表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/7

第3話 赤眼の牙と最初の灯火

 キシャァァァァッ!


 鼓膜を劈くような甲高い咆哮と共に、赤眼の巨大ネズミ――ラットビーストとでも呼ぶべきか――が三体、ホームの暗がりから躍り出た。その姿は、ドブネズミをそのまま巨大化させたようなグロテスクさで、剥き出しの黄色い牙からは絶えず涎が滴り落ちている。


「うぉっ!化け物め!」

 権藤が鉄パイプを力任せに振り回し、先頭の一匹に叩きつけた。鈍い音と共にラットビーストが怯むが、すぐに体勢を立て直し、さらに凶暴な唸り声を上げる。数が多すぎる。


「うっひょー!リアルモンハン!これ絶対ミリオン再生だわ!」

 紗雪は、恐怖よりも好奇心と動画映えが勝っているのか、スマホを構えたまま興奮気味に叫ぶ。しかし、その余裕も束の間、一体のラットビーストが彼女を標的に定めた。

「ひゃっ!ちょ、こっち来んなし!」

 途端に素っ頓狂な悲鳴を上げ、ホームを逃げ惑う紗雪。その拍子に、壁にあった古びた配電盤のスイッチカバーに体が当たり、バチッという音と共に、ホームの一角に設置されていた作業灯が数瞬だけ強烈な光を放って点滅した。

「グギィッ!?」

 ラットビーストたちが、その光に怯んだように一瞬動きを止める。


「……光?……いや、待てよ……確か、夜行性の動物は……」

 藤堂智也の脳裏に、かつて読んだ害獣駆除の資料や、水島先輩が冗談めかして話していた「地下に潜む未知の生物」の話が、恐怖で麻痺しかけた思考の隙間から断片的に蘇る。あの赤い目は、強い光に弱いのではないか?そして、あの甲高い鳴き声は、超音波のようなもので仲間と連携を取っているのかも……。

「権藤さん!そいつら、たぶん強い光が苦手です!あと、大きな音も!」

 ほとんど叫び声に近い、か細い声だった。だが、それは確かに権藤の耳に届いた。


「光だと!?チッ、こんな時に懐中電灯の一つもまともにねえ!」権藤が悪態をつきながらも、紗雪が偶然作動させた作業灯のあった方向を睨む。

 後方では、詩織を含む他の乗客たちが、恐怖に顔を引きつらせながら固まっている。小さな子供は泣き叫び、母親が必死にあやしていた。

『守らなきゃ……』

 柄にもない感情が、智也の胸の奥から湧き上がってきた。水島先輩なら、きっとそうしたはずだ。


 ラットビーストの一体が、智也めがけて突進してくる。牙を剥き、涎を飛ばしながら。

「うわあああっ!」

 咄嗟に身を捩った智也のすぐ横を、鋭い爪が掠めた。その時、彼の視界の隅に、ホームの端に転がっている赤い筒が映った。

(あれは……信号炎管!)

 鉄道員が緊急時に使う、強烈な光と煙を出す装備だ。なぜこんな場所に?疑問は後だ。智也は恐怖を振り絞り、転がるようにしてそれを掴み取ると、キャップを捻り、底を強く叩きつけた。


 シュボォォォォッ!


 眩いばかりの赤い閃光と、大量の白煙が、一瞬にしてホームの一部を覆い尽くした。

「ギギィィィィィアアアア!?」

 ラットビーストたちは、予想以上の強烈な光と刺激臭に完全に狼狽し、互いにぶつかり合いながら、蜘蛛の子を散らすように暗闇の奥へと逃げ去っていく。


「……はぁ……はぁ……行った、か……?」

 智也は、信号炎管を握りしめたまま、その場にへたり込んだ。心臓が早鐘のように鳴り、全身の震えが止まらない。だが、確かに自分が何かをしたという、小さな達成感が胸にあった。


「やるじゃん、智也くん!今の超カッコよかったんだけど!」

 紗雪が、いつの間にか恐怖から立ち直り、目を輝かせながら智也に駆け寄ってきた。スマホのカメラは、しっかりと今の攻防を記録していたようだ。

「……坊主、助かったぞ。あのままじゃジリ貧だった」

 権藤も、鉄パイプを杖代わりにして立ち上がりながら、智也に労いの言葉をかけた。その目には、先程までの侮りは消え、わずかながら認めるような色が浮かんでいる。

「いえ……たまたま、です……」智也は消え入りそうな声で答えた。


 ラットビーストの脅威が去り、一同には束の間の安堵が訪れた。権藤が指示を出し、負傷者がいないか確認する。幸い、紗雪が腕に軽い擦り傷を負った程度で、大きな怪我人はいないようだ。詩織が、おずおずと自分のバッグから小さな救急ポーチを取り出し、紗雪の傷の手当てを始めた。その手つきは慣れないながらも丁寧だった。


「さて……ここは一体どこなんだ」権藤が改めて周囲を見渡す。「駅のようだが、様子がおかしい。藤堂、お前、何か分かるか?」

 智也は、まだ残る恐怖心と戦いながら、必死に記憶を探った。この歪なホームの構造、錆びついた線路、そして、どこか見覚えのある壁のタイル……。

「……もしかしたら、ここは……数十年前に廃駅になった、深川線の旧万年橋駅のホームかもしれません。都市伝説では、再開発の際に一部が取り壊されずに地下に残されたとか……。だとしたら、あちらの方角に、地上に繋がる職員用の避難階段があったはずです……もっとも、今も使えるかは分かりませんが」

 辿々しいながらも、智也の説明は具体的だった。


「へえ、智也くん、マジで地下鉄オタクだったんだね!意外と頼りになるじゃん!」紗雪が、からかうような、それでいて少し感心したような口調で言う。

 権藤も、「廃駅か……だとしても、化け物が出るような場所じゃなかったはずだがな」と腕を組み、智也の知識に一定の信頼を置いたようだった。他の乗客たちも、先程の智也の活躍と今の説明を聞いて、わずかながら希望の光を見出したような表情を浮かべている。


 その時、紗雪が何かに気づいたように声を上げた。

「ねえ、見て!あのネズミが消えたところに、なんか光る石みたいなのが落ちてるんだけど!」

 彼女が指差す先、先程ラットビーストが苦しみながら消えていった場所に、数個のビー玉くらいの大きさの、淡く青白い光を放つ奇妙な結晶体が転がっていた。


 そして、再び、あの無機質な女の声が頭の中に響いた。


『第一の試練、クリアと認定します。報酬として、低級ソウルクリスタルを付与。次の座標を送信。生存には「対価」が必要です。健闘を祈ります』


 声と同時に、駅の古い案内表示板だったものが、バチバチと火花を散らしながら点灯した。そこに映し出されたのは、現在地を示す赤い点と、そこから伸びる一本の線、そしてその先にある緑色の点滅する目的地。それは、この歪な駅のさらに奥深くへと続く、新たなルートを示しているようだった。


「……ソウルクリスタル?座標……?対価……?」

 智也は、表示された歪なマップと、自分の記憶の中にある地下鉄路線図を必死に重ね合わせようとした。これは、やはりただの事故ではない。何者かが、明確な意志を持って自分たちをここに誘い込み、何かをさせようとしている。

「僕たちは……何かに、試されているのか……?」

 水島先輩が追い求めていた「地下の秘密」とは、これほどまでに過酷で、理不尽なものだったのだろうか。

 智也の胸に、新たな恐怖と共に、この異常事態の背後に潜む巨大な陰謀の存在を予感させる、重苦しい予感が立ち込めていた。


 第三話 了

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