初期形態でスリーパーホールドを極められた魔王、真の姿を見せるもそのまま絞め落とされる。
俺は魔王。この大陸の魔族を統べる存在だ。まあ、統べると言っても俺の強さを見て他の魔族が従ってるだけだがね。
だが、魔王としての仕事はキッチリやりますよ。ここまで来れた勇者ならば、俺の退屈を紛らわせてくれるかも知れないからね。
テクテクテク。
来たね。噂で聞いたより、可愛らしい足音だねえ。確か、今代の勇者は俺程じゃないけど、鍛え込んだ青年と聞いてたんだが。まあ、実際に目にして確認しましょうか。
「こんにちは!北の国からはるばると、勇者キタノ参上です!」
俺の前に現れたのは、ビキニアーマーを着て、バーガー屋の袋を持った美女だった。
「…話が違うね。俺が部下から聞いた情報では、勇者は男なんだが」
「女体化魔法です!今の魔王は女性に甘いと聞いたもので!」
「本人の前で言うかい?それに、聖剣はどうした?」
「抜く自信が無かったので、近くのバーガー屋に寄ってからここに来ました!これ、最後の晩餐にどうぞ!」
勇者がバーガー袋から出したのは、肉厚ないかにも高そうなバーガーだった。
「なんか、懐かしさを感じるバーガーだねえ」
「多分、気のせいですよ。魔王って、生まれてこの方一度も魔王城から出てないんでしょ?」
「まあ、そうなんだが」
俺は魔王としてこの魔王城で生まれた。生まれた時から肉体は成人で、魔王として何をすべきかの知識も備わっていた。先代までの魔王もそうだったと聞くし、俺の死後に生まれる魔王もきっとそうなのだろう。だから、俺は勇者が買ってきたバーガーを懐かしく思う事なぞ有り得ない。勇者の言う通り、ただの気のせいなのだろう。
「しかし、美味いねえ。このバーガーは」
「はい!先代勇者が弟の為に作った巨大バーガーを再現したものらしいですよ!私も一つ貰いますね!く〜っ、美味しい〜!これは踊りたくなってくる美味しさですよ!」
そう言うと、勇者は本当に踊り始めた。
「バーガー、バーガー、バーガー大好き〜」
前傾姿勢で両腕をグルグル回しながら俺の周りを回る勇者。やれやれ、これから最後の戦いだって言うのに、油断してるんじゃないかね?
「バーガー、バーガー、バーガー大好き〜、さあ、魔王さんもご一緒に!」
…俺は大変な事に気付いてしまった。勇者はビキニアーマーを着て、前傾姿勢で腕をグルグル回している。だから、胸の谷間が丸見えなのだ。
「バーガー、バーガー、バーガー大好き〜」
俺は、勇者のマネをして頭を下げる。気付かれる事無く、合法的に谷間をもっと近くで見る為に。それがいけなかった。
「バーガー、バーガー、バーガー大スリーパーホールド!」
「ぐわー!」
油断していたのは、俺の方だった。俺の顔が勇者の胸の近くまで来た瞬間、勇者はスリーパーホールドで俺の首を絞め上げたのだ。
「わはははは!やってやりました!魔王の首、とったどー!」
「やれやれ、魔王戦でスリーパーホールドする勇者なんて、前代未聞だねえ。普通、剣や魔法で戦うもんじゃ無いのか?」
「さっきも言った通り、私は聖剣に選ばれてるかも怪しい、微妙な実力の勇者なのです!ですが、スリーパーホールドならば、こうして極まってしまえば実力差は関係ありません!」
確かにそうだ。だが、それは普通の人間同士ならではの話だ。
「勇者さん、奇襲の成功祝いに一つ良い事を教えてやろう」
「はい!何でしょう?」
「俺はまだ変身を残している。俺は兄者と違って不器用でねえ、筋肉量を増減するぐらいしか芸が無い。だが、その筋肉の増大により俺のステータスは飛躍的に増大する!」
「ええっ、魔王って、お兄さん居たんですか!?」
驚いて欲しい所さんはそこじゃ無いねえ。
