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緑の指輪と思い草  作者: 翠雪
第4章 緑の亡国
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第29話

 一本道になっている人工の洞窟をしばらく進むと、肌寒さを覚え始めたところで行き止まりになっていた。石の壁に這う蔦は、入り口を覆っていた植物と同じ形の葉を付けているにも関わらず、こちらは青々と息づいている。季節外れのみずみずしさは、ローリエにはこの先へ何かを隠しているように思えてならなかった。傍らの少女も同じ考えに至ったらしく、きょろきょろと辺りを見回している。


「ここまで進ませたなら、道を開く仕掛けの一つでもありそうですが」


 アスターは前方に、ローリエは、右側の壁へと松明をかざした。黄色と橙色から成る炎は、天井から時折垂れる水滴をものともせずに、彼らの腕の動きに合わせて揺れている。


――砂漠の遺跡にあると聞く、怪物からの謎解きも見当たらないか。


 南方には、人の頭に獅子の身体を繋げた、合成獣の大きな彫刻があるらしい。所変われば品変わるとはよく言ったもので、勇者が神格化されたクロワ帝国の宗教とは似ても似つかない神話も、世界には数多くある。お飾りとはいえ、司教が他国の教えを学び取ろうとする様子は必ずしも歓迎されなかったが、今回はその知識も役立てそうにない。異形からの問いかけに、「人間」と答える準備はできていた。


「あるいは、脇道を見逃したか、だな。下手に壁へ触るなよ」

「え?」

「……毒虫は、お前さんも嫌だろう」


 気の抜けた少女の声に不穏な予感を抱きつつ、忠告を付け足しながら振り向いてみる。慌てて壁から手を離し、横の髪を触りながら恥じ入る彼女の後方には、突如として縄のようなものが忍び寄っていた。


――この蔦は罠か!


 空いた手で少女を引き寄せはしたが、太く育った緑の方が速い。数多の腕を天井から下ろす植物は、彼の身体にも纏わりついてきた。


「おじさま!」


 松明が二人の手から奪い取られ、湿った地面で磨り潰される。目を慣らさずにいた暗闇が心細いのか、アスターが彼を呼ぶ声に返事をしてやる。足元から順に這い上がってくる蔦は、服や靴には侵入せずに、表面だけを撫でていく。ただ、携えてきた鞄に関しては、蓋の奥まで入り込んでいる気配が感じられた。


――俺たちの荷物から、何かを探している?


 洞窟に足を踏み入れた人間を排除したいだけなら、首を締め上げるだけで事足りる。だのに、捕らえられて身動きができなくなってなお、蔦の動きは慎重だった。


「アスター、じっとしてろ」

「でも……」

「いいから。暴れるんじゃないぞ」


 大人しい相手を逆上させた方が面倒だ。そう考えて、手荷物検査に勤しむ彼らの好きにさせていると、左目を覆う眼帯の留め具が外された。後頭部から顔面へと移ってきた一本が、やはり左の瞼を押し上げて、義眼の表面に葉を触れさせる。すると、身体や荷物に纏わりついていた全ての蔦が一斉に身を引いて、二人は拘束から解き放たれた。ローリエは、己と同じく暗闇の中に沈んでいる、同伴者の状態を確認すべく口を開いた。


「怪我だとか、違和感はあるか?」

「だ、大丈夫です。何にもありません」

「よし」


 取り上げられた眼帯は、そのままどこかに放られてしまったらしい。仕方がないので、普段からアスターが右目にしているように、長い前髪で左目を隠した。「悪魔の瞳」は、触れている物を直視した時点で、物に宿った記憶を見る力が発現してしまう。わざわざ眼帯で覆うようにしているのは、この力の乱用を防ぐためでもあった。


 夜目が利きはじめ、ぼんやりと浮かび上がってきた彼女の腕には、ローリエの手がかかったままだ。詫びを入れながら離せば、つい先ほどまで不安がっていたはずの少女は、両手を自身の口元にあてがってくすくす笑う。


「ふふ、ありがとうございます」


 どこにおかしな点があったのか、とローリエが首を傾げていると、不意に地鳴りが始まった。岩石と蔦で構成された洞窟は、驚くばかりの来訪者をよそに、突き当たりかと思われていた壁を地面へと収納していった。開かれた先の壁には、アスターの目線ほどの高さに、緑色の光を放つものが配置されているらしい。等間隔で続く光源に照らされた足元は、緩やかな階段となっていた。


「入っていいよ、ってことでしょうか」


 明かりの根元を検めると、「悪魔の指輪」や「悪魔の瞳」に用いられてもいるグリーンジャスパーが、拳ほどの大きさがある身の内から、煌々と光を発している。


「さっきの蔦は、俺の左目を確認した途端に離れていった。もしかして、お前さんは指輪を触られたんじゃないのか」

「あっ……確かに、左手の小指あたりを探られてからは、すぐにほどいてくれました」

「なるほどな」


 右目だけを開いたローリエは、アスターと共に石の階段を下っていく。後方には、靴裏にこびりついていた泥が、まるでスタンプのように薄く並んでいる。


「この洞窟は、限られた人間しか先へ進めないようになっているんだろう。魔法やら呪いについては本の知識しかないが、おそらく、そういった術があの植物にかけられていたんだ」

