78 カインが手放さなかったものを
「伯父さんの…
『カフラー・シュルタン』の名も、
『タビト・シュルタン』の名も…、
テミンが継いで支えているから、テミンはみんなよりたくさんの景観を見て、少しだけみんなより多く誰かを支えることができるんだよ。」
「なんで僕が伯父さんの名も継ぐの?」
「必ず継ぐわけじゃないよ。今は天や先祖からのお試し期間。」
「お試し期間?」
「『血』と、それから天と、オミクロンの天啓を重んじる人間に継がれていくんだよ。
『血』はものすごく運勢を持っているけれど、最後は血よりも心や誠意が勝つからね。旧約の歴史を、全部新約の新しい宗教が持って行ってしまっただろ?
『血統』は全てを相続するけど、諸刃の剣にもなるから。その血や家系が大きければ大きいほど……。」
旧約と新約の境目で、表の歴史では血は一旦リセットされたのだ。
「伯父さんたちは自分たちの立場も自民族擁護も一旦収めて、たくさんの人たちを……こうして例えばみんなが好きな色で好きな絵をかけるような場所に先導したんだ。」
そうしてたくさんのオミクロン族が、アジアライン死守のために死んでしまった。
オミクロンは最初にアジアと国家規模で連携を組んだユラス人だ。彼らがいなければ、アジアライン周辺は好きな色を見ることも着ることも、作ることも出来ない独裁国家に飲まれていたかもしれない。
「………。」
「全部天の位置に返していくんだよ。
本当の自由は最初のそこにあったのに、過去の人間は誰も気が付かなかったから。
テミンも最も大事なものは時に断ち切って、時に捧げて……
そうして何もなくなった先に…真実が見付かるよ。」
「じゃあ、僕の作ったものも今は永遠には残らないんだね…。」
「……?」
ここにいるほとんどの者はその意味が分からないが、ファクトははっきり言う。
何せ、この男。親も親なので聖典にはあれこれ詳しい。ゲーム機リーオのために小学生の内に聖典を5回も完読して、購入の頭金2万5千円手に入れたのだ。現金な男である。欲の原動力はすごい。
「そうだね……。どんなに努力をしても、心血を注いでも、今ある文化は『千年王国』の終わりには洗い流されて消えていくよ。そこにはたくさんの我欲や痛み……悲しみがあるから………。ユラス教や正道教も、法律も国もそうだ。今は必要だけれど、肉は全部削げ落ちるよ。」
「………。」
それは自分の作った物は永遠でありたいアーティストにはひどく酷な話である。これで、主の道を離れる者はたくさんいた。
けれど、『世界を構築する核』の無いものはいつか消えゆく。唯物論の言うべきところと同じ、肉しかないのだから。
そしてそれは、悲しみと痛みの歴史だから。
「………何?…『千年王国』?!それ『ハスルの涙』?」
そこで、初めて河漢っ子が反応する。
『ハスルの涙』は前時代にヒットしたゲームだ。最近再々々々再リメークが出ているが、ファクトはドットオリジナルのファンである。そのゲームの最終ステージが千年王国なのだ。
「え?もしかして君、結構いけるクチ?」
ちょっとうれしいファクト。ここでその話をできるとは感慨深い。
だが、テミンが夢のないことを言う。
「…々『千年王国』って、象徴的言い回しだよ。自由民主主義ができてから、本当の平等で安定した世界になるまでそれくらい掛かるってことだよ。一回で学ばない、悟らない無知な人間だから。」
「しょうちょう?ひょうしょう?じゆうみんしゅぎ?」
「テミン君!いま『ハルス』まで行き着いたから、そこをもっと深めよう!お友達が好きみたいだよ!」
ノって来るファクト先生。主義など難しい話は、ほとんどの子供は分からないであろう。自分でしておいて、ゲームの話をしたい。
「…々々。」
行き着く場所が一気に急カーブした感は否めないし、そんな事に時間を割いている場合ではないみんな。
しかし、
「…々分かった。」
と、急に大人びて言うテミンに「分かったって何が?」とスタッフたちはビビる。
テミンこわっ。なんか怖っ。
テミンは破れた絵を持って少しだけ祈ってそれを処分する。
テキパキと残りの掃除をして、先、適当に箱に入れた絵の具を色調ごとにきれいに並べて「ごめんね」と絵の具に言って、戸棚に片付けそして河漢っ子の前に座った。
「いいよ。今度は君の創造したかったことや考えを教えてよ。」
「…々々?」
「見識を広げたいんだ。」
「…々っ??けんすき?」
河漢っ子は、微妙な違いしかない似た色が並ぶテミンのパレットの意味が分からず、まどろっこしいような絵の無い作品に絵を描きたかっただけである。それ以上でも以下もない。
「…々々」
話さない河漢っ子をじっと待つテミン。
「々々々…。」
本人だけでなく、大人さえこの沈黙に耐えられなくなり、河漢っ子がまた泣き出す。
「う、う、うっ…」
よく分からないカオスが訪れているのだが、テミンの中ではたくさんの変化があった。
正直、家で好きなだけ描かせてもらえるので、慣れているし自分には大きな物を作れるという優越感や誇りがあったと自己分析。すごいのを作って褒めてもらおうと。
褒めてもらいたい気持ちは全部が惰性だけではない。でも誇りはともかく、優越感は作品を作るにおいて本質ではない。友達を見くびっている部分もあったのかもしれない。
でもその全てがカインのような優越感であり、思い通りにならない時には簡単にへそを曲げるほどのものであった。もちろん、一生懸命作った物に手を加えられたのは許せないが、そこで怒って分離した歴史の延長が今の国境争いだ。
あれこれいろいろ考えるテミン。
みんなと何か作る時は、自分の世界だけに没頭するのはやめようと決意した日であった。
***
そんな四支誠最大のベガス文化会館に、今日はオーケストラが練習に来ていた。大きなカバンやケースなどを持った者たちがあっちこっちに出入りしざわついている。
そのロビーの端に、大きなストールを首に巻いて半分顔を隠した男が座っていた。
近くには二人の付き添いの男。友人なのか、仕事仲間なのか。
その男に最初に気が付いたのは、ここを見に来ていたファイだった。
「…あれ…?」
「知り合い?」
横にいたリーオがファイに尋ねる。
「…太郎君………。」
「たろう?」
「ファクトたちの知り合いだよ。よく知らないけど。」
そして、響も知り合いらしい。言わないけれど。
声を掛けようか迷って考えていると、目が合ってしまった。太郎の方が気まずそうに顔を逸らすのでファイも無視することにしたが……
「そうなんだ。雰囲気のきれいな子だね。見たことないな。」
そう言ってリーオの方が太郎に近付いてしまう。見たことないと言うのはこれまでのリーオの仕事の中での話だ。ダンサーでも裏方でも、音楽関係でも見たことがない雰囲気だ。一般人と違う雰囲気と姿勢を感じる。
「あっ!」
と追いかけるファイとラムダ。これはヤバい、触れてはいけない。その太郎君は接触禁止人物である。
「こんにちは。あの…ファクト君の知り合いなんですか?」
「……。」
太郎君は、何度か顔を見ているファイをチラッとだけ見て、はあ?という顔でリーオを見上げた。




