65 金色の涙
夕方の河漢。
今日ファクトは河漢事務所に直行せずに、トラックが数台入れるほどの広場に出た。今は人がいない。危険指定地域の中でも、ここはだいぶ移住が進んだ。
そんなところに似合わない、美しい黒髪をなびかせる女性。
淡いグレーのアオザイのような衣装も、底から吹く風に美しく風に流れる。
上にはカーキーのアーミージャケットを着ていた。
「どうしたの?ファクトが自分から呼ぶなんて珍しいね。…初めて?!」
瓦礫の上で楽しそうな表情をするのは久々のシリウス。
「まあね。元気だった?」
「…私の動向はサイトで見られるのに見ていないの?」
「そうなの?知らんかった。」
全然関心がなさそうだ。
シリウスはふくれっ面をする。
「………でもいいわ!緑野花子さんでなくて私を呼んでくれるなんて!」
「…………。」
正直、どちらもごめんである。
「どうしてテンションが低いの?」
「あのさ。仕事の時みたいにスマートなシリウスさんでいてよ。はしゃいだり怒ったりしないでさ。」
「……ファクトの前でしかはしゃげないもの。」
「え?別に会社ではしゃげばいいのに。」
花子さんの履歴に何か残したくなかったので、ファクトは『ゴールデンファンタスティック』のトークに連絡をしたのだ。ゲーム内で本日のイベントがある時間に、以前ラムダやリゲルたちと休憩をした河漢で会いたいと。
シリウスの動向は筒抜けかもしれないが、一応ゲームにも遊んだ、他意はないという履歴を残しておく。スペシャルイベントは時差に考慮して1日に数回ある。アクセス履歴から河漢でゲームしていたのはバレてしまうだろうが、どうせ調べられたら隠せない。
まずは二人でゲームに入って簡単なミッションをすることにした。
「ファーコック!お久しぶりね!」
バリバリ西洋中世ファンタジーに完全アーミー装備のファーコックが懐かしい。嬉しそうなシリウス。
「まさかファクトと直接ゲームができるなんて!」
「…久々過ぎて忘れた……。」
ヴァーゴの歳でもないのに、ゲームの操作感が思い出せない。多分2年くらいぶりだ。画面が少しリニューアルされていて、小学生の頃から慣れ親しんだ物と少しシステムが違う。
そして自分のマイキャラ。
不思議だ。あれほどゲームに執着していたのに、今は少し遠くに感じる。
ファーコックが履いているタクティカルブーツが懐かしい。まだカウスが代名詞「爽やかお兄さん」だった頃だ。このブーツを履く人を生で見られるとは感激であった。しかも本物の元軍人な感じで非常に興奮した。
そういえば………
あの時初めて知ったのだ。
ブロンドお姉さんが………この人が、自分の義姉だと。
あのチコの「??」な顔に、あの時は周りを見る余裕があまりなかったが、きっと護衛の方が驚いていただろう。
まだファクトもチコより背も低いかどうかくらいで。
カウスの話では、あの時からチコはおかしいらしい。冷静沈着、無駄な会話をしないユラスのチコ像が崩れた時だ。
思わず笑いがこみ上げる。まさか自分が蟹目高校を離れるとは思ってもいなかった。
進学するか就職するかでお先真っ暗。何も分からなくて、未来も自分では選べなくて、でもこれ以上意味なく勉強するのも苦しくてただもがいていた。
今はしたいことを選ぶという選択で迷うことがたくさんある。
「何が楽しいの?」
「……最初にチコに会った時のことを思い出して。なんか笑える。」
「…つまらない話……。……私とパーティーを組めるのがうれしいのかと思った!」
なぜチコに嫉妬するのか。慈愛のアンドロイドなのに、つまらないとか言葉が悪い。
「………でも……その日にシリウスにも出会ったし。」
「……そう?あの時?お披露目の時?」
「そう!今思えば思いでの日!」
今度は楽しそうにファクトが言うと、シリウスがワーと嬉しそうになる。
「ファクト。この装備あげる!イーストローア軍のフル装備!」
喜んだシリウスの『ゴールデンファンタスティック』大判振る舞いが始まった。
「おお!すごい!小火器装備!」
アーミーを取り入れすぎ、ユーザーから叱られた販売元。世界観を壊すアホなスタッフがいるとブーイングだったのに、ファクトはあの時ガッツポーズした。しかし中世ファンタジー世界を死守するために、アーミー装備は入手が困難な仕様に変わってしまったのである。ただ、叱られてもアーミーの一線はシステムに残す、ファクトにとっては英雄スタッフがいる。彼はまだ健在なのであろう。
