53 怒り以外の道はあるのか
物凄く憂鬱な日々を過ごした後。
タウは謹慎明け前に河漢一角の公民会館で、あの男性とコミュニティーの人々の前に事務局長のゼオナス、イオニアと共に頭を下げた。公開形式ではないしニュースで顔は出されないが、いくつかのメディアが来ている。
タウは一部で有名人なので、シルエットやAIでタウと分かった者たちの中でも話は広まっていた。
昨夜、今回の件で絶対に言い訳、相手に謝罪を問うようなことはしないようにと、エリスから釘をさされた。
相手に重傷がなかっただけ感謝だと。鍛えていない相手や高齢だと、力をセーブしてもけっこうコロッとイキやすいそうだ。本当に後遺症が残ったり。
『そんなこと言ったら、俺らはどれだけ河漢に言えることがあるんすか?何も言えないじゃないですか?』
そう食い下がるタウ。
タウもケガをし、アーツが河漢で被った怪我は骨折や打撲、切り傷などこれまで数えきれないほどある。でも河漢側に責任を取らせたことはほぼない。
『何度も言った。今は今。今、この一件処理をするんだ。他人ではなく自分のしたことに一先ず責任を取るんだ。』
『…………。』
タウから怒りの思いがフツフツと沸く。
暫くそれを見つめるエリス。
『……そこまで納得がいかないならいい。あの本人には謝罪はしているのだから、明日は私が変わる。』
『…?!』
エリスには現在アーツの活動的な役職はない。それに、エリスがケンカを仕掛けたわけではないのでエリスにそんなことはさせられない。
『ダメです!』
『けれど、わだかまりが大きいまましない方がいい。もっと溜め込むぞ。どのみち私も責任者で前に出る。』
エリスも既に謝罪をしている。
『これからずっとこんな状況が続くかもしれないんだ。感情の矛先を変えて、違う解決方法を見付ける冷静さが必要だ。』
『………出ます。俺がします…。』
昨日はそんな感じだった。それを心にとめてタウが謝る。
「河漢住民の皆様に不快な思いと不信感をお与えしたこと、申し訳ありません。」
タウはそのまま頭を下げる。
「まあいいよ。怪我は治ったし…。」
「………。」
おじさんの意外な言葉に顔を少しだけ上げる。
「……それで、君たちはなんなの?何の権限があって人を選別してるの?」
「?」
「それが人として正しいことなの?」
怪我をした男はやはり大人しく聞くだけの男ではなかった。
おじさん以外の女性たちも発言をする。
「ベガスは人を選び、コントロールする陰謀の本拠地です。あそこは本来アンタレス。アンタレス市民や東アジアの税金で管理していた土地です。誰にでも開放するべきです。」
「我々がベガスに住めない理由は何なのですか?あんなにもある建物を放置して外国人ばかりを住まわせ、どうするおつもりですか?」
「……?」
河漢にも彼らの税収以上の物凄い税金を投入しているのだが、彼らはよく分かっていない。
そして、ベガスには東アジアはもちろん企業や大型組織、地方行政も出資、管理しているのでアンタレス市民の税金だけではない。もちろん移民をたくさん出した西アジアからもお金は出ている。そもそもその納税側の市民ですら好きに引っ越せないのだ。
なのに説明会をし、移動の意思を示した人々には河漢からも数陣に渡って住民権を解放している。
そう、基準をクリアにし、身分と所在、勤勉及び労働義務をはっきりさせるなら移住は許されている。障害者や理由のある者には家族移住、介助アリでも独り暮らしが可能などでそれなりに対応がされる。他の地域よりも障害者や老後ケアの施設も多いのだ。
けれど、動員時に彼らは動かなかった。「当時では理解できなかった。これから開放すべきだ」という意見だが、現在は河漢周りにも新地域ができているし、もし開放するにしても待ちもいるので彼らは後回しになる。それも説明している。
この意見に対し、河漢行政が動かないので東アジアが動いた。
「その件は、これとは別でお願いします。」
「我々が『低能』だから移住権が与えられないと?」
「っ?」
タウが立ち上がろうとするが、イオニアが抑える。
「優秀な人間だけを集めて、さぞかし優秀な街をつくるんでしょうな。ものすごい兵力を集めて税金もいくら使っているのだか。」
東アジア担当が話し出す。
「ベガスは戦争移民などもいます。女性子供、老人の人口割合が多く管理が非常に難しいです。様々なケア施設、更生施設もありスタッフも足りていない状態です。河漢にも人を投入しているので学校も急に増やすことはできませんし、その必要もありません。河漢にも街を再建していきます。
公共的バランスからも全部ベガスに移ることはできませんし、治安のためなどしばらくは犯罪や問題が起こりにくいシステムを作っていく必要があります。それに、ベガスは今、これまでの出資を上回る勢いで発展しています。」
「我々が問題や犯罪を犯す人間だと言いたいのか?」
「私どもが発展のじゃまになると?」
「そうではなく…」
「何がそうではないと?」
「それに、彼らアーツやVEGAには東アジアの事業を委託しているのであって、本来ベガスと河漢は別事業で…」
「じゃあ、あんたたちが責任を取ってくれるのか?」
「VEGAも大元はユラスの組織だろ?!」
「………。」
話しの根本がいつもずらされていく。
「あの…っ」
そこでタウが立ち上がってしまう。ああ、余計なことは言うな……と思うゼオナス。今回は謝罪だけで済ませたい。
「ただ一つだけ頭を下げてお願いがあります。
河漢も共同住宅ですが家が増えています。艾葉周辺は地盤の緩い危険地域です。初段階に申請して下さった親子連れもまだ河漢の仮設にいる方たちもいます。
艾葉から離れるのが第一目的であって、不自由があれど移動の受け入れとしばらくの我慢はよろしくお願いいたします。」
