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緑の指輪と思い草  作者: 翠雪
第2章 緑の記憶
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第17話

「用を終えたら、一度戻ってくるように」


 これまでとさほど変わりのない、怒っているかのような表情と声色で、ノワは二人を送り出す。からりと晴れた青空に、少しの白い雲が滑っていく。虫たちも元気な午後だった。


『イリス様と彼が落ち合う場所は、決まって、この山にある小さな花畑だった。青年の居住区は何年も前に更地にされていて、他に思い当たる手がかりはない』


 昨夜、少女が深い眠りに落ちた後のリビングで、賭けの報酬は受け渡された。ノワから道を託された彼が指差すまま、アスターは、一生懸命に歩いていく。朝食として出された厚めのサラミは、くるんだ胡桃と黒胡椒に、仕上げで回しかけられた蜂蜜との相性が抜群だった。


 アスターが寝転べそうなほどに太い、立派な切り株がある分かれ道を、左に曲がる。右の道よりも細いそれは、進み始めて五分もすれば、道ですらなくなってしまった。青々とした植物の群生地を掻き分けながら歩くと、自然の雫で手が濡れる。先を行く彼の足跡、折れた草の上に靴裏を乗せると、幾分かは歩きやすいようである。


「……おい。大丈夫か?」

「もっ、もちろんです!」


 足元に目を凝らして、左右の脚を交互に踏み出す。背が高く、肩幅もある彼の身体はそれなりに重いらしく、脚の置き場所に困ることはない。平らになった緑に少しの罪悪感を抱きつつ、しばらくまっすぐ歩いていると、それまで二人にかかっていた、木々の影がなくなった。顔を上げると、小さな花畑がアスターたちを出迎えている。


「ここが、お父さんとお母さんの、思い出の場所……」


 小ぶりな花々の合間には、花実をつけない青草もある。御伽噺に出てくるような、美しいだけの場所とは言えない様子が、かえってアスターに自然の営みを感じさせた。ちらほらと目につく薄紫の花は、おぼろげになりつつある少女の記憶に、忘れられようもない思い出として刻まれている。


「あの、おじさま。昨日から、もしかしたらと気になってはいたんですが……昔、お父さんが案内してくれた花畑は、ここだったんだと思います」


 膝を折り、そっと摘み取った一輪を、掌の上で眺める。


『ほら。お姫様の目の色と、よく似ているだろう。手鏡を持って来ていたら、見せてあげられたのになぁ』


 顔の近くに花を掲げ、とろけるような笑顔を浮かべた父の姿が、瞼の裏に浮かび上がる。標高の高い場所に咲くアスターという植物は、少女が長らく過ごした村の敷地内では、一度も見つけられなかった。


「母親の命日に、連れてこられたんだったな」

「悲しみを癒すなら、これ以上はないほどに、うってつけの場所ですよね」


 辺境伯という、警戒すべき他国との境目に領地を与えられた権力者は、当然のように気位が高いはずだ。その家に生を享けた病弱な末娘が、外の世界に憧れて、一介の青年と駆け落ちをした。そして、その娘に青年の指輪が受け継がれて、夫婦となる前の二人が逢引きを重ねた、花畑へと辿り着く。本が一冊書けそうな筋書は、今の少女が翠眼でさえなかったら、文字が読める富裕層を顧客として定めたロマンス小説や、演劇の台本などにも歓迎されたことだろう。


『おとうさん、これ、なあに?』

『僕と、僕の小さなお姫様にとっては、かけがえのない宝物さ』


――お父さんは、どんな思いであたしを育てて、宝物とまで言った指輪を、幼子に託したんだろう。


 ノワに聞く限り、レザンは、「悪魔の指輪」を常に首から提げているようだった。そして、彼が悔いるほどに心を傾けた品は、一人娘に受け継がれている。替えのきかない立場として、知らねばならないことが、きっとあるはずだ。ぐるぐると思考が回り始めた頭蓋を支えるために、アスターがその場へ腰を下ろすと、元から高い空がもっと遠くなる。髪を切り、涼やかに露出した項へ、するすると汗が流れていく。夏の風が、塩水の軌跡をくすぐる。目を閉じれば、山のざわめきが、少女に語り掛けてくるようだった。


