「……お姉、様……っ」
「ま、結局は無駄な足掻きだったけどね。僕の魔法で記憶に蓋をされて、彼女は自分が怪我をした理由すら綺麗さっぱり忘れてしまったんだから」
胸を、鋭い刃で抉られるような痛みが走った。
あの時。
お姉様は、私に危険を知らせるために、激痛に耐えてまでたった一人で暗闇の中で戦ってくれていたのだ。
自分が処刑されるという極限の恐怖の中で、それでも私のために。
(……アメリアさんが言っていた通りだわ……! 私たちの知らない魔法が、本当に……!)
(……レオニス様も、アメリアさんも……そして、私も。誰一人として、お姉様がさらに別の魔法にかけられていることなんて、微塵も気づけなかった……!)
「つまり、あの地下牢で君たちと再会し、レオニス王子から大罪を宣告され、君が退学にならないよう必死に庇って懇願していたあの時……彼女はずっと、僕の催眠魔法にかかったままだったんだよ」
お姉様が鉄格子を激しく揺らし、自分の命はどうなってもいいから私だけは助けてほしいと叫んでいた、あの痛ましい姿。
あの時すでに、お姉様は悪魔の魔法で記憶に蓋をされ、操られていたというのか。
「種明かしの時、僕が『君の存在を知ったのは、彼女の記憶を覗いたからだ』と伝えたら……彼女はどんな顔をしたと思う?」
シャドウは愉悦に浸るように、口角を吊り上げた。
「『私のせいで……私が心を見られたせいで、アミアが標的にされてしまった』『私がいなければ……いや、そんなこと考えちゃダメだ』って。自分の心の弱さを呪い、激しく後悔して涙を流していたよ」
「お姉様……」
「挙句の果てには、鉄格子にすがりついてこう懇願してきた。『私が一生あなたの操り人形になるから、何でも言うことを聞くから、だからアミアには手を出さないで』……ってね」
「……っ、お姉様……!」
私は、胸を強く掻き毟られるような痛みに顔を歪めた。
あの気高く、誰よりも聡明だったお姉様が、悪魔に縋り付いてまで。自分がどうなってもいいからと、私を守ろうとしてくれていたなんて。
シャドウの毒蛇のような瞳が、私を嘲るように見下ろした。
「彼女の記憶を覗いた時に見えたけど、君たちは血の繋がらない義理の姉妹なんだろう? 自分の命や尊厳を捨ててまで、血も繋がらない赤の他人を守ろうとするなんて。……本当に、滑稽で愛おしい絶望だった」
「……滑稽なんかじゃない……!」
私は震える声で絞り出した。
「血が繋がっていなくたって……お姉様は、私の本当の家族よ……! それを……お姉様の優しさを、笑うな……!」
「ふふ、その絶望の記憶ごと、一時的に蓋をしておいたんだ。だから彼女は今、さっき君と涙の別れをして……『自分が死んでも、君だけはアメリアに守られて生き延びる』と信じている。君の未来は守られたと信じて、希望を持って死のうとしている」
お姉様の最期の言葉が蘇る。
『あなたと……出会えて……妹になれて……本当に……よかった……』
『ありがとう……!』
あの一瞬の笑顔は、私が生き残ると信じていたからこそだったのだ。
「……っ」
「だが、もし――君がここで死んだらどうなると思う?」
ゾクリ、と背筋が凍った。
「僕がかけた催眠はこの数時間後――彼女が処刑台に立ったその瞬間に解けるように仕掛けてある」
「……処刑……台……?」
「そうさ。民衆の罵声を浴び、断頭台を見上げ、最期の時を迎えるその瞬間に――全てを思い出す」
「『ああ、あいつはアミアを殺しに行ったんだ』『私のせいでアミアはもう死んでいるんだ』ってね」
「……!」
「君がここで死ねば――彼女は最期の瞬間に、希望から絶望のどん底へ叩き落される。守りたかった妹が自分のせいで惨殺されていると知って、絶望の悲鳴を上げながら首を刎ねられる……! 血の繋がらない偽物の姉妹愛が招いた、最高の悲喜劇だ!」
「……あなたは……!」
私は、唇を噛み締め、震える声で絞り出した。
お姉様の痛ましいまでの愛情を、私たちの絆を、「血が繋がっていない偽物」とあざ笑ったこの男。
私の中で渦巻いていた悲しみと絶望が、熱く煮えたぎるような、かつてないほど激しい『殺意』へと塗り替わっていく。
「……許さない……」
「アメリアさんを殺して……お姉様の心を……弱みを……私たちの絆を、利用して……!」
「あなたは……絶対に……許さないッ……!!」
私の悲痛で強烈な絶叫が、冷たい地下階段にこだました。