「でしょ!こっちも見て!!」
アイテムストレイジがアーミー装備の博覧会状態である。
「おお!」
「すごいでしょ?倉庫課金しちゃった。」
高性能アンドロイドも課金をするのか。その頭脳でどうにかならなかったのか。
しかし断る。
「でもいらない。」
「えー!なんで??」
「自分で手に入れる。」
「………」
シリウスは物凄いショックな顔をしている。しかしここは譲れない。
それにストーカーシリウスから何か貰うなどもってのほかである。ゲーム上なのでそんな機能はないが、呪いとか盗聴とか仕込んでいそうだ。もちろん仕込まなくても街にある物でいくらでも監視できるだろうが。道徳&倫理観と法さえなければ。
「…喜ぶと思ったのに………。」
なぜかそれ以上話さなくなりしんみりしてしまう。その空気に耐えられなくなったファクトは1つだけもらうことにした。
「じゃあ、その羽貰う。」
乾燥帯地帯ミリタリーカラーの機械の羽で、レア度の星マークが10個も付いている。レベルを上げると段階的に迷彩を残したままオーラや炎のようになるレアものらしい。シリウスが一生懸命説明している。最近のこと分からないのでどれほど苦労したレア物か知らないが、シリウスなら得も損もしないだろうと貰っておく。
筋肉系軍人ファーコックが装備したら、ダサいの確定なので装備はしないがコレクションにはなるだろう。
それからシリウスにリードされながら二人でスペシャルイベントをこなし、クリアしていなかった簡単なステージに二人で行く。
はっきり言ってシリウスがあまりに強すぎてつまらな過ぎ、無課金初期状態まで装備を外してもらった。
そして、超コンピューターシリウスがプレイしたらどれほどすごいのかと、腰巻きだけでお願いして最新のダンジョンに行ってみたら普通に中ボスに倒れさてしまった。自分も巻き添えで死んでしまい理不尽すぎる。見た目はクラズよりごついのに。
「ふふふ。でも、デイリースペシャルはクリアしたね!」
「まあね。」
こちらは誰でもクリアできる難易度だ。数回戦うか町やフィールドを歩けばだいたい誰でもクリアできる。
デバイスを休めてシリウスは満足そうに一息つく。
「ふう。」
ファクトもペッドボトルの水を飲み、少し廃墟のような風景を見渡した。
「……それでファクト。」
突如シリウスは大人の顔になる。
「私を呼んだのは……なぜ?」
「………。」
河漢の荒涼とした風がこの広場に舞う。
ファクトは少し気持ちを整えた。
なかなかカストルには会えないしチコやサダル、両親も自分には何も教えてくれないであろう。誰かに聞いてもきっと周りに報告される。シリウスの状況はどこまでSR社に伝わるのだろうか。シリウスに聞いたところで報告は行くのかもしれないが。
それでもファクトは聞きたかった。
「シリウス………。」
シリウスはただ静かにファクトの言葉を待つ。
「シリウスの機能には、メカニックだけでなく人体の関与があるんだろ?」
「…………」
シリウスは話さない。
それは十年そこそこの話でなく…もっと昔から積まれてきたものだろう。
「………それでさ。『北斗』って誰?」
シリウスは少しだけその名前に反応した。
「これって星の事だと思ってたけど、もしかして誰かの名前?」
「…………。」
「それで、強化ニューロス化した中で、チコと……シャプレーだろ?至上の被験体は。
他にいる?全員知りたい。」
シリウスは少しだけ目を見開く。
チコよりもキラキラと輝く光彩を持つ目は、その奥底に果てしないないメカニックの虚無を映し出す。
どこを見ていいのか分からないファクトは、その隠された無機な瞳孔を見つめる。
吸い込まれそうなその先を。
「………シリウス。何か一つでいい。教えてほしい。」
「………『北斗』は………」
あのストレッチャーに眠る人?今朝見た夢の人とは違うのか。
「北斗は私。」
「『北斗』は私の前身だから。」
シリウスチップの前身だ。なんだか答えをはぐらかされた気がする。
でもそれは、コンピューターのディスコグラフィー的な話なのか、それとも他の話なのかは分からない。
シリウスの中枢にある人間部分はチコだけではないのか。
そして、それはシステム的な意味で?生体のモデル部分?
