47 青と、白の
「麒麟!!」
そう言ってオートドアを開けたところで目に入ったのは、アンドロイドのナンシーズに体を預けた響と、その後ろで見守る同じくアンドロイドのシャールル、他この施設の職員2人だった。
「………。」
ぐったり体を預けて眠っている響。
安心してふと力が抜けて、その場に膝から座り込む。
「よかった…。」
しばらくして上を向くと、ナンシーズは響が安定するように抱き変えていた。
「でも……なんで……」
そう思ってしばらく見なかった響を見る。眠った顔は初めて見た気がする。少し髪が伸びたようで、懐かしいような、思い出せないような。そして、血が流れていた首元はハイネックで見えなかった。
ナンシーズは何も言わないが、そのその様子をじっと見ている。
シェダルはそっと、右手を出した。
知っている。
響には触れてはいけないと。
触れたら、自分が何を思うかは分からない。
あの時のように鼓動が、心拍音が激しく止まらなくなったら、何かの感情が………何かがあったらどうするのか。
そう思って、自分と響の間ほどで手を止めた時だった。
意図した訳ではない。
バチバチバチバチバチバチバチバチッ…!!!!
と、一瞬のように、永遠のように様々な世界が流れていく。
クスリをした時のような変な模様や歪んだ世界ではない。
シェダル自身のサイコス。
シャールルがサッとシェダルの身を支えに駆け付ける。完全に意識層に入ってしまうと、シェダルもこちらに意識を残しておけない。
そしてパン!と弾けた世界の先に……
青い麒麟が舞った。
***
「シリウス。あまり意図的にファクトの方に行かない方がいい。」
久々に本社に戻って来たシャプレーが、シリウスに念を押した。
基本シリウスは、義務を果たした上での自由行動を保証されている。完全な自由は1時間。
なぜならそうでなければ、初めての自立した人間の創作物『完成されたアンドロイド』というコンセプトを離れてしまう。聖典の本質性を基にした思考性、傾向性以外には、SR社も意図的な根本的な関与はしない。
最初の性格付け以外は今までほぼ軌道修正はしていないのだ。
「……でも彼は面白いわ。」
「心星博士のたちの様な才能もないし、全体的には平均的なただの学生だ。」
「知識や科学は既に在る物だもの。それを探し当てはめているだけ。いつかは誰かが見付けだすものでしょ?でも、彼らは何を言って何を始めるか分からなくて楽しいの。
とっても優しいし。」
「………。」
シリウスには世界中の残虐な事情もあますところなく情報が入っている。それに比べたらアンタレスの一般人学生は優しいに違いない。彼らには大金や権威を得たい様な損得勘定もない。そもそもチコたちがそういうメンバーを選んできている。自然に集まったのか、惹かれてきたのか。
「完全でなくて、ズレがあって、バレバレな言い訳もするし!」
かといって、心が清いわけではないらしい。
「だが、距離はいる。」
「取っています…。」
少し不満そうにシリウスは答える。
その時………
少しバチバチと弾け……
バチン!
と突然何かが来る。
「っ?」
シャプレーは小さなそれに気が付いた。
知っている感覚。
響史のサイコス?少し違う気がする。
力が戻ったことやシェダルにビルドを教えるというのは聞いていたが、もしかして今?と思う。必ずしも報告はいらないが、大きなことをする時はなるべく把握している範囲で動いてほしい。シェダルのニューロス部分と霊性が連動しているし、SR社にとっても特殊な被験体だ。
DPサイコスと強化ニューロス化、二つの才能を持っていておそらくある程度の霊性力もある。
「スピカ。東アジアに連絡してくれ。響史の所に行こう。」
「かしこまりました。」
***
シェダルは目の前に舞う、青い麒麟に釘付けになる。
またあの五色が世界に唐文様を描いていく。
それは砂浜をサーと海水に染める波のように、真っ白い世界をどんどん模様という海で埋め尽くす。
青い模様の海に金の雲模様が現われ、海か空か分からなくなる。
その模様は生きているように緑青に世界を染め、そして麒麟が舞うとまた新しく世界を彩るように赤や黄に変わっていった。
その移り変わりに悪酔いすることもなく。
シェダルには形がない。
「麒麟…?」
あちこちに舞いどこにいるのか知ることができない。
「………麒麟?……響!!」
不安になってそう言うと、麒麟はシェダルに気が付き同じ高さに降りて来る。
そして二人の間に浅い水面を作ってゆっくり歩いてきた。
シェダルがその水に触れると、