「昔は、たくさんの人が魔法を使えたっていいますもんね」

「人類が火薬に手を出し始めた辺りから、すっかり廃れたが……まさか、国宝が通行証とは」


 それすなわち、この祭壇は、ラディチェの王族か、それに準ずる国家の権力者が通った場所ということになる。


――だから、ここまで整備されているのか。


 階段が終わり、次に出迎えられたのは三叉路だ。耳をそばだててみても、どれも違いは分からない。虱潰しに全ての道を辿るという案は、ローリエ一人であればいざ知らず、同行者であるアスターにとっては、相応の苦労を要するであろうことが想像に難くない。


「アスター。手を」


 手相が見えるように差し出された彼の掌に、少女が右手を重ねた。年を経るごとに硬くなった厚い皮が、アスターの頼りない手を包む。前髪を軽く流し、もう片方の手を壁につけたローリエは、これまで閉じていた左目を開いた。


 間もなく二人の眼前に浮かび上がった幻影には、翠眼の人々が右の道に入っていく様子が映し出されていた。彼らが身に着けたピアスやネックレスといった装飾品には、細かな意匠は異なっていながらも、必ず緑色の石が組み込まれている。


「あの人たちが、深碧の民……」


 ぽつりと呟いたアスターの手を引いて、壁伝いに歩いていく。分かれ道にもいくつか出くわしたが、「悪魔の瞳」で生前の王族に道案内をさせる彼にとっては、その道のりをただ真似るだけでよかった。家族との雑談に興じながら進む、深碧の民の長たちは、アスターやローリエと何の違いもないように見受けられる。ふとしたことに笑い、他愛のないからかいに食い下がり、また笑う。「悪魔」などと蔑まれるべき理由は、幻影からは探せそうになかった。深まっていく地の底に、二人分の足音が幾重にも木霊する。蝙蝠の羽音が、選ばれなかった分かれ道の先から響いた。


「壮観だな」


 今度こそ行き着いた洞窟の最深部には、果てが見えないほど巨大な鉱脈が広がっていた。「悪魔の神器」に使われているグリーンジャスパーはもちろんのこと、ルビーやエメラルド、サファイヤにダイヤモンドといった、高名な貴石も数多くある。


 また、それら全てには魔力が宿っているらしく、内側から光を発していた。


「わぁ……すごい、眩しいくらいです」

「これだけの数があれば、他に何の取り柄がない土地だろうと、貿易で財を成せたはずだ」


――初代皇帝の狙いは、この鉱脈だな。


 ラディチェの跡地は、クロワ帝国の西端に位置している。放っておいても害にはならないだろう小国を、初代皇帝がなぜ欲したのかというローリエの密かな疑問は、眼前の光景で解を得た。


――だが、「悪魔の神器」のいずれかを身に着けていて、先の迷路まで解かなければ、ここには辿り着けない。荒らされていないのは、そういう訳があってのことか。


 繋いでいた手を離し、少女の興味が赴くままに歩かせてやる。左の瞼を閉じていても、場の明るさが伝わってくる。魔力を蓄えた宝石たちは、現代よりも幅広い使い道があり、貴族以外にも重宝されたことを証明する文献も残っている。旅人たちが身に着けた指輪や義眼の細工も見事なものであるから、ラディチェでは宝石の加工技術も発展したのであろう。


「全く、そこらに転がっていていい石じゃないぞ」


 呆れ半分に拾い上げた、男の掌大ほどの小石には、ダイヤモンドを核にして、複数の宝石が寄り集まっている。地質学にはさほど明るくないローリエであっても、未だかつて類を見ない採掘物であることだけは分かった。


「おじさま」


 片手で原石を弄びながら周囲を眺めていると、壁際に移動していたアスターから手招きをされた。上着の内ポケットに貴重なサンプルを収め、彼女の横へと足を運ぶ。


「どうした?」

「この壁画って、何かの手掛かりになりますか?」


 これです、と改めて少女が指を差した先へ、視線を移してみる。注目を促されたのは、めぼしい宝石は採掘された後と思しき壁で、他の場所と比べるとやや暗い。そして何より、着飾った人間と古い文字とが彫られているという点において、その一角は異質だった。


「冠をいただく、王笏を握った男か」

「隣に描かれている、毛皮のマントを羽織った女性は、きっとお妃さまですよね」


 物言わぬ彼らの眼孔には、半球となるように研磨された、カボションカットのグリーンジャスパーが埋められている。男の耳朶と、女の首飾りも同様だ。服の裾を彩る蔦模様は、少女の指輪と、義眼のケースに施されたレリーフと酷似していた。

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