55 10月4日の聖人
アーツの講義も外部講師を招く時は、藤湾学生や試用期間が済んだ者たちも自由に聞きに来てよい。今回は元極左だった先生が他にも裏話をたくさんしてくれる。同じような授業も回ごとでいろんな話が入ったり、先生によって多少話が違うので、けっこうみんな来るのだ。
「左の最終目的は、神と信教の喪失。
性倫理の崩壊。
家庭の崩壊。
個人の崩壊だ。
君たちの周りもそういうのに心当たりがある文化が多いだろう。自分でも見極めていくんだ。自身の家庭自体が既に崩壊していても、それが世界の全ててはないと知れたらいいな。」
「………。」
「わたしは親と学校の教師がひどかったから、それで荒れてね。もともと冷めた性格だったし。結婚もしたいと思わなかったし。周りの友人もまあ、ここで言うには…」
女性や素直そうな感じの子も多いので先生は全部は言わない。
「……まあなんというか奔放でね。かなり好き勝手したな………。少なくとも、アーツ合格の基準には選ばれない。霊視されたら書類段階で落ちるかも。というか………落ちるな。」
そこから新教になって、………最後に正道教に来るものは多い。正道教の教理には結婚がある。
「先生はどうやって結婚しようと思ったんですか?」
今回の先生は既婚者だ。何を言おうか上を向いて考えている。
「………」
これはエリスみたいに、惚れちゃった系か?と思うウヌク。でも違った。
「神を見たんだ。何でもない場所で……。」
「…………」
「私は西国家の出身でね。まだそこにいた頃……今思えばしょうもない…、本当にしょうもないことをした夜明けにもう死にたいと思って。いつも消えたいと思っていたんだけど、そんな生活にも先を感じなくなって………このまま死んでもいいかと思って……
隣りで裸でダレ込んでいる奴らも無視して頭に銃を構えた時………」
いやいや、何してたんだと思う聴衆。
「遊んでいた奴の家にあった、その家の亡くなったオカンが飾っていた聖人のイコンが突然床に落ちたんだ…。」
イコンは聖典やその聖人やその出来事の絵だ。
「………。」
「最初は友達たちが掛けたポスターや音楽のジャケットだと思ったんだけど、よく見ると10月4日の聖人のイコンだろ?よく知らないけど裏にそう書いてあったんだ。何かのジャケットのデザインでもない小さなイコンだった。
で、頭に来てさ。」
頭にくるのか。
「あの当時、神なんてきれいごとだと思っていたし、自分に好き勝手をした親や教師ものうのうと生活しているし、むしろ無力の象徴で………。ムカつくだろ?
でも、壁に掛かっていた物で触ってもないのに落ちるから気になって。壁と裏を見ても落ちるような仕組みでもない。それでホラーかよって、気持ち悪くなって一旦服を着て外に出たんだ。しかも、聖人に愚行を見られていたんだって感じで急に情けなくなってきて、気分を変えようって。」
「………。」
「死ななかったんですか?」
「……死ぬ流れを忘れてた…。」
「……。」
「それからよく朝食をとるアナログジャケットが置いてある喫茶店に行ってモーニングをしていたら…
あるジャケットが目に留まったんだ。少しレトロで、センスがいいから置いてあったんだろうな。」
みんな黙って聞いている。
「前時代の10月4日の聖人の映画だった。」
「………。」
「それで、それがビデオって言う150年以上前の昔のドライブで見る物で、でもそのデータがとってあったから、ジャケットもいいし店長に頼んで見せてもらったんだ。ちょっと映像もぶれてて昔な感じで……。
初めは映画の意味が分からなかったけれど、衣装や映像のセンスに引かれて………
歌に引かれて………
なんか来たんだな……。
何かが………。」
先生がキラキラした目で何か遠くを、昔を見ている。
「それからその喫茶店で何度か見せてもらって、その時の人間関係を全部切って、旧教の教会に通って一通り聖典を読んで奉仕をさせてもらったんだ。学び足りなくて新教にも通って、その後に一旦この地を離れたくてそれでアジアに来たんだ。イコンの飾ってあった友達には去る理由は話してね。一応きっかけになったから。
東方に西諸国とは違う聖典世界があるって聞いて、聖典の言う続きが見たかったんだ。」