「今は、悪魔の手がかりを探さなくちゃ」


 口の中だけで呟いたアスターは、短い休憩を切り上げた。瞼を押し開き、上半身で伸びをする。よし、とでも言わんばかりの顔つきで、柔らかな自然の椅子から離れようとしたその瞬間、花畑の中央が、周りより盛り上がっていることに目が留まった。ほんの僅かな、上から見ただけでは分からない、思い過ごしすら疑うような地面の膨らみ。手近な岩に腰かけて、アスターと同じく小休憩を挟んでいたらしい同伴者を、こちらの傍へと呼びつける。その実、思案する彼女を邪魔しないよう彼が気遣い、大きな瞳が捉える視界に入るまいとしていたことは、ローリエから告げられなかった。


「ちょっとだけですが、この辺りが膨らんでいるみたいなんです。足元に、何か埋まっているのかもしれません」


 指輪の力を使い、二本のスコップを形成したアスターは、片方をローリエに手渡した。なるべく草花の根を切らないよう、垂直にスコップの先を差し込んでは、平地へと運ぶ。地味な作業を繰り返すうちに、握った金属の先で、硬い物にぶつかる感触があった。掌にじんと伝った振動を信じて、その近くを入念に掘り返していくと、平たく削られた石の一辺が覗き始める。


「これって……お墓、ですか?」


 二人の額に汗が滲んできた頃、ついに全貌が露わになった障害物は、クロワ帝国の教会付近に埋葬される、棺のような形をしていた。ただし、素材が石で作られた棺など、アスターは聞いたことがない。馬車に轢かれて傷だらけだった父親を収めたのは、簡素な木の箱だった。


「どれ、開けるぞ」


 用済みとなったスコップを置いたローリエは、灰色の蓋に手をかけた。重そうな見た目に反して、男性一人の力さえあれば開くらしいそれは、ほどなくして取り去られ――数十人分は折り重なっている人骨が、静かに姿を現した。


「きゃあっ!」


 頭蓋骨の目元に空いた、闇より深い空洞と目が合ったアスターは、思わずローリエの背後へと飛び退いた。恐る恐る顔を出し、棺の中身を見直しても、大量の骸が収められていることには変わりがない。冷たい石の中で沈黙する遺体は、服の一つも身に着けていなかった。


「アスター。気味が悪いのは分かるが、こっちを見てごらん」


 首だけで後方を振り向いたローリエは、いつも通りの顔色に苦笑を浮かべて、背中を陣取る少女に声をかけた。あやすような口調も相まって、彼の目には、こちらがどれだけ情けなく見えているのかと想像してしまう。


――もしも、あたしに犬みたいな尻尾が生えていたら、しょんぼり垂れているんだろうなあ。


 実際にはない獣耳をも寝かせる勢いのアスターは、ローリエに示された通りの右手側へと、慎重に身体をずらしてみる。足元には、彼が動かした石の蓋が、裏返された状態で横たわっていた。


「真ん中より、少し上だ」

「少し上……?」


 彼の声に案内されるがまま、視線を奥へと差し向ける。すると、そこには文字めいた模様が刻印されていた。クロワ帝国で用いられている言葉ではないことは、一通りの読み書きを修めたアスターにも判別がつく。彫刻刀のような刃物で削り出されたと推測される、いずれの線にも揺らぎはない。施した技師の腕が垣間見える、繊細な仕事ぶりだった。


「これは、ラディチェの文字だな」

「ラディチェ……なんだか、聞き馴染みのない響きですね」

「クロワ帝国が統一される前に、初代皇帝の手によって滅ぼされた小国だ。彼らの文化はほとんど謎に包まれているんだが……以前、逸れ者の言語学者が編纂した本で、この文字を見たことがある」


 会話と独り言が混ざった語り口のローリエは、既に脳内で翻訳を試みているらしい。名詞がどうとか、類似の言語は何だとか、アスターには分からない領域の呟きが増えてきた。空中に指で字を書いて整理しているらしい彼に、筆記用具の一式を具現化してみせると、「悪いな」と言って受け取られた。蓋の裏面、何も刻まれていない範囲に置かれた羊皮紙へ、見慣れた癖のある字が連なっていく。集中している彼の邪魔にならないよう、アスターは、近場に生えた花を使って、あるものを作ってみることにした。

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