太陽が沈んだ日
明るくてふざけてばかりの男が突然無表情・無口になり、呪いによるものだと気づかれずに周囲が深刻に勘違いしていく話。
いつも、彼の声が先に部屋に届いた。
どんなに静かな朝でも、廊下の先から彼の笑い声が響けば、皆が「おはよう」と返していた。
「うぉ〜っす!ってお前まだ寝てんの!?起きろ〜寝起きドッキリのお時間で〜す☆」
「や、やめろバカ!顔にマジックだけはやめろォ!」
何気ない日常。
それは彼の存在によって、どれだけ救われていたか──誰もその時は気づいていなかった。
だが、ある朝。
彼は静かに、部屋のドアを開けた。
「……お、おはよう……?」
声をかけた後輩の言葉にも、彼は無表情のまま小さくうなずいた。
そのままソファに座る。脚を組むことも、ふざけた寝そべり方もしない。
いつもなら「よっこらせ〜、おっさん腰だわ〜!」などとおちゃらけて座るのに、今日はそれすらない。
しかも、誰とも目を合わせない。
(……ん?)
最初に違和感を抱いたのは、同室の先輩だった。
(……いや、どうした? 寝不足か? いやいや、目の下にクマは……ない。てか、ガチで無表情すぎないか?)
「お、おい……調子悪いのか?」
その問いにも、彼は少し首を傾げて小さく頷いた。
その動きも、やけに静かで控えめだった。
すると、ざわざわと周囲の空気が変わる。
明るく場を支えていた男が“無言”で“無表情”で“頷く”──たったそれだけで、場は凍るのだ。
「……マジで、なにがあったんだろう」
「……誰か怒鳴った?いじめた?」
「……失恋……?」
いやいやいや!と内心で叫ぶ彼だが、声は出ない。
喉は動かない。顔の筋肉も痺れているように動かせない。
(くっそ、あの骨董品店のオッサンめ……!呪いとか信じてなかったのに……!)
──そう。
数日前、彼はふざけて買った「しゃべりすぎを直す仮面」なるアイテムをつけて写真を撮った。その直後から、なぜか表情が動かせなくなった。
診てもらった医者は「神経性の一時的な症状」と診断したが、当人は確信していた。アレは呪いだ。
もちろんそれを口で説明することはできない。
彼は板書で訴えようとしたが、「文字も力が入らない……」という新たな問題に直面。筆談もままならない。
日が経つにつれ、周囲の勘違いはどんどんエスカレートしていった。
「……あいつ、なんか見たんじゃねえか。誰にも言えないような……ヤバいやつを……」
「事故現場とか? いや、殺人とか……?」
「もしかして、寿命を告げられたとか……」
「やめろよ……そういうの……!」
皆が彼を気遣うように。
腫れ物に触るように接し始めた。
ふざけて話しかける奴もいない。
ツッコミも、笑いも、なかった。
──その時、彼ははじめて気づいた。
(……俺、みんなの空気を軽くしてたんだな)
それが自慢でも何でもなかった。ただ、目の前の皆が沈黙しているのを見て、素直に思ったのだ。
今までは「自分がウルサイだけ」だと思っていたのに。
(……でも、もう少しだけ我慢すれば……!)
そして、四日目の朝。
彼は、リビングに飛び込んできた。
「おっはよぉぉぉぉおおおおお!!!しゃべれるううううう!!!」
「表情も戻ったぞぉぉおおおお!!オレ、生きてるゥゥゥ!!」
「「…………」」
沈黙。
誰もが、狐につままれたような顔で固まっている。
「え?……治ったんだけど?どうしたのお前ら?」
「……治った……?いや、待て待て……え、マジで病気じゃなかったの……?」
「ふざけて仮面かぶったら呪われた!……って言っても信じてもらえないよね〜HAHA☆」
次の瞬間、怒涛のように集まってくる仲間たち。
「ふざけんなァァァァァァ!!!!」
「心配させやがって!!!」
「マジで一回殴らせろ!!!」
「お前の代わりに泣いてた奴もいたんだぞ!?」
彼はボコスカ叩かれながらも、久しぶりの賑やかさに心から笑った。
(……うん。やっぱ、これだよな)
──太陽は、一時的に沈んだだけだった。
また昇って、皆を照らしてくれたのだ。