31 好きなのは緑の瞳
あの日カフラーは、チコの様子を見ながら静かに言葉を続けた。
チコは、あの深い緑の目が大好きだった。
その目をまたみたいと何度も思うから………
きっとそれはその瞳が「好きだ」ということだろう。
「チコ、君にはね。結婚してほしいんだ。」
「………。」
まだ成人前のチコが、だからなぜ?という顔でカフラーを見ている。
「東アジアからも言われている。君をきちんと守れる位置の人間と一緒にしてほしいと。
ニューロス化もしたし、おそらくバベッジ族の血は入っている。バベッジは調査記録も少ないし遺伝子バンクに登録をしている人が少なくて、ちょっと確定ではないんだが北西ユラス民族の特徴が少しある。」
「………。」
「君を利用する人間からも避けたいし、そういう場所にいることで、チコにしてあげられることが増える。」
してあげられる…………
何のことだろうと思うが、メンテの事だろうかとまだ若いチコは思った。
この前、東アジアの官僚の一人アルゲニブがラボに見学に来た時に、紫の目の少女をやたら気に入っていたと、SR社の社長カノープスが話していた。カノープスはこんな時代でも愛人たちを囲うような男だったが、嫌がっている者や自分の子供ほどの人間に手を出すアルゲニブよりはマシだった。
カノープスからも言われている。
被験体をこちらの意にそぐわない者に持って行かれるくらいなら、ユラスで守ってほしいと。ユラス民族オミクロン族は、SR社からあらゆる面で大きな信頼を得ていた。
実はタイナオスやティティナータなどの、以前チコがいた場所の傭兵たちがまた会いたいと言ってきている。でもただ会わせるわけにはいかない。
彼らの裏の裏にはギュグニーがいるかもしれない。ギュグニーの一派はバベッジ族。おそらくチコにはバベッジの血が入っているので、それを理由に被験体を引き渡せという話も来ている。チコには知らせていないが、一部の傭兵たちは、チコをギュグニー脱走者の中で見付けたと言ってきた。
タイナオスはチコに最初の義体を付けた国。
自国傭兵の頼みで怪我をした部分を義体化したが、チコは国家に所属せずまた傭兵集団に戻されたのだ。幾つか所属を変え、最終的に国も越えオミクロンに託したのに、彼らが今になって引き渡してほしいと言ってきた。後にチコの被験者的価値に気が付いたタイナオス国家が、秘密裏に動き始めたのか。
バベッジ族にチコのデータを渡せば分かることもあるだろうが、彼らの一部はユラスの中では閉鎖的な部分もある。向こうが情報を渡さないのに、こちらの情報だけ持っていかれるわけにはいかない。
とにかく、東アジアからの願いはチコの位置を、連合国家中枢の中で固めてほしいという事だった。
「………。」
「………何も問わないんだな。」
「………分かるような分からないような話だから。」
「そうか………」
「結婚した人とは一緒に暮らせる?」
「………。」
今度はカフラーの方が黙ってしまう。
「…どうだろ。仕事によりけりじゃないかな?一般的には一緒に暮らすけど。」
チコが家で誰かと暮らすところをカフラーも想像できない。でも、建前だけでも結婚させろと言われている。一個人として世間に公表することでの位置固めはチコにあまりにも負担が大きいし、かといって放っておくには危険だ。
でもチコは思う。きっと、自分はカフラーと結婚しても一緒には暮らせないだろう。全てにおいて、お互い任務が優先になる。
ほとんど表情を崩さないチコに、何とも言えない顔をしながら、それでも優しくカフラーは微笑んだ。
「まあ、直ぐの話じゃない。ただ、アルマーズで結婚ができるなら、誰と結婚しても最後まで守ってあげられるから。私も族長の第一分家の長男だからな。一応。
他に話が来ることがあっても、今日のことを考えておいてくれ。」
アルマーズはオミクロンの中心国家だ。アジアとつながりが強く、ナオス族族長が生きていた頃は、歩み寄りを深め始め、共に連合国加入を目指そうとしていた。
「………分かった。」
とだけチコは答える。
その数か月後。
やはりチコの相手には、まだ妻の籍は入っているが実質独り身のカフラーか、元々外国人で家門に縛られないワズンがいいのではということになった。
少し歳は離れるが、二人とも地位もアジアとのつながりも人生経験もある。
チコからは何も意見はないが、一度だけガイシャスに、
「カフラーと暮らせるならいいのかも……」
と、そっと言った。
ただ、
「でもカフラーには………」
と続けて黙ってしまったチコの言葉に、ガイシャスは亡き彼の妻の事だと分かった。
ガイシャスは考える。子供にしても急いで考えなくていいワズンの方が適役か。それとも、もしかしてチコは…………という話をしていた矢先に………
人口5億人近いナオスの頂点の実。
サダルメリク・ジェネス……ナオスが、
ナオス姓を掲げて25年以上の空白から突然戻って来たのであった。
母方であったがナオス族ナオス家の直系。
そして東アジアトップのニューロス研究者の一人になっていた。
***
その夜、乾いた土の広がるユラス大陸で、ファクトはワズンを待ちながら星空を見ていた。
ユラスの空は教育実習で行った、山脈裾のサンスウスと同じくらい輝いている。少し寒いがサンスウスの寒さとは違い、閉塞感はない。
しかも、視界を遮る山も木もないから360度ビュー。不思議な感じがする。足の下まで星が広がりそうだ。
ここから北東を見れば、その先に………ギュクニーがある。
今は夜で見えないが、あのずっと先の方にアジアラインを横断する山脈があり、そのどこかユラス側から、多くの人がギュグニーを抜け出してきた時代があるらしい。VEGAの講義で習った。
ふと、サンスウスに辿りつく前に、車の中で泣いていたニッカを思い出した。
『違う。何だろう…。』
『ドレスを着た、何?亡霊?女性?』
ニッカの言葉。あれは自分の涙ではなかったということか。それとも、自分の知らない記憶ゆえに泣いているのか。
『俺じゃない……。泣いているのは俺じゃない。でも………』
これは………誰の言葉だっけ?ニッカと似たようなことを言っていた。
なら………泣いているのは誰?