タウはそれだけ言って再度頭を下げた。
周りが一瞬静まる。
「………」
「おい!我慢ってなんなんだ?」
男がまだ何か言おうとしたが、数人の女性に止められていた。
河漢で死傷者が出てエリスたちが会見した時のような大きなニュースにはならなかったが、今回のことはテレビよりネットである程度広がった。
***
家に帰ってから、力なく床の大きなクッションソファーにもたれかかっているタウ。
たくさんの人に無言で背中や肩を叩かれて会場を出たのは覚えている。
謝罪が終わっても、爆発するような怒りもなく、でも全部終わったのにモヤモヤする。
納得のいかなさはなかった。少なくとも今は。ただ、モヤモヤするのだ。何に対してか、もう分からなくてってしまうほどに。
自分の理論や見解は一旦無しにして、直ぐに怒る癖はよくないと再三いろんな人に言われていたのに、怒りをぶつけてしまった。迷惑を掛けたことは事実なので謝るしかないと思った。
抜けきったような……、ただモヤモヤするような……でも湧き上がるものもない思い。
これで世間がどう捉えようが、河漢の彼らがどう反応しようが、タウには今できることは全てだ。1か月ほどそこの担当も外されることになった。
「………タウ?」
子供を寝かしたイータが床に腰を下ろした。
「話は聞きいたよ。よくやったね。」
「………」
「大丈夫だよ。」
タウは何も話さない。
「……。」
そんなタウの髪をそっと耳に掛け、髪をサワサワ触る。
しばらく続く沈黙。
そしてボソッとタウが話し出した。
「この2年……。必死だったんだ。会社員の営業だった時よりたいへんだった…。」
「…うん。」
「怒りが湧いたのは今回だけじゃなかったんだ…。」
「…うん。そうだね。」
「…何度も、何度も…。何十回も…。1年が365日で出勤が250日くらいとして…そうしたら数百回は怒りを押し込んでたかも………」
「…うん。すごいね。」
頭で計算できるだろうに、指で数えている。
タウがそんな自分の指をギュッとまとめて……顔の近くまで持って行った。
「……俺の言うことは正しかったのに…。」
「…うん。」
「でも………エリスさんの方が………俺にとって正しかった…。」
他の人たちではない。自分にとっての分岐として……。多分このまま仕事を続けてもタウはもっと怒っていただろう。
自分の正論がいつも必要とは限らない。あのままエリスに不条理だと歯向かうことだってできた。実際彼らは仕事を増やしているし、ベガス住民としてはベガスに入植してほしくない者たちだ。はっきり言ってやりたい。
でも、チコやエリスがベガスをまとめてきたように………自分も少しくらい力になりたかった。
カストルやチコ、エリスは、そういうものをこれまでずっと、ずっと、自分の中に飲み込んでここまで来たのだ。
全部に対立していたら、まだベガスはここまでの規模にはならなかっただろう。
ユラスを批判しているが、ユラスが入らなかったら河漢やベガス構築の地には左が入っていたかもしれなかった。前時代までに何十億人もの命を奪ったその恐ろしさを、今の世間はあまり知らない。
だから世間は、カストルやユラスが入り微妙でも均衡が保たれていることを「そこはよかった。評価するがそれはそれだ」くらいにしか考えていない。
世間は何でもよく見ているようで、切り取られた世界で賛同も批判もする。マスコミごとに幾つかの切り口があっても、所詮怒った姿の方が印象に残る。
みんなではないが、世界の真実など見ていない。怒りが早い人は特にそうだ。自分もここに来なかったら多分そういう一員だっただろう。
世界を見通すことができないように、何百年も世界をそう作り上げてきたのだ。そういう世界構造と、そういう思考の人間性を。
怒りに行きつくまでに、たくさんのたくさんの過程があり、たくさんの妥協もあり、忍耐もあり、そしてその横に積んで来た功績だってあるのに、
誰かが映した眼鏡で、ベガスを判断するのだ。
ベガス構築だって、全てが最善ではない。そんなことは知っている。間違っていることだってあるだろう。たくさんの妥協の上でこの形になったのだ。本来なら、大房に何ができる規模の話ではない。自分たちでは技術、力不足だということも知っている。
それに、人を蔑む言葉が出たのも他人のせいではない。自分の口だ。
「………」
その会見の詳細を知らないイータは静かに眺める。タウに今度何を話したのか教えてもらおうと思った。
「…?」
よく見るとタウが泣いている。
タウが泣くところをイータは初めて見た。
「………タウ?」
「うぅ…。」
「…………。」
きっとすごく悔しくて、言葉にできないことが溜まっていた。
そして、初めてのことだったのだろう。自分の責任だけではないし、みんな口悪いことを言っている。なのに自分が矢面に立たされ、人前で謝って………悔しくて、無力だったに違いない。
でも、自分はアーツの責任者だ。大房で許されても、パブリックな場では許されないこともある。
今だって、今回の結果がどうこの先に繋がるのか。
謝ったところで反発が収まることもないだろうし、ネットにエサも与えてしまった。きっとそんな明日への不安もある。アーツという看板も抱え、自分だけのことではないのだ。今は家族だっている。
まだ全部は納得できない思いも正直ある。全部スッキリできないことも苦しい。
でも、タウ自身も今までと違う精神性を持っていかないといけないと感じる。
この先に行くには。
「大丈夫。私はずっと、タウと一緒だよ……」
イータはタウと向き合う形になる。そうして、タウの顔から手を少しよけ、頬に流れる涙を指でそっと拭い、そこに触れるようなキスをした。
いつもはタウがイータの手や体を抱きしめてくれるけれど、その日はイータがタウの手をそっと握り、
そして優しく抱いていた。