「トゥービー・コンテニューっすね!」
先生とノリが通じそうで、乗って来るファクト。
「おい、余計なこと言うな…。」
妄想CDチームが『トゥービー・コンテニュー』大好きファクトを止める。
「ははは!」
先生は笑う。
***
休憩を挟んでまだまだ講義は続く。
先生は休憩時間に奥さんの話をするので、ほとんどのメンバーがそのまま聞いていた。
奉仕をしていた教会で讃美歌チームの奥さんと出会い、お互い未婚だから結婚しちゃえというノリの牧師がいて結婚してしまったらしい。
写真を見せてもらったら、ものすごく地味な感じの人でビックリしてしまった。先生は、過去遊んでそうだな……という、むしろ大房ナンパ民の先頭に立っていそうな感じなのに、奥様は非常に地味で…地味であった。歌など歌いそうにない。
「先生……気が合うんですか?」
思わず言ってしまう皆さん。
「まあね。気が合わないこともあるけれどそれなりに。息子は私に似て生意気だが、娘はかわいい。」
娘さんの顔立ちは少し西洋人が入っているが、全体的にお母さんの系統。でもほっそりして今時で雰囲気は奥さんとは全然違った。
「あ、妻とは趣味も会話も全然合わない。唯一合うのは焼きうどんは醤油派だということだ。食事の趣味はやや合う。」
「………そうですか…。」
やはり合わないのか。この夫婦の日常を見てみたいと思う一同であった。
「で、結局人の傾向はどうして分かれるんですか?」
「いろいろ論点の角度はあるが…その一つとしてだけどな。その人の持つ性質や人生経路や傾向は、大体がその先代や家族、地域によって決まっていく。ある程度は先天的影響だ。」
「先生。なら、生まれ持った場所や性質でここまで違うならどうすればいいんですか?運じゃないですか。」
ナンパ男が質問する。そして隣りの仲間がちょっと有名人のこいつを指した。
「こいつチートじゃん。」
「?」
ポケッとしているがファクトのことである。親がチート過ぎる。
「こいつスゲー、ムカつくよな。」
「え?兄さん。その代わり下手したらプライベートないよ。」
有名人の子供もはっきり言って辛いのだ。ファクトは全然辛そうではないが。
「だからその人その人に、その立場ごとに与えられた苦楽もあり、世の中への責任がある。持っている人間が富や力を囲い込むと、またどこかでその反発勢力が生まれる。持っている人間には持っている者の地域や時代への責任があるんだ。」
「毒親や犯罪者の家系からはマイナス要素しかないんですか?」
「………マイナスは負う。
先代まで辿らなくても分かるだろ。例えば自分やその家族が何かの被害にあったのに、加害者家族が自分のことではないと楽しそうに暮らしていたらどう思う?どこかで思い知らせてやりたいと思うだろ。
そういう心は10年100年じゃない。数百年、数千年残るんだ。個人レベルの話もあれば、国レベルの話もある。それが今に続いている。
でも、それは聖典にも書いてある。
「『誰かをさばいてはいけない。罪に定めてはいけない』とあるだろ。」
この場合は現行の処罰されるべき犯罪などに対することではない。その時点でしたことには法的にも責任を持たなければならない。」
「……。」
「…けれど、それは家系に関しての全ての世界を表してはいない。
自分が得たものも負っているものも、正直一目では分からないんだ。
考えてみろ。直近でない数代前の先祖を追えば、大体誰もが賢人の子孫であり犯罪者の子孫だ。その影響を誰がどの程度受けているのかは分からない。」
「………。」
有名高校や大学出身者は真剣に聞いている。
学校でもすでに勉強してそうなのに、やたら真剣に聞いている第4弾の頭良さ気チームに恐れおののいてしまう妄想チーム。なぜこいつらは勉強してさらに同じことを真面目に聞こうと思うのだ。大房民はすぐ忘れるし、座学は楽だからである。寝ても起きていても大人しく座っていればいい。学校と違って座学はテストもない。彼らは復習であり、以前と違う気付きを得るためだ。動機さえ違う。恐ろしい奴らである。
「そして、影響を受ける先祖には段階の法則がある。長男には長男ゆえの。この系図のこの人には、この祖先の影響など…。
けれど、命って複雑でな。」
先生はため息をついた。




