36 ファクト、河漢入りする
朝、まだ人もいない道場でスッキリした横顔が光る。
日が昇り切っていない斜めの影。
黙々と素振りをする姿。はねる汗。
形もしなやかで筋肉も美しい。
それからパンチとキックの練習に切り替える。
「…………。」
朝練をしに来たメンバーがその人物に気が付いて眺める。
「ファクト………素人目でもきれいな蹴りだよね。」
友、ラムダが感心して見惚れている。
「初めの頃はまだナヨナヨしてたのにな。」
ジリも思う。
「ファクト、カッコよくなったよ!」
超陰キャのセオもなんだか感動する。オタク仲間からイケメンが生まれた………。
「…そうか?」
しかし、その爽やかな空気を打ち破るように、サポーターを付けながらタラゼドが言ってしまう。
「あいつが余計な練習をする時は、余計なことをしでかした時だな。いらん力が入っている。」
「…………。」
みんなタラゼドを見て言葉を失う。そうなんか…………。
「ファクトー!!」
そこにやってくるチコ…とカウス。
「あ!チコ先生!おはようございます!」
キビキビ答えるファクト。みんなも、挨拶や礼をする。
「朝から精が出るな。」
「いえ。チコ先生には及びません。」
それをタラゼドが眺めていた。
「あいつが余計な敬称を加える時も、何かごまかしている時だ。」
「………!」
タラゼドの付け足しに、驚愕する一同。しかし、タラゼド的には普段チコ呼びなのに何が先生なのかと思う。ジリはなんとなくしっくり来たが、その他のオタクメンバーはまだ飲み込めていない。
すごく良い笑顔で受け答えしているのに。
信じられないセオは、仲間を下げるタラゼドに不信感しかない。
「…………」
が、海賊王な風貌の男に、怖くてそんな事は言えない。ヤバい方の海賊王だ。決して善人には見えない。
「それでファクト、何をしているんだ?」
チコが聞く。
「素振り千本です。でもそればかりではと、キックとパンチに切り替えました。日々反省しています。」
「そうか。」
チコが満足そうだ。
タラゼドは、何が反省だと思うが言葉にはしない。本当は何かやらかして千本素振りで反省する振りを見せて、でも他のことがしたくなって違うことに切り替えたのだろう。
「……って何が素振り千本だ!!」
案の定、バシっとチコに叩かれる。
「あてっ!!」
「勝手に前もって反省するな!!」
胸倉をつかまれて振られている。
「うおっ!お姉様!おやめください!」
「そんなもの反省にならん!!何しにユラスに行ったんだ!!ワズンとどこに行っていたんだ?」
一応、オミクロン国家アルマーズに行っていたことは知っている。
カストルとファクトは入れ違い。しかもカストルは別大陸に行ってしまった。
「いつまでも結婚できないワズンさんを慰めに行きました!」
「……は?」
「結構いい線いっているのにいつまでも独身だから、励ましに………」
バシっ!
と、もう一発叩かれる。
「うぐっ。」
「余計なことするな……。」
「でも、俺が乙女だったらあの運転に惚れています!なのでその良さを生かしてもらおうと……。こう……、ブレーキ感がなく…」
ジェスチャーで説明するほどなので、よっぽど気にいったらしい。
ファクトはいつか運転を習いたいが、レオニスの方が上手いと言われたので誰に習うか迷っている。レオニスはでデジタルタイヤ機能のない昔のマニュアル車で、横滑り駐車ができるらしい。そういう人たちは、己の神経が車にまで通っているのか。なぜ幅が分かるのか。ヘアピンカーブだらけの山道を何食わぬ顔でレース並みのスピードで降りた時は、チコでも降ろしてほしいと思ったらしい。運転手より同乗者が瀕死である。
そこまでしたくはないが、それは気になる。
「お前が女だったら、運転などに惚れんだろう。安全運転で十分だ。運転に惚れる女とか危なすぎる。」
チコでもそのくらいの常識はあったようだ。
「ええ?ワズンさん、あの人と違って超安全運転なのに!」
あの人なカウスは身動きすることもなく黙って聞いている。自分のことと思っていないらしい。
「とにかくファクト。お前は週末から河漢に入れ。」
「えっ?河漢??まだ学生なんだけど?危ないのに。」
「現場はいい。ナライに付け。」
ナライは第3弾のメンバーで格闘技経験者である。
オタク男子たちはやっと理解した。
「タラゼドの言うとおりだった………。」
「何でファクトがまた怒られてるって分かったの?」
不思議で仕方がない一部メンバーだが、いつもの事だから分かるだけである。
「タラゼド。お前も仕事減らして河漢に少し入れ。」
「………え?忙しいんすけど。」
思わず顔を上げる。
「大丈夫だ。リグァンに言っておいた。」
リグァンはタラゼドの勤める会社だ。
「チコさん、脅したんですか?」
「………人聞きの悪いことを言うな…。ちゃんと話し合った。休日出勤と週末の残業は無しにしてもらった。」
「…………」
周囲にいる者は、チコさんすごい脅したんかな…とそれこそ戦慄して聞いている。
「……。」
「なんだ?その顔は。お前が河漢に入らなかったら、そのあり余った筋肉何に使うんだ?」
「うちはメカニックが入れないところは人が入るから、けっこう力や技術がいるんだけど……」
タラゼドは大型免許もあるし、重機も一通り扱える。
「そんなもの、他の人間でもできるだろ?土曜日は河漢事務所に来い。分かったな。」
「……タラゼドの休日は?過剰労働じゃ……。」
そう言うファクトの胸倉をもう一度掴む。