ピリーンと水に波紋が広がり、水の下に敷き詰めてあった糸魚川翡翠が、透明で水色の美しいアパタイトに変わる。
麒麟が向こう側から歩き出すと、今度は広がる波紋から明るく青味のあるエメラルド色のクリソプレーズに変化した。
シェダルは怯え、自分からはもう動かない。
麒麟が波紋を作ると、朱色やオレンジの同心円模様が織りなす瑪瑙に変わる。
さらに一歩踏み出すと、青い木星のように輝く星カイヤナイトが広がった。向こう側を映さない青いカイヤナイトは、所々に宝石の透明さも反射させる。
また歩くと、濃い白と優しさと生命力にあふれる鮮やかな空色のラリマー。
岩石も混ざった、透明な岩のようなローズクォーツ。
紫の宙に白い銀河が光るチャロアイト。
黄色なのか朱色の入ったアラゴナイト。
透明の世界にひびが入ったクラッククリスタル………
シェルローズ社の写真集で見たので存在は知っている。
「…………っ」
麒麟が近付いて来るたびにどうしたらいいか分からないシェダルは、いた堪れなくなり小さな白いサラマンダーになった。
でも麒麟はシェダルの一番近くまで来ると、いつの間にか狼のような犬のような、白に青模様の陶磁器の青花を描いた生き物に変わった。
「麒麟なのか?」と、聞きたかったがサラマンダーは話せないのでただ逃げる。
青花がそのサラマンダーのしっぽを白い足で抑えると、尻尾を切って水の中に逃げた。
白と青の狼はキョトンとした顔をする。
そして無情にも青花は逃げるサラマンダーの後ろ脚を抑える。すると、今度は後ろ脚が切れてしまった。
「…………」
そんなつもりはなかったのか、青花は「あれ?」と顔をかしげている。今度は何もせずにサラマンダーを見つめ、その浅い泉をどんどん小さくし、30センチほどの球体にしてしまった。
シェダルはもう逃げられない。
『太郎君。』
青花は犬なのにサラマンダーに語り掛ける。
『知ってる?サラマンダーは再生するんだよ。
足を意識して。尻尾も足も再生するから。
白いきれいなサラマンダーの完成体になりましょう。』
「麒麟。なんで、犬になったんだ?」
シェダルは自分がサラマンダーなのかを知らない。そう思っていつの間にか話しをしている。
『麒麟、麒麟ってそれしか言わないんだもの。』
「じゃあ、響って呼ぶのか?」
『………。』
気があるなら距離感のない呼び方はやめてほしい。
『………かつて東の………東の東の国には美しい狼がいたんだって。』
「お前は北西アジアだろ。」
『内陸だけでなくアジアは北にルートを作ったの。北は寒さが厳しくて、普通の人には越えられなかったから。それで北を通って新しい仏教を得て、東から戻って来た僧たちが蛍惑を作ったから。
東から戻ってくる時、最初が狼で……それから虎で……それから二色の竜がいた。
東は青くて…………
青く光るの。』
「………。」
『ねえ、シェダル。
あなたにはもう位置がある。少し自分を見失っても帰って来れる場所が。
あなたを思い出す人が。
あなたの名を知る人が。』
「…………」
『だから大丈夫。ビルドを描けるよ。シェダルなら。』
ビルドは精神世界で描く、自分自身だ。
シェダルは白い自分が嫌いだ。
好きな自分などないけれど、なぜかビルドを描こうとすると、白くなってしまう。
本当は黒い麒麟になりたかったのにと思う。黒いサラマンダーになりたかったのだ。
白い動物は狙われてすぐ死んでしまう。死んでもいいと思っていたけれど、もう少し世界を眺めてみたい。
『白くて大丈夫。雪の中では白の方が目立たないこともあるんだよ。
それに、あなたを知って、守ってくれる人たちがいるから。』
「…………。」
シェダルが辺りを見回すと球形になった水の向こう側に、たくさんの狼が走っているのが見えた。
どこかの国には昔、黒や銀の、青い狼がいたらしい。
彼らはこの時代に、その場所にはもういなくなってしまったけれど……かつて生きていた人々の魂の中にずっといる。そして山を走り抜ける。
いつしかそれは大きな犬になり………手ぬぐいを被った上に菅笠付け、蓑を被った人と雪の山道を歩いている。
もう鮮やかな唐模様はない。
全てが蓑色と茶色。そして一面の雪の白。けれど深い森。
彼らは何のためにそんな冷たい雪山を歩くのか。
ただ生きるために、家族を養うために山道を歩くのだ。
これもシェダルの知らない風景だった。
でも、狼たちは知っている。何千年も、野山を走って来たのだから。
『シェダル。大丈夫だから。あなたにはもう足があり、足場がある。
描いて、自分を。』