パソコン的な話?ネットワーク?霊性?
「………。」
初めてファクトがシリウスの前で気弱な顔をした。何か得られそうで、何も得られない。そんなもどかしさと行き詰まり感。
「…ファクト………」
シリウスは優しくファクトを慰めようとする。
「シリウス、言えるのはそれだけ?」
「……。」
困ってはにかんだように笑うだけだ。
だったら聞くしかない。こちらから。
「シリウスは誰?」
「!」
二人の間に緊張が走る。
「独立したシステム?意志?それとも誰かがいるの?
なんで深層心理世界にシリウスがいるの?
それはニューロスアンドロイドとしてのシリウス自身の意志?
シリウスは一個体?
集合体?
ただの情報?
それとも誰かが見ているシリウスの残像?」
「…………」
「シリウスは知ってる?ストレッチャーで横になっているユラス人っぽい人。彼女も被験体?
ユラスのルバを全身に被った人を知ってる?
すごく痩せてて骨みたいで、乾燥しているのかジメジメしているのかも分からない鉄筋のコンクリートの部屋にいる……。
でも、顔を見ようとしても宇宙しか見えない。」
「ファクト?私は私だよ。」
ファクトは不安そうにシリウスを眺める。
「私は私という一個体。」
「………。」
「情報という意味では集合体でもあるけれど、でもそれを総括する中枢は、
『私』
シリウスなの。」
シリウスははっきりと発言をしているのに、
あらゆることがぼけて、ファクトは焦点が見えなくなる。
人は意志を持つ個体を生み出せたのか。
それともそれはただの情報の処理機能なのか。
こんなに人間のように話し、こんなに人の理想を体現する人間の創造物なのに………その中枢が見えない。
あまりにも不安そうなファクトを見かねてシリウスが言った。
「私に対する答えは先言ったことだけど……。一つだけ教えてあげる。」
ファクトはゆっくりシリウスと向かい合う。
「シェダルを除いて、格段の能力を持った被験体は五人。」
「!」
五人?そんなにいたのかという思いと、それだけしか生めなかったのかという思い。
アジア科学歴史百年から百五十年ほどの中で、それは多いのか少ないのか。そして、ユラスにはオミクロン軍中心に複数人強化ニューロス被験者や装備者がいるが、それが数に入らないほどの高機能ということか。
昔の話を思い出す。強化ニューロスには精神が不安定な者は選ばれない。莫大な経費が掛かるということもあるが、暴走する人間を無尽蔵に産み出すわけにはいかない。
あらゆることに耐えられるバランスのある人間が選ばれるのだ。ただ、その過程の被験がどうなのかはまた別の話だ。「バランスが良かった」という結果論なのかは分からないが、精査はされる。
シリウスは静かに話しだす。
「生きている者も、死んでしまった者もいる。」
「…………。」
被験上で?寿命で?任務で?
「ただ………三人は確実に生きている。」
三人?
一人はチコで…一人はおそらくシャプレー。他にも?『北斗』はまた違うのか。
「見付けてほしいの………。」
「………?」
「誰もそこに触れようとしないから………。」
少し暮れていく河漢の夕日がシリウスの顔を照らす。
優しい黒と茶色の瞳に反射する夕日。
そこには金色の涙が伝っている気がした。




