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緑の指輪と思い草  作者: 翠雪
第2章 緑の記憶
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第12話

 間違いなく初対面である婦人の眉間には、深い縦皺が刻まれている。口元を固く引き締めているせいで、ほうれい線もくっきりと浮かび上がっており、いかにも気難しそうな顔立ちだ。長く伸ばされた赤毛は、項で一つに結ばれているらしい。相貌から推測される年齢と比べて、背筋はまっすぐに伸びている。その上、身体の輪郭についても、贅肉に起因する無駄な曲線がほとんど見当たらない。動きやすく、丈夫そうな男性物の衣服を纏う彼女の腰元には、白銀の長剣が提げられている。


――なんだか、不思議な取り合わせ。


 緊張と、口元にあてがった掌はそのままに、アスターは婦人の様子を観察した。招かれざる客人も、細めた目で二人を品定めしているらしい。少女が翠眼であることも目撃しているだろうに、彼女の眼差しからは、なぜだか敵意らしきものが窺えない。村の広場で「悪魔」へと向けられた侮蔑とは明らかに異なる、公平さすら感じさせる眼差しだ。


「ここで何をしている」


 女性の喉からはあまり聞かない、ハスキーな声だ。アスターとローリエから見て右、婦人からすれば左の腰元にある剣の柄頭には、彼女の左手が置かれている。握るでもなく、手首と近い部分の膨らみを軽くつけただけのその体勢は、剣を抜き取るためというよりも、単なる手の置き場所として使っているように見えた。


 ローリエは、腰元に忍ばせているナイフの柄から、ゆっくりと手を離した。地面に放りこそしないとはいえ、警戒を一段階は緩めたということは、少なくとも、彼女は教会の関係者ではないらしい。


「ちょっと、旅行でな。道に迷って、野宿をしていたんだが……どうやら、お前さんはそういう訳でもなさそうだ」

「奥の少女も連れての旅か」


 ローリエの返答に混ぜられた質問を無視して、彼女は二つ目の問いを投げた。そうだ、と答えたローリエを一瞥した相手は、剣の柄に手を置いたまま、こちらに歩み寄ってくる。焚き火という光源が彼女に近くなって、長い赤毛のうねりが強いことを知った。


「……お前の娘か?」


 彼女は、アスターの顔周りに視線を向けたまま、ローリエに訊ねた。どう答えるつもりか気になって、彼に視線を向けると、見慣れた視線がかちあう。肯定した方が色々と都合がいいことは、アスターにも分かっている。それでも、少女が慕った「父親」はただ一人であろうという気遣いが、ローリエがもたらした短い静寂から察せられた。


――頷いてくれても、構わないのに。


「どうやら、違うらしいな」


 二人の回答を待たずに、来訪者はそう言った。たじろいだアスターの足元で、砂利が靴裏に押されて、硬い地面に線を刻む。剣から手を離した彼女は、アスターとローリエを交互に見た。


「昼間、山に飛来したドラゴンについて、知っていることはあるか。 変形した鱗や角と見間違えたのでなければ、あれの背にも、二つの人影が見えたものだが」


 ちょうど、お前たちくらいの身丈でな。そう続けた彼女は、淡々とした口調を緩めてはくれない。


「参ったな」


 空にいるうちから、見られていたのだ。


 質問から、事実の確認に主旨が移り変わった彼女の言葉で、ローリエは眉根を下げる。


「あ、あの。あたしたち、怪しい者ではなくて……」


 咄嗟に口を動かしたものの、すい、とさらに細められた切れ長の目に射抜かれてしまっては、声帯もすくみ上がってしまう。半泣きになりながら見遣ったローリエは、困ったような顔つきのままで、少女と女の間に右腕を割り込ませた。


「夜が明けたら立ち去るから、放っておいてはくれないか。事情があるんだ」

「帝都で飼われているはずのドラゴンに乗ってきたのだから、そうだろうさ。ましてや、その目だ」


 ローリエの打診は、彼女に半身で躱された。虹彩がやや小さな焦茶色の眼差しは、光の加減のせいか、時折、真っ黒に染まって見える。火の粉を巻き上げたつむじ風が、三人の髪を乱した。


「着いてこい。夏とはいえ、山の夜は冷える」

「……えっ?」


 踵を返した彼女は、提げていた水筒の中身を焚き火に注ぎ始めた。煌々と燃えていた炎は、清涼な水に身悶えながら、見る間に小さくなっていく。


 呆然と立ち尽くすアスターを、ローリエが右手の甲で軽く叩く。そのまま、彼の左側、一歩分の間をおいた後方へと押しやられて、少女の視界は、十数センチ分だけ左にずれた。


「若造。断っておくが、お前たちを教会や帝城に突き出すつもりはない」

「わ、若造……」

「今にも背中のナイフを抜き取らんとする、そこの男に言った」


 炭が入り混じる燃え滓へ、周囲の砂を蹴ってまぶせば、残された灯りは月と星ばかりとなる。彼は、彼女の言を否定しない。沈黙が返答となった会話は、振り向いた彼女の言葉で、一旦の区切りを迎えることとなった。