「……第1弾。無条件参加だ。弟子だろ?」
「分かりました。チコ様!!」
タラゼドでなく、ファクトが全部返事をする。
「あっ、あとチコ様!これオミクロンの子供たちからお土産です!」
かばんを探って小さな包みを渡すと、チコは不思議そうに見た。
「中に手紙があるって。」
「子供から?」
少しうれしそうだがここでは開けない。
「ラムダ。」
「はい!」
「土日、タラゼドとファクトを送れよ。リゲルもな。」
「…あ、はい!」
「ファクト。あと千本加えておけ!」
そう言って去っていくチコ。
リゲルは髪色は桜色でかわいいが、坊主で三白眼。何せジャミナイの従弟だ。タラゼド、リゲル、アクバル、ヴァーゴなど大人しいメンバーほどなぜか体格もよく顔もヤバい。
「土曜日に実習入れようかな……。」
いきなり授業をしようとするファクトを監視せねばとラムダは焦る。
3年近く付き合ってもまだファクトを理解しきれていなかったと思う一同であった。半陽キャなオタクは、あっちこっち動き回り、動きを掌握するのが難しいのである。
前もって反省して怒られたファクトだが、自己反省千回と、加えてチコからの命令千回を黙々とこなしていた。
***
「タラゼド来るんですか?」
事務所でなんとも言えない顔をするのは、イオニアである。
「見た目で人を殺せそうな男は全部河漢に送る。」
チコはしれッと言う。なにせ、河漢の試用期間メンバーも見た目で人を殺せそうなのが何人かいる。対抗せねばなるまい。
「え?じゃあ、ヴァーゴも?」
平和主義なのにかわいそうなヴァーゴである。
「ヴァーゴは来たかったらでいい。」
「………。」
少し安心するが、イオニアはタラゼドと仕事をしたくない。
「大丈夫だ。タラゼドはひとまず武術とか指導に入ってもらう。」
スケジュールを見ながらみんなで調整していく。
「…全員契約は済ませているだろ?漏れがないか確認しろ。」
武術、軽量武器を学ぶ場合、法律も知る必要がある。悪用しない約束や銃器使用所持登録、犯罪を犯した場合の罰則、各種登録法など。これまで河漢民は住民登録自体を曖昧に済ませていたが、指紋だけでなく手紋、瞳、血液、髪の毛、DNA、声音などあれもこれも採取される。そして、試用期間内の保険をいくつか組み、違反事項を犯した場合の賠償、不慮の事故、災害時などの自己責任などにも承諾してもらう必要があった。
新メンバーも全員学力テスト、スポーツテスト、体力テストなどなどたくさんテストをしてもらう。
結局、河漢第4弾は説明会に来たメンバー以外、全員決定どころか候補者がさらに増え面接を加えてした。
イオニアはタラゼドと聞き、響と重なったあのニューロスを思い出す。
確か名前はジョーイだった。
「……。」
似ていなかったのに………黒い目、黒く長い髪、少し多めの前髪。
全部が響を思い出す。
響には何もできないのに、ジョーイの触ってもいいというようなあの顔、体。
思わずボーとする。
「イオニア?」
「…………。」
「イオニア!」
「あ、はい!」
チコが真顔で見ている。
「………なにか私に言うことはないか?」
「……え?」
「最近考え事にふけっている時があるだろ?それで河漢の仕事ができるのか?」
「………。」
責めている感じではないが、なんとも言えずチコの方をただ見てしまう。
「あ、あの…………」
「…。」
「………なんでもないです。」
そんな事言えるわけがなかった。
***
その週の土曜。
ファクトはリゲルとお付きのラムダと共に河漢に行き、タラゼドは別の車で来ていた。
しかし驚くことに、なぜか河漢にムギがいた。
「え?ムギさん?河漢に?………しかも河漢事務所に来るって、ヤクザの事務所に来てるようなもんですよ?帰った方が良くない?」
ここは本当に行政関係の職場ですか?みたいな雰囲気である。
そもそも実際そういう人たちを集めているのだ。一応『元』だけれど。
「何が?」
内戦中の軍人や傭兵、レジスタンスやパルチザン活動をするような人たちに囲まれていたムギには今更な話である。
「………いえ、何でもないです。何しに来たの?」
これ以上言っても無駄な気がして、そもそもの理由を聞く。
「ファクトが河漢に入るって聞いたから、何かやらかさないか見に来た。」
「………え?ムギさんが俺の保護者?」
「……悪い?」
「……?」
黙って二人の会話を聞いていたリゲルは、資料に目を通して立ち上がる。
「ナライさん。行きましょう。」
「わかった。リゲルとファクトは最初に年齢を言うなよ。」
最初に舐められる要素は与えない方がいいが、ムギが突っかかる。
「ファクトは似た目が子供だから、逆に言った方が良くないか?下手したら中高生だ。」
「……」
ファクトを見て、確かに…と思うメンバー。
「頭のバンドも外せ。」
入室の時に挨拶はしたが、ファクトの知らない女性兵がヘアバンドのことを言う。河漢民に勝ったミコラルだ。
「これ?」
頭を指すと、女性兵はコクンと頷く。
「そんなもの、首まで下げて引っ張れば十分な武器にされる。ネックレスやバンドは外せ。」
「………なるほど。」
いくら大房アーツでもそういうことはしなかったが、ここでは時々禁じ手を使う者がいるのか。ただ、河漢は本物の軍の襲撃にあい、死者や重傷人が出ているので話がリアルだ。素直に言うことを聞いておこうとバンドを外した。
リゲルもピアスなど全部外すように指示された。
そして、指導することなど事務所で指示を受けた。