「パワーアップの方に驚いて欲しかったねえ。というか、俺は気が付いたら魔王としてここで生まれていたから、親兄弟は居ない」
「でも、さっきはお兄さんが居るって言ったじゃ無いですか!」
「あんたの聞き間違いじゃ無いかい?そんな事より、自分の身を心配するんだね。今の俺は全力の20%だが…、ここからは80%だ!」
俺は、この勇者を強敵と認め封印していた力を解放する。俺の全身は一回り大きくなり、パワーだけで無く、五感も強化される。
そして、スリーパーホールドは極まったままだった。
「ふんぬー!」
勇者が力の限り俺の首を締め続ける。ちょっと、息が苦しくなってきた。
「勇者さん」
「はい、何でしょう!」
「俺が変身したからさ、アンタもスリーパーホールドを解いて、仕切り直しと行かないかい?」
「駄目です!このスリーパーホールドを解いたら最後!私は貴方に秒殺されるでしょう!」
その判断は正しい。この勝負は、このままスリーパーホールドが続けば勇者の勝ち、スリーパーホールドが外れれば俺の勝ち。そういう勝負と化していた。勇者の顔を見れば分かる。こいつは本気でこのスリーパーホールドだけに全てを賭けて俺に挑んでいるのだ。
「勇者さん、アンタの覚悟はよーく分かった。ならば、俺も全力を持って挑ませて貰うよ」
「そういうの、いりませんから!どうか、このまま気絶して下さい!」
「悪いが、そうはいかんよ。これが俺の…100%だ!」
俺は筋肉を完全開放した。全身の肉が盛り上がり、骨格レベルで別人となる。肩幅も首周りも一気に太くなり、これならスリーパーホールドも容易に外れるだろう。
「ふんぬー!」
駄目だった。
「突然首が太くなって、ビックリです!でも、おかげでスリーパーホールドがより極まってます!腕が痛いですけど、絶対に外しません!」
「勇者さん、頼むからスリーパーホールドを外してくれないか?俺はこの100%の肉体で思う存分戦って死にたいんだ」
「このスリーパーホールドこそが、貴方を倒す技です!」
「違う、そうじゃない。もっと、こう、勇者と魔王らしく勝負したかった」
マズイ、本格的に息が苦しくなってきた。このままだと、本当にスリーパーホールドで殺されてしまう。魔王は聖剣が無いと殺せないという伝統が俺の代で終わってしまう。
…そうだ。魔王は聖剣を使わないと殺せない。ちょっとだけ希望が見えてきた。
「勇者さん、例えこのままスリーパーホールドで俺を倒しても、聖剣以外のダメージはいずれ回復し、俺は蘇生する」
「はい、知ってます!」
「だったら、こんな不毛な戦いはやめないか?アンタは一旦聖剣を取りに行き、その後に再戦といこうじゃないか」
頼む、首を縦に振ってくれ。俺は、この肉体をフルに使って戦いたいんだ。
「魔王さん、もしかしてまだ自分が死なないとでも思ってるんですか?」
「えっ」
「私、言いましたよね?聖剣に選ばれてるか自信が無いって。私には最初から、聖剣を抜くという選択肢なんて無いんですよ」
「な、なら、どうやって俺を殺す?」
「スリーパーホールドで気絶させて、その体勢のまま聖剣の里まで行って、気絶している貴方の首を聖剣に押し付けて斬ります」
ふざけた事を言っているが、勇者の目は本気だった。
「そ、そんな酷い死に方があってたまるか!せめて、普通に勝負の流れで首を斬ってくれ!」
「駄目です、こうやって倒すのは最初から決めてたので。では、さようなら。ふんぬー!」
首を更に締められ、俺の身体から力が抜けていく。100%を維持できなくなった肉体は通常状態に戻り、それと同時に目の前が真っ暗になった。
「よし、気絶しましたね!このまま聖剣の所さんまで引っ張って行きます!」
こうして、全力を尽くして勇者と戦って死ぬという俺の願いは、儚く潰えたのだった。