「私の名は、ノワ。そこの少女が身に着けている指輪を、かつて目にしたことがある」


――――――


 小屋、という響きから想像するよりは上等で、村にあるものよりは簡素な造りの一軒家へ、アスターはローリエと共に足を踏み入れた。玄関のすぐ近くにある台所には、一本ずつ形が異なる大きな包丁が、十本ほど壁にかけられている。よく手入れされた銀色には、錆一つ見当たらない。多くの薪が放り込まれた熱源のおかげで、室内は外よりも温かい。小窓から覗く外には、焦げ茶色の毛並みをした馬が三頭、鼻を並べていた。


 包丁の群れの中から、細長い三角形に成形されたものを取り上げて、ノワは庭に出て行った。彼女は今、道中で仕留めた鹿を解体している最中だ。月光に照らされながら振るわれた、獲物に向かう長剣の軌跡は美しく、アスターの瞼の裏にも焼き付いている。


 一方で、息の根が止まった獲物の運搬を、宿代だと言って手伝わされたローリエは、渋い顔で肩に手を当てていた。石を飛び越えて三人の前に現れた時には、その動作に伴って身軽にも思えた動物は、実際のところ、それなりの重さがあったらしい。


「やっぱり、もっとしっかり手伝うべきでした」


 アスターには、軽い荷物だけを選んで渡されていた。細い倒木に鹿の両足を括りつけ、二人がかりで担ぐノワとローリエとは対照的に、少女だけはほとんど手ぶらも同然だった。履き替えたばかりのブーツを見つめれば、床の木目とも目が合う。


「お前さんはやらんでいいと、向こうからも言われただろう。あれを押し切ったら、普段から無理に働かせているのかと、俺が詰められるところだった」


 アスターの両腕に巻かれた包帯では、傷口を守るために身体から吐き出された体液が、薄黄色の染みを作っていた。根気強く昼間に冷やした甲斐もあり、出血自体は止まっている。もっと重い物も運べる、というアスターの訴えは、成熟した二人の大人から、すげなく却下されていた。その代わりとでも言うように、ノワがローリエに運ばせる荷物に関しては、道中に生えていた山菜や茸類が、少しの遠慮もなしに追加されていったのだが。


 リビングの中央を陣取るように置かれた燭台へ、近くのマッチで火を灯す。明るい夜とはいえ、光源が増えるに越したことはない。たっぷりの蝋を使い、太く、融けにくく誂えられた蝋燭は、芯の燃焼も比例して遅い。これから始まるであろう、長い夜の供とするにはうってつけだ。


「……おじさまが気遣ってくださるのは、まだ理解できます。でも、あの人は、どうしてあたしに手伝わせようとしなかったんでしょう」


 家主の目がないのをいいことに、空いていた水瓶の中へ、指輪の力で生成した水をなみなみ注ぐ。それを使って、流しで山菜の土埃を濯げば、いくつかの虫食いが顔を覗かせる。毒をもたない、美味しい野菜である証だ。


「お前さんが覚えていないだけで、実は知り合いなのかもな。昔の旅行の時にでも、会っていたんじゃないのか」


 居間で身体を休めていたローリエの、低くて心地のいい声が近くなる。少女の隣を陣取った彼は、これから洗う予定の山菜の籠を引き寄せて、アスターの仕事の大半を奪った。怪我人は安静にしていろという、言外の意思表示。離れた籠に手を伸ばしても、アスターの指先は届かない。知能犯である。


「確かに、この山のどこかにある、小さな花畑に行ったという記憶くらいしかありませんが……観光地ではないだけに、もしも誰かに会っていたら、どうしたって忘れられない気もするんですよね」


 水場での作業をローリエに取られてしまったアスターは、汚れが落ちた食材たちを、網籠の中へと並べることにした。黙々と手を動かしていれば、ほどなくして仕事は完遂され、あとは家主の帰りを待つばかりとなる。


「……随分と、ためらわずに力を使うようになったな」


 ふと落ちたローリエの呟きには、彼が抱いている自責の念も混ざっていた。いつでもアスターと真剣に向き合ってくれるローリエは、どうやら、自らに対する負い目も長続きするらしい。少女は、意識して明るい声色を選び、笑顔を添えて答えた。


「だって、どう頑張っても、もう外せないんでしょう? それなら、身に着けているだけよりも、必要な時に活躍してもらった方が便利じゃないですか」

「損得、だけで割り切れる話かね」


 隣人は、苦虫を噛み潰したような顔で、腕を組んでいる。アスターが水瓶を元の位置に戻し、いくらか食材を刻んでおこうかと迷っていると、獣肉を抱えたノワが帰ってきた。

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