77 カインはどこに流れ着いたのか
「お父さん……?」
「そう。カウス・シュルタン………。」
立派な人?今その話必要か?儒教でも持ち出すのか?とウヌクは思うが、実はファクトにはもっと奥がある。
なにせファクトはオミクロン族のテーミンの又従兄妹たちに、カウス・シュルタンが一番カッコいいと言ってしまっている。嘘はつきたくないので、その息子も立派であってほしい。
「テーミン・シュルタン!
君はアーティストである前に、立派な人格を目指さなければならない。」
またこんな時に、何を言い出すんだとウヌクは呆れる。アニメや歴史の偉人ものに感化でもされたのか。これ以上煽るのか。興奮している感情を絆してあげるのが先である。
しかしファクトは説教を続ける。
「同じ芸術でも、ダンスや舞台分野を知ってるか?一人じゃ何もできないんだ。いろんな人にお願いをして、時に頭を下げて一緒に作っていく。
そういうことをしなくて、とにかく自分を貫き、自分を天才だと思い込み、偏った奴もいる…。ストリートパフォーマンスだけで世界を貫く覚悟があればまた違うだろうが、注目を浴びて天狗になって打ち落とされるのもいるからな……。」
なぜかしみじみ語る。
まだテミンの目標までは知らないが、そこまで考えていないかもしれないし、そんな子供を怒らせるような大人の事情のを、なぜ敢えて今言うんだとスタッフたちも戸惑う。ウヌクは止めた方がいいか考えていた。
実はファクトは、過去に大房で裏方仕事を手伝っていた時、そういう芸術肌の総監督ダンサーに、少しのミスや解釈違いでものすごく怒られなじられたので、芸術家にも優しくあってほしいのである。
というか、人に自分の世界の完成をお願いしているのに、なじる怒鳴るとはなんなんだ。不向きにしても普通に話して追い出してくれと思う。時々世間で活躍しているが、それからそのダンサーのダンスもあまり好きではない。 私情だ。
…ということをファクトは今になるまですっかり忘れていたが、柔軟性は大切だ。
それがなければどんな世界でも行き詰る。
「でもな…テミン、君はアーティストである前に、一人格を極める一人の人間であってほしい…。アートで食っていくには、ある意味プロデューサーでなくてもいけないんだ。」
「プロデューサー?」
ササっと調べるテミン。
食っていくとは言っていないが、ファクトの中ではそういう話になっている。好きなことを勝手に飯に繋げるのは正直迷惑だな、とウヌクは思う。趣味は趣味の内に収めたい人間もいるのだ。プロになって好きなことが嫌いになる人間もいる。
「ここに『プロデューサー。セクハラパワハラ』とかあるよ。」
テミンがネットで変なニュースを見ているので、先生たちはハラハラする。
「…そういう昔のニュースはひとまず置いといて……」
今度はパワハラセクハラを調べ始めるのでその手を止める。
「というか、そうならないようにテミンはまず柔軟性を学ぼう。ここと家で出来ることは違うよ。」
「………」
テミンが大人しいので取り敢えずウヌクは聞いているが、一応構えてファクトがさらに変なことを言い出したら黙らせる準備をしておく。
「それにね。怒りで弟を殺したカインの子孫から最初のアーティストが生まれたんだ……。」
「………?」
「なんでだと思う?」
「…。」
「神に仕える側は、なくしてしまった神性や精神性をもう一度取り戻すために修道の道を行かなければならないから、こんな世界では対外的に世捨て人にならざる負えない。
人は道義よりも欲望が勝つんだ。それを収めるためにアベルの精神は世捨て人にならざる負えなかった。
箱舟の話とか分かるだろ。物質に溺れた人間には神性や精神性の話は通じないんだ。
でも、地球という舞台は既に準備されてしまっているから、天の系列になったセトの子孫がそれを追えない間に、タブーの無いカインの子孫がもの作りや芸術を担ってしまったんだよ。
意味分る?」
「……。」
テミンが泣き止んで考えている。横で聞いている河漢の子は単語自体が分からないので、退屈そうに今度はお菓子を食べ始めた。
「だから旧教や仏教は清貧を重んじるだろ。
なんていうの?贅沢よりも、旧教なら神性を、仏教なら精神性を選ぶわけ。無欲な天上に辿りつけないから必死になるしかない。で、豊かさを手に入れたら入れたで世俗と同じまた堕落するわけ。人間の神性自体が時代的に低いから。所詮、霊性も空想でしかない時代だろ?
それは人間の精神性が、物質を超える基準を立てないといけないからだよ。
でも本来は違う。全部は天の物で、誰もが使ってよくて、みんなで大切にできるはずのものだった。でもそうして精神性を立てられるようになるまで鍛錬して、失ったものを取り戻していくんだ。」
「物語みたいなすごい理想論だね。」
小1のセリフとは思えない。
「人間が物語にしちゃったんだよ。
例えば…宝石なんかのために、人と人が騙し合ったり殺し合わない世界を作るために。宝石が本来愛されたい場所に行くために。全部現実だよ。」
ファクトは、手に巻いていたオミクロン族の子に貰ったブレスレットを思い出して、それを擦った。
「………。」
「自分を理解してもらえないことに対し、怒りをぶちまけたカインが石で先手を取ったから………物質や芸術にはいつもその動機が付きまとって来たんだよ。最初の男女の過ちもそうで、カインの独り善がりの怒りもそう。
芸術家は自分の表現したいことのために道徳性を捨てやすいし、好色も多いだろ?」
「こう色?何色?」
ガッとウヌクに頭をつつかれる。
「うがっ」
「お前、説明できないことを言うな。」
「…すみません……。」
もう一度テミンに振り返る。
「じゃあまず、余裕を心がけよう。好色は置いておいて。」
なのにササっと調べるテミン。
「ははー。ソドムみたいなもんだね!分かる。ウヌク先生もそうだもん。女の人大好き!」
「………。」
大人のスタッフたちが、こそっとウヌクを見る。
「は?!俺はここに来てからめっちゃ慎ましく生きている!つーか、ユラス人は子供に何を教えているんだ!」
ソドムゴモラは、老若男女関わらずあちこちに淫乱が溢れていた聖典に出てくる国だ。
それをいさめに来た神のみ使いにさえ怒り発情もし、「その者たちを出せ。なぶりものにするから」としたいことを隠すことさえせず暴動まで起こしていた町である。ロトの家族はそこから逃げ滅亡を逃れたが、きっと宴が楽しくきらびやかで美しい街でもあったのだろう。きれいな街を名残惜しく振り返った妻は死んでしまった。
ユラス人は、産まれる前から聖典を子供に聞かせるような民族で、内戦で囲われたりした時のためにも幼少期から様々な教育をしている。ベースが全然違うのだとスタッフたちは知る。
「テーミン・シュルタンは、叔父さんたちのベースもあるからもっと大きな場所を見られるよ。歴史の失敗を越えていくんだ。」
そう言って、テミンを撫でる。
「おじさん?」
「テーミンの緑の目のおじさんたち。お父さんの兄弟だよ。」
「………。」
テミンは死んだおじさんたちがいたことはなんとなくしか聞いていない。それでもテミンはオミクロン族オミクロン家の直系からの枝だ。