あの人?固めのベッド。だけど上質の布団を被り…誰かを呼んでいたあの人?
そう、ファクトはカストルにそれを聞きたかったのだ。
結局、横たわるあの人は誰だったのか。直接聞きたかった。
「………ファクト!」
ファクトは一瞬気が付かない。
「おい、ファクト!お前、まためっちゃ怒らせてんぞ。」
「え?誰をですか?」
少し離れたところで電話をしていたワズンが戻って来ていた。学校をサボった上にその日も帰らなかったから、ラムダが怒っているのだろうか。
「何も言わずにアンタレスから来ただろ…。それで俺の出張についてくるから首都でみんな怒っている。」
「え?首都?!ダーオでですか?なんで俺がユラス人に怒られるんですか?」
「さあ?」
「しかも、付いて来るか?ってワズンさんが言うから楽しく観光してるのに!」
ワズンは呆れるしかない。
今ファクトはオミクロン族の地。アルマーズに入った。
アルマーズはこれまでは一国として扱われていたが、連合国に加盟し現在は東アジアのアンタレスのように、ユラス国家の一都市になっている。扱いは国レベルで自治も独立しているが、一度ダーオなど入って各所で連合国住民登録番号さえ残せばパスポートはいらない。都市といっても、土地は広いがダーオほどの経済規模はない地方都市らしい。
その道中だ。
なんと先まで、時速200キロ越えてません?というスピードで平地の道路をワズンと走ってきた。時々浮遊型にもなるこのSUVは浮いている時はもう速さも分からない。ユラスの広大な荒れ野を延々と走っていると、200キロでも300キロでもアンタレス市内の一般法定速度80キロくらいに感じる。
アルマーズはチコが昔滞在した国で、カウスの故郷と聞いたので来てみたかったのだ。
それにしても、ワズンは大尉という位があるのに単独行動ばかりしている感じがする。もう特別枠を作ればいいのにと思ってしまう。大尉って指揮側ではないのか。
「ワズンさんって、自由ですね。」
「まあな。その代わり、不条理にあちこちめっちゃ飛ばされる。」
「独り身だからできるんですね!」
「………乗れ、出発するぞ。」
そこらで小用を終えてまた走り出す。
軍の仕事に付いて行ってもいいのかと聞いたら、今回はいいとのこと。半分はプライベートらしい。私用で行くなら少し仕事もしてきてくれという感じでワズンはアルマーズに来たのだ。
そして、無事オミクロンの首都に入る。
アルマーズは正確には州都のような扱いだ。地方都市と聞いていたので閑散とした田舎町かと思ったら、そんなことはなくそれなりに発展している。あの、かなり贅沢に土地を使っているダーオの公道よりもさらに贅沢に広く道路が造ってあった。歩行者が困るであろう。
だが気持ちいい。デカい車を買う理由が分かる。小さい車では進んだ気も走った気がしない感覚に陥りそうだ。
そして、大きな公邸のような家に着いた。
周囲は軍人たちがガードをしていて、ここでも身分証明をする。ワズンは門衛に頭を下げられたり、敷地内でも「よう!」という感じで警備員に挨拶をされている。
そして車で建物の中まで入り、内部の玄関から中に入った。
そこで待ち構えていたのは体格のいい中年の男性。
ファクトもワズンを真似て礼をする。
「おお!ワズン!」
「夜分遅くに申し訳ございません。ジル様、お久しぶりです。」
簡単にハグをすると、ジルと呼ばれた男はファクトの方を見る。
「君は?」
「あ、ワズンさんの友人で心星ファクトと申します。東アジアのアンタレスから来ました。」
「そうか!私はジル・オミクロンで、この家の主人だ。」
オミクロン?
ファクトは出された手をブンブン握手をされながら考える。
「ジル様、彼はチコの養父母の息子です。」
「………チコの?まさかポラリス博士の息子か?」
「そうです。」
「おお!!賢そうな子だな!これまでチコをありがとう。そして申し訳なかっ……た…。チコには長年迷惑を掛けてきた。許してほしい。」
「…………。」
そこは何とも言いにくい二人。
まずファクトは知っていればどう見ても賢くはない。しかも心星家ではチコはいないものとして扱ってきたので、いつものユラス人の如くファクトとしても非常に心が痛い。
「いえ、こちらこそ申し訳ございません。最近まで姉の存在を知らなくて……。」
しかも早々に母が平手打ちをしている。
「そうか………何か事情があったのだな。でも、チコは喜んでいただろ。申し訳なかった……。」
厚い胸板にギュッと抱かれてウゲッとなる。力加減に容赦がない。
「えっと、オミクロンということは……。」
カウスの御父上なのかと思ったが、カウスはシュルタンだ。分家していると聞いた。
「カウスのおじ様ですか?」
「そうだ。」
それなら族長ではないのか?ん??族長?
首相がいるのかは知らないが、一国のトップではないか。




