モラルの低さは勘違いから
当て逃げにポイ捨てなどをしても、罪悪感を感じない人たちが居る。
これは、その人の勘違いから生じる。
何かにぶつかっても、壊れてないから大丈夫。車に当たっても、車は丈夫だから大丈夫。
この、自分勝手な大丈夫がモラルの低さである。
この店は、あこぎだから盗んでも大丈夫。保険に入ってるんだから、損はしないだろうとか。盆栽なんて、そこらの木をとってきてんでしょとか。野菜も種撒いて、ほっときゃいいんでしょなど。
ほかにも、怪我はほっときゃ治るとか、自分も我慢してるんだからとか。
極端な例は、レストランで落としたスプーンを拾うと、他人の仕事を奪うことになるというものだろう。道路などもしかり。
誰かが手間をかけている。それが、見えないから、無価値に思える。外国人は、希少性に価値を見出すが、多くの日本人にとって、対価とは手間に対する評価である。
これは、文化の差である。欧米では、物は作るもではく、他者のものを譲り受けるものという歴史がある。日本は、物は育てるものである。陶磁器でも作るよりも、長年使い込み育てることに価値を見出す。だから、生産者は低く見られるのだが。
本来なら、作ることも育てることも評価されなければならない。しかし、作る人は生み出すこと自体に興味をもっているので、手間以外には無頓着になりやすい。
なので、日本の価値観は手間で集約される。
経営者なのか生産者なのかという価値観の違いでもある。日本人の考えは生産者であり、経営者ではない。欧米は経営者志向なのである。経営者とは家長であり、家族を養わなければならない。そのためには、蓄えが必要なのである。
どちらの価値観がいいかというのは、文化だから比較できない。自然の中で、手間だけで生活できる日本と、それだけでは生きて行けない欧米との環境差である。そして、宗教観の違いが経営者としての強い責任感をもたらしているのである。