72 大学分散
ここ最近で一番大きな、ベガス構築関係者会議が始まる。
ファクトはワクワク。
何せ久々にカーフ・カプルコルニーがいる上に、なぜかあの南海学生集団が今回会議のメインにいるらしい。
最近全然カーフをみかけていなかったら何かと思えば、今回の事で死ぬほど忙しかったのだ。噂では、あの辺のメンバーは寝る、食う以外の時間はほぼ大学関係の仕事で勉強もしていなかったらしい。
かわいそうにと思うが、ハイプレイシア集団なので既に教授レベル。専門課程に行かない限り、既に学ぶことはないそうな。
カーフは仲間たちの発表を聞きながら真面目な顔をしている。
第二のサダルになりそうな風格だ。手を振ったが、会場が広いし集中していて気が付いてもらえなかった。
「カーフ。サダルに似てきたね…。」
背も伸び幼さも減ってきた上に、真剣なのでカーフ以外もみんな恐ろしく大人に見える。
今回は北メンカル、ガーナイトのタイイー議長が参加した行事に次ぐビックプレイベント。しかし一般行事ではなく関係者会議だ。タイイーはいないが、メンカルの教育関係者やここで研修している学生たちは参加している。彼らは南方のため南ユラス人より肌色の濃い人が多い。
参加者は藤湾大学関係者、希望学生、東アジアとユラス、連合国の教育関係者。それからVEGA。アーツのリーダー格。希望すればメンバーも参加でき、ユラスや河漢の自治長などもいる。想像以上に参加者が多く、サテライトもされていた。OBもたくさん来ている。
一応教育関係学科なのでリゲル、ラムダ、ソラ、ベイドといつもの学生メンバーもKY学生シャムと共に見に来ていた。大学1年生以下は特別にこの事業に取り組んだ者しか参加していない。
この会議の目的は、藤湾大学を各地に分けていくため、その企画報告会である。
今まで青写真だったことを、カーフたちが実行する前段階にまで落とし込んで来た。
現在ベガスには『南海』に移民の生活教育学校、基礎教育学校がある。これは主に、十分な勉学ができなかった者に対し、東アジア基準の高等科までを補足していく学校である。社会人が多く、未成年はよっぽどの遅れがない限り、普通小中学校かミラの藤湾大付属に行く。ムギも高校からはこちらだ。
それから職業学校。
あまり設備を要しない、会計系、事務などの職業学校は南海などに、設備が必要な職業学校は藤湾大学連の横に隣接している場合が多い。必要に応じて他地域にも分けていく。
一方、藤湾大は主に移民やベガスに住む職員家族の学校。
元々藤湾は、ユラスからの移民第1弾がベガスに入った時、まさに草の根で作った学校であった。
チコを筆頭にユラス人の教育層、そしてまだ子供だったカーフたちも小中学年のリーダーとして立った。
旧都市の大学をリノベーションし、プレイシアの特別クラスと、通常クラスに分けて、とにかく必死で学校の形を作り、東アジアに公認される前に連合国の教育機関に認証させ教育の形を作ったのだ。認可されやすい移民の即席教育施設で、それでもそこからスタート。臨時学校は中高までの場合が多いが、カーフたちは移民の大学生たちもかき集め、大学教育枠も作っていく。
旧都市の建築物は、許可が出るまでは住居や商業施設、公の施設として使用はできない。それまでは許可された工事設備のある広場でプレハブ小屋を借りたり、本当に青空学校もしていた。
最初は勉強道具も教科書も共有だったり、アンタレスの中古や新古品の寄せ集め。
むしろその方がよかった。移民の養育、教育設備に補助はいくらでも出るが、あくまで小中学校中心で高校までの義務教育関連だ。年度遅れでも、他の大学が捨てたものを回収して使った方が基準が高かったのだ。
チコには分かっていた。
今ここに、避難民の生活を助けるだけの移民移住地域を作っても失敗に終わる。
下手をすると、河漢どころかアンタレスと隣り合った、ただの多文化第二都市をつくってしまう。それは目的とするところではない。
多文化は一見たくさんの文化を受け入れるという平和的な響きだが、各々が融和しなければ結局は対立文化になってしまい、時に混沌を生む。移民とアンタレスの対立だけでなく、移民同士の対立もありアンタレス内でケンカをさせるわけにはいかない。
一つになるには、天敬における人智を越えた価値観が必要だったが、あまりに多くの人が民族が、聖典の本意を見出だせないままであった。
今すぐには無理だ。数千年出来なかったこと。
ならば…………
一旦定着すべきは、民族で分けられるものではなく、人として理知と英知が介在する、ある程度高度な文化社会である。
まだアジアどころかユラスにも指をさされていた、ベガス初期時代。
子供たちは先生がいなくても必死になって勉強をし、チコたちは頭を下げて講師役になってくれそうな人々にクラスをお願いしたり、名前だけでも学校の理事、教授、教師一覧に加わってもらった。現役を退いてなお、教育欲のある人々にも来てもらった。ベガスの熱意は分かるが、ベガスに関わるとバッシングを受ける時代だったので、現役教授は協力してくれない。それでも、一般公表しないならと学校設立のために名前を貸してくれるだけでも感謝の状態であった。
当時の批判は、ファクトたち大房が来る前より数段ひどかったのだ。
「第二の河漢造成」「ユラスのアジア侵略」。ユラス軍人の子女たちも多く来たため印象も悪かった。「ユラス大陸は人口に比べ土地が広いので、内戦を避けるところくらいあるだろう。アンタレスに来る必要はない」とも言われた。地位のある家系は子供たちも誘拐や暗殺対象になっていたのに。
それに、学校を作り始めたことは遊びとしか思われていなかった。そこまでする理由は何なのかと。説明するもサダルがいなくなってからは、崇高な理想を掲げるチコ・ミルクという一人のユラス指導者女性の夢物語にされた。
仕方なく実際の高校以上の教育役は、チコに付いて来たユラスのエリート兵士やVEGAスタッフ、移民の大卒者がしていたりした。
そして、学校内で『学校を作るには』『大学認可』を学び積み上げ、少しずつアンタレスに渡った各大陸各国の移民学生や有識者と共に、カーフたちは準備を整えていったのだ。
もちろんこの時点でカストルやエリスたちは教授陣に名を連ね、チコも講師になり、サダルもシャプレーに頼っていた。
なお、現在立場を取り戻しつつあるカストルだが、当時はベガスやユラスでの件で賛同者と反対者が大きく分かれ、ニュースでは宗教的失策者とされていたため正道教内でも混乱が起こっていた。東アジア側としては、なぜそこまでユラスに肩を入れるのかと言われ、その頃協力してくれたのはむしろ他宗教の者たちである。SR社はシリウス開発でベガスに関われる状態ではなかったので、彼らは間接的に医大と工学科の支援をした。
形だけでも学校を認可させ、その間に元医大のあった場所をリニューアル。アンタレスやユラスの為政者から全面協力が得られないので、地方や西アジアも回り、他大陸の人間にも声を掛けた。
そこに、蛍惑の経済人や寺子屋、宗教人も加わる。響の故郷だ。
蛍惑は一見、仏教や儒教地帯だが、聖典信仰が非常に強い。ただ、あくまで地方都市である。
強固とも最新とも言えない。
でも、チコたちは出来る限りの土台を作った。




